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「御霊の言えるごとくせよ」木下理恵子

「御霊の言えるごとくせよ」木下理恵子

「知ってください祈ってください」有澤達朗

「知ってください祈ってください」有澤達朗

「知ってください祈ってください」有澤たまみ

「知ってください祈ってください」有澤たまみ

「宣教師への召命のあかし」佐味湖幸

「宣教師への召命のあかし」佐味湖幸

「カンボジアへの導き」菅家庄一郎

「カンボジアへの導き」菅家庄一郎

「カンボジアへの導き」菅家容子

「カンボジアへの導き」菅家容子

「証し」西村信恵

「証し」西村信恵

「証し」横山基生・好江

「証し」横山基生・好江

「証し」今村裕三

「証し」今村祐三

「証し」今村ひとみ

「証し」今村ひとみ

「橋として」小川文子

小川文子です。お祈りをどうぞよろしくお願いいたします 出会い
九八年のカンボジアと二十一才の私の出会い、それはOMFカンボジア主催の学生キャンプに参加したことによるものでした。暑い国のために神様が造られた大きな葉の木々、登ったらつぶれてしまいそうな家々、その辺を歩いている鶏や豚、子供たちのくれた木の実や花、私の肩にとまっているカニ、よく笑う青年たち、クリスチャンたちの輝き。美しい大地、美しい人々、その下に、しかしなお深い戦争の傷あと。全てのものが愛しくて、幸福のあまり「ああ、このめちゃくちゃな交通の中で死にたい」と思ったくらい、自分の中から愛があふれてきてたまりませんでした。今まで知らなかったこの人々は、こんなにも愛してくれ、そして愛する友だったと知ったときに、「私にできることは何ですか?私を使ってください!」と祈らずにはいられませんでした。カンボジアとの最初の出会い、それは、涙と幸福感が栄光に輝いて同時にあふれてくるような経験でした。
島根県、秋鹿教会にて 召命の吟味
 ―「もしイギリス中の人が全員救われるまで誰もマレーシアに宣教に来てくれなかったら、私はキリストを知ることはなかったでしょう」― 日本の魂への思いがあり、「カンボジアに呼ばれてしまったら、日本を見捨てることになる」「行きたくないところに行くのが宣教で、行きたいところに行くのは自己実現」と思っていた私は、このカンボジアへの情熱に少し困りました。そんな時マレーシア人の友人が言ってくれたのが冒頭の言葉です。しかし、これが自分の思いなのか神様からの思いなのか…祈り吟味しつつ、その後一年間、日本で働き、マレーシアで英語を学びました。その間に、「この思いはやはり特別なものがあり、神様のカンボジアに対する愛が私に注がれているのだ」ということ、と同時に「日本の教会にも私は召されている」こと、つまり「橋」のように双方に召されていることを教えられていきました。指が指の働きをすることが体(からだ)全体の益になるように、「日本のキリストの体の一部として、私がカンボジアの上に伸ばされていくことは、日本を見捨てるのではない、むしろ日本の教会の祝福になるのだ」ということがだんだんわかっていきました。
KGK同期壮行会で 神様の道備え
 その後二〇〇〇年、日本キリスト教団ホーリネスの群(むれ)(以下「群」)の東京聖書学校に導かれました。これは、宣教師になるには回り道に思えましたが、入学後すぐに神様の御計画を感じ始めました。群の中で海外宣教への気運が高まっていくまさにその時期だったからです。卒業後、日本の教会にしっかりと「橋」をかけることを願い、島根県の秋鹿(あいか)教会で二〇〇四~二〇〇八年、牧会の恵みにあずかりました。この四年間は本当に多くのことを学ぶ時となりました。そしていよいよ教会を辞し宣教師になるための準備を始めた二〇〇八年度には、群からのいわば最初の宣教師として祈って送り出して頂けるという喜びの展開となりました。この間に、横山師夫妻の存在を通してこの群とOMFがつながるという不思議なことも起こり、また「共に歩む会」の設立や、ニュージーランドとイギリスでの学びの道も驚くように開かれていって、神様のご計画の素晴らしさを改めて賛美しています。この十年間、早くカンボジアに行こうともがく私を根気よく導きながら、神様は本当に最善の道を歩ませて下さり、時が満ちるとあっという間に見事に扉を開き、全て「私ではなく、神様がなさる」ことを見せて下さいました。そして「いつもカンボジア、カンボジアと言っている文ちゃん」という印象だけは長年のうちにすっかり周りに浸透し、今もさらに日本各地で宣教の友との出会いを与えて下さっていく中に、主が日本の教会をその偉大な業に用いようとしておられることをひしひしと感じています。多くの方々と共に神様の愛を分かち合うという使命を果たせることは、何という喜びなのでしょうか。日本とカンボジアの教会の「橋」として、そして何よりも人々とイエス様をつなぐ「橋」として、用いて頂けたらと心から願っています。
 「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。…しかし、聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。…遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう」(ローマ十・十二~十五)

「平和の福音をタイへ」坂本朋子

中日韓シスターズ。イギリス、オールネーションズにて(写真中央が坂本師) アジア人として
 私が信仰を持ったのは、アメリカの高校に一年間交換留学した時でした。牧師家庭で一年間お世話になり、ホストファミリーと教会の人々の愛を通してイエス・キリストに出会いました。一方で、後にアジア宣教に導かれるきっかけとなった出来事がありました。同じ高校にインドネシアからの留学生がいましたが、当時の私はアジアに関心がありませんでした。それどころか、アメリカ人学生に認められたくてもなかなか認めてもらえない欲求不満を、彼女を見下して優越感を持つことで解消しようとしていたのです。帰国後、日本が戦時中にアジア諸国を侵略し多くのアジア人を殺害し苦しめた事実を知りました。その時、あの留学生に対する私の罪と日本の犯した罪が重なり、私は泣きながら自分の罪と自分の国の罪を悔い改めました。そして「主よ、私をアジアの平和の架け橋として用いてください」と祈りました。その時はどのような働きに召されているのか全く分かりませんでしたが、あれから約十八年経ち、キリストにある真の平和を伝える者としてタイという場所に導かれたことを考えるときに、神様はあの時の私の祈りを聞いて下さっていたと確信するのです。
タイとの出会い
 タイ宣教への道が明確になるまで、長い時間とプロセスを要しました。一九九四年、インドへのトランジットで初めてタイに降り立ち、その後二度旅行で訪れましたが毎回ハプニングがあり、ある人に「タイは鬼門」とまで言われました。そのためか自分がタイで宣教師になるとは想像もしませんでした。しかし数年後に一つの転機が訪れました。当時ワールド・ビジョンで働いていた私は、出張でタイに行きました。その際初めてタイの教会に行く機会が与えられ、これほど仏教の影響が強い国にもクリスチャンがいることに感動しました。その後しばらくして、将来どのように主に仕えていくべきかを真剣に祈った時期がありました。その時に心に浮かんだのがタイでした。御心を求めて再びタイを訪れた際に、礼拝メッセージを通してチャレンジを受けました。持っているものは少なくても、二匹の魚と五つのパンをイエス様に差し出した少年のように、自分の持っているものを喜んで差し出すなら、主ご自身が祝福して用いてくださる、と。二〇〇二年夏に仕事を辞め、まずは短期で奉仕してみようということでバンコクへ向かいました。教会の中で日本語を教えたり、バンコクの歓楽街で訪問伝道をしながら、約一年半滞在しました。
バンコクの教会、日本語クラスの生徒と 長期ビジョンへのステップ
 日本を出てタイに飛び込んだことは、振り返れば大胆で思い切った決断でした。しかし、この経験が後の長期ビジョンにつながったことは間違いありません。それと同時にこの経験を通して自分の未熟さや弱さを知り、聖書に関する知識の足りなさと宣教に対する無知を痛感させられました。その後二〇〇五年から二〇〇七年までイギリスのオール・ネーションズ・クリスチャン・カレッジにて、世界中からやって来たクリスチャンと生活を共にしながら、異文化宣教について学ぶ機会が与えられました。またこの時に多くのOMFの宣教師や横山先生ご夫妻との出会いもあり、OMFの働きについても知る機会となりました。
 イギリスから帰国後、郷里である栃木県の母教会で伝道師として奉仕しました。このことを通して改めて自分の国、特に郷里での霊的な現状を知り、日本で働くという可能性も考えました。しかし十数年間消えることのなかったアジア宣教への思い、殊にタイへの思いを捨てきれず、昨年三月により明確な導きを求めてタイを訪問し、主にOMFタイの働きを視察しました。十日間の旅のハイライトは、タイ中央部のクリスチャン学生と一緒に、イサーンと呼ばれる東北地方へ宣教旅行に出かけたことでした。福音に触れたことのない人々に出会う中で、ローマ十・十四~十五のみことばが心に浮かびました。もし福音を聞くことがなかったら、この人々はどうやって永遠の命と救いを得ることができるだろうか‥。そう思うと心が揺さぶられました。さらに今回の訪問を通して、私の心の奥に眠っていたタイへの特別な愛が再び目覚めたような気がしました。
 このように神様が道を開いてくださる中で、宣教は個人の業ではなく教会の業であるということを改めて教えられています。母教会である高根沢キリスト教会は、設立当初より将来宣教師を送り出すというビジョンを持っており、このタイ宣教のビジョンは教会のビジョンであると、先生方はもちろん信徒の皆さんも前向きに受け止め支援して下さっており、これも主の備えてくださったことと心から感謝しています。
 国民の九十九パーセントがキリストにある真の平和を知らないタイで、この小さい者を平和の架け橋として主が使ってくださるようにお祈り下さい。「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。」ゼカリヤ四・六

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