2006年5月号
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「マレー人の救いのために」
十四世紀以降、イスラム教がマレー人に広く信奉されて以来、マレー人に福音を分かち合う試みはあまりなされませんでした。
一五一一年、十字架を飾った船でポルトガル人がマラッカ港に到着した時も、それはマレー人に対する伝道の幕開けとはなりませんでした。彼らは剣と大砲で武装した支配的な植民地勢力とみなされていたのです。
一六四一年、ポルトガル人に続いてこの地の支配者になったプロテスタントのオランダ人も、その関心はもっぱら自分達のコミュニテイーに向けられており、現地の人々に影響をもたらすことはほとんどありませんでした。
一七八六年、イギリスがペナン島を占領し、続いてマラヤ(マレー半島南部)、シンガポールを占領すると、宣教活動の初めとなる幾つかの活動が始まりました。しかし初期の宣教師の多くはその目を中国に向けており、マラヤはそのための一拠点にすぎませんでした。そのため、一九世紀初頭に中国の門戸が開かれた時、ごく少数を除いてほとんどの宣教師らがマラヤを去っていったのです。
一八七四年のパンコール協約締結により、イギリスがマレー人領主らと契約を結び、その際、マレー人の宗教的な問題には一切関与しないことに同意したことにより、マレー人に対する伝道の働きはさらに遠のいてしまいました。今日、マレーシア政府が、国内のマレー人に対するあらゆる布教活動を違法行為とする法律を可決した背景には、こうした分水嶺となった過去の出来事が存在するのです。
この南東アジアに住む二千五百万人のマレー系の人々に、どのようにして福音が伝えられるでしょうか?世界最大の未伝のグループの一つであるマレー系の人々も又、「やがて御座の前で礼拝を捧げる全ての部族、言葉、国民」の内に数えられていることを、私達は神のみこころを求めつつ、確信し、そのために働くことができるのです。
南タイのパタニ・マレー人
彼らは複雑な形の舳先をもつ漁船を持ち、経済競争の中で中心的な存在です。漁村で、ゴム園で水田で、開発の進む町々で労働に従事する、敬虔なイスラム教徒です。宣教師達が既に五十年間、彼らの間で労していますが、パタニ・マレー人の信者はわずか百人程度です。
シンガポールの四十七万四千人のマレー人
彼らはシンガポールの中で最大の「少数民族」です。郊外で農業や漁業を営みながら、シンガポールの都会的環境の中にあっても、自分達の昔ながらの生活様式を保とうとしています。シンガポールではクリスチャン人口がかなり多いにもかかわらず、マレー人に対してほとんど影響を持っていないのです。
ブルネイに住む二十三万一千人のマレー人
ブルネイの人口三十三万人の内の七十パーセント以上がイスラム教徒のマレー人です。十六パーセントが中国人、六パーセントが部族の人々で、残りは石油、天然資源産業に従事する国外在住者です。ブルネイのイスラム教徒への伝道は認められておらず、キリスト教徒はほんのわずかです。
ボルネオ西部、沿岸地域の二百万人のマレー人
その多くはカリマンタンの西部に集中しています。ほとんどの人々は農業や漁業といった昔ながらの生活形態を営んでいますが、公務員や商業に従事する人々も増えています。カリマンタン島のマレー人への伝道は始まっていますが、島にはまだマレー人教会は一つもありません。
デリ族のマレー人
その人口は四百万人。15世紀に栄えたマレー人のアル帝国の末裔で、スマトラ島のマレー人の中で最も多いグループです。大多数が農・漁業主体で、稲作、果物、胡椒の栽培などで生計を立てています。彼らに対する伝道の働きはわずかで、そのクリスチャン人口を五名とする調査もあります。
リャオ族のマレー人
スマトラ島リャオ州で最も多く優勢なグループ。本島には百六十万人のリャオ・マレー人がおり、大規模な経済開発が行なわれる見込みのリャオ諸島にも五十万人が住んでいます。これら二百十万人のリャオ・マレー人の中で、最近約百人の人々が主を信じているという報告があります。
ジャンビ族のマレー人
彼らの人口は八十万人でスマトラ島中部のジャンビ州に住んでいます。ここは密林のジャングルと沼地によって世界で最も広い湿地帯の一つを形成しています。これらの人々の多くは沼地や川岸に住み、漁業や稲作を営んでいます。厳格なイスラム教徒で伝統的な慣習を重んじ、積極的に近代化の波に乗ろうとはしません。
スマトラ島南部のマレー人
スマトラ島南部には、二百八十万人のマレー人や、まだ未伝のランポン族、コメリン族、オガン族、レジャン族などのマレー系の人々が住んでいます。内陸に入ると五十万人のバンカ・ブリタン族のマレー人達が住んでいます。この地域はかなり貧しく、クリスチャンも含むジャワ人移住者の流入に伴い、土地の買占め競争が起きています。
マレーシアのマレー人
この千二百万人のマレー人の公の宗教はイスラム教です。国の憲法は「マレー人とはマレーの風習を守り、日常的にマレー語を話し、イスラム教を信奉する者」と定義しています。マレーシアの首都、クアラルンプールは東南アジアで最も急速に発展し、エネルギーに溢れた都市の一つです。
「台湾ホームシック」
日本 木下理恵子
台湾を発つ日、空港には第一期の時に奉仕した教会の兄弟姉妹も見送りに来て下さいました。たった二年奉仕しただけでしたが、あの時の青年会の子達は、三人が牧師や伝道師となり、二人は長老、もう一人は執事として教会に仕えています。二十キロをはるかにオーバーした私の荷物を押してくれ、少しだけ超過料金を払ってもらいましょうとなった時も、「いいから、いいから」と代わりに払ってくれました。
十八年前とは立場が逆になり、私が面倒を見てもらうようになりました。たくましく成長した彼らを見て、当時宣教師になったばかりの私も、主が彼らの信仰の成長の一部に用いて下さったことを覚え、感謝でいっぱいでした。いよいよ皆と別れて行く時、「イエス様を信じるって、本当にすばらしい」と私の愛唱歌を台湾語で合唱してくれました。空港いっぱいに響くその賛美に送られ、台湾を発ちました。
帰って来た日本の空港でも思いがけず、母教会の兄弟姉妹やホーリネス教団、牧野先生ご夫妻や家族と多くの方々が、幾つもの花束と一緒にお迎えに来ていて下さいました。身に余る歓迎でした。
こうして始まった私の日本での生活ですが、今までと随分違います。「もう台湾に帰らないんだ。」と言うなんともいえない寂しさ。日本の何を見ても、台湾の方がよく見える逆カルチャーショック。台湾の町並みなどがフラッシュバックで何度も目に浮かびます。台湾のホームシック。台湾からも皆電話を掛けてくれ、祈ってくれます。
ボーッとする中、荷物が送られて来ました。以前は半年だけ帰国し、スーツケースで生活していたのですが、今回は違っています。自分の部屋が出来ていく中、あの台湾の、あの部屋にずっとあったあの本が、この飾り物がどうして日本のここにあるのだろうかと、何か受け入れがたい気分。台湾から帰ってきたんだという事実を見せ付けられているようでした。そんな中で、やはり両親の笑顔や姉の笑い声に心慰められました。お祈りいただいた父は気候が暖かくなり、随分元気になりました。お祈り感謝です。それでも両親共々以前よりずっと年を取ったのは明らかです。その両親との家庭礼拝で、父の祈りの中で二回繰り返された「こうやって一緒に礼拝できる幸せ」に、「帰ってきて良かった」と思わせられた事です。皆様のお祈りを心より感謝します。
【祈りの課題】
1.ゴールデンウィーク明けから巡回を始めます。よき出会いが与えられ、主の恵みを分かち合うことが出来るように。
2.気候が暖かくなり、父上の体調も守られていることを感謝。ご両親と家庭礼拝を持て感謝。木下師の台湾ホームシックが早く良くなり、今ある主の恵みを大切に出来るように。
「家族として成長できるように」
カンボジア プノンペン 菅家庄一郎、容子
芽生と結は、カンボジアの小学校に通っています。カンボジア語の詩(メーソー)や工作の時間は芽生の大好きな時間です。ミッション・スクールなので、カンボジア語の賛美もたくさん覚えています。神様が創造された豊かなカンボジア文化を日々学んでいます。ただし、学校中で日本人の子供は芽生と結だけなので、いやな思いをすることもあるようです。いきなりトイレのドアを開けられたり、「コーン・ユオン(ベトナム人の子)」(日本人はベトナム人に似ているため)と呼ばれたりすることもあるようです。また、教育方法も、暗記中心で、子供たちは「考える」という訓練がされず、「どうしてそういう答えになるのか」わからなくても、先生におこられるのが怖い(カンボジアの教師は普通、鞭を持っています。)ので、わかったふりをすることが多いようです。しかし、芽生と結が、カンボジアの言葉でカンボジアの子供たちと友情をはぐくんでいるのを見て、主に感謝しています。彼らがカンボジアの先生・友人からよい影響を受けて成長していきますように、子供たちがカンボジアでの否定的な経験をも乗り越える強さが与えられますように、イエスキリストを主と告白できるように、また、親である私達が悪い影響をよく見極めて、正しいしつけをすることができるようにお祈りください。(庄一郎)
先日、フレンドシップクラブで「隠れ家」のヴィデオを紹介しました。その準備のため読み始めたにコーリー・テンブームさんの三部作「我が父の家で」「隠れ家」「主のための放浪旅行」に非常な感動を覚えています。一番心に残ったことは、私達の人生に起こるすべてのこと、出会うすべての人々は、神のみが知っておられる将来のための完全な備えである、ということです。彼女が伝道者として世界中を旅し用いられる証しの数々は、圧巻です。それは、彼女が強制収容所で経験した苦しみと主の勝利に基ついています。彼女とその家族が、ユダヤ人をかくまう為、なぜ自分たちの命を危険にさらすまでの信仰を持ちえたのか、それは、父(コーリーの敬虔な父、そして真の天の父)の家で育み、培われた素晴らしい信仰の遺産に基ついています。コーリーたちが捕らえられる丁度100年前に、彼女のおじいさんと友人のキリスト者がその同じ家で、ユダヤ人の為に祈っていたというのです!
私は、その神と人を愛し、仕えあう家庭生活の様子に魅了され、また、神の言葉が生活に、家庭に、人格に深く根ざした現実の家族の姿に感動しています。願わくば、我が家庭も、そして私達が今関わることが許されている青年たちが将来築く家庭も、この揺るがない神のことば、という土台に建て上げられますように。(容子)
【祈りの課題】
1.菅家師一家の霊的・肉体的な健康が守られますように。御言葉を愛し、聖霊に満たされて歩めますように。様々な学生達と関わり、伝道し、愛をもって訓戒するために整えられますように。
2.エホバの証人やモルモン教の伝道活動がプノンペンではさかんです。ある福音派の大学生伝道団体のリーダーは、最近エホバの証人の信者になり、回りを驚かせています。教会がその違いを知ることができるように。ふさわしい書物が出版されますように。
「助け手は途切れることなく」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
三月末、ミェン族教会合同聖会に約三百人が集いました。
長くお祈りいただいている論文の第二原稿(大幅な改訂)の締め切りと重なり、聖会での四回の聖書講解の準備も同時にしていました。時間と争う状況で、たまみは賛美歌CD録音のため、まる一週間他県にでかけて不在。ここを乗り切ることができたのは、チェンマイ日本語教会会員のご夫妻が我が家に住み込み、食事を作ってくださったことによります。
聖会講師はアメリカのミェン教会から李ヤオフ牧師、英国へ引退直前のベヴィントン宣教師、そして日本人。三人の講師が打ち合わせなしに担当した九回のメッセージが見事に統一されており、聖霊の導きを皆が認めました。
青年聖会は四月に別にあるのですが、三月の大人の聖会にも大勢積極的参加し裏方奉仕に励みました。青年達の成長が頼もしいです。若い牧師たちも成長しています。我が家に下宿していて最近卒業したフィン兄は、聖会で燃やされ、帰省してすぐに伝道し、「小学生一人が救われました」と喜びの電話をくれました。(達朗)
ミェン語讃美歌改訂版練習用CD録音のためお祈り頂き感謝します。主は祈りに応えてくださり、伴奏者が途切れることなく与えられています。日本からの第一番目の方と二番目の奉仕者のギャップを別件ボランティアでチェンマイに来ていたキリスト者学生会メンバーの大学生が埋めてくれました。二番目と三番目の方は同日チェンマイ空港で二階出発ロビーと一階到着ロビーですれ違い、入れ替わりました。私達は二階で二番目の方を見送り、待ち時間無しで一階で三番手の方を迎えました。みごとな神様のタイミングです。これらの伴奏者の方々、私達の無理難題をにっこり笑って聞いてくださり、心を尽くし、力を尽くし持てる能力の全てを結集して後について来てくれています。ボランティア伴奏者を送り出してくださっている教会、ご家族の方々のお祈りの支えを強く感じ、感謝するとともに、これらの方々を備えてくださった神様をほめたたえます。
五月いっぱいで録音を終え、六月は手直しと編集に入りたいと願い祈っています。(たまみ)
【祈りの課題】
1.3月のミェン教会合同聖会(300人)、4月のミェン族青年聖会(400人)が祝福され感謝。我が家に下宿していて3月に大学を卒業したフィン兄は聖会でチャレンジを受け、自分の村に帰って伝道し、小学生が一人信じました。大人の反対から守られて教会設立につながるように。フィン兄は5月からバンコクで弁護士の学校へ行くので、村の3人のクリスチャンが守られるようお祈りを。
2.チェンマイ市での5年の生活を締めくくる時期に来ています。チェンマイ・ミェン宣教教会がジェムエン(センツィン)牧師をよくささえ、自立し、国内外の宣教にまい進するように。また、大学院で証し、伝道をしてきた、タイ人のプラーンさん、スラチェート氏、キチャポン君への最後の証しの時が与えられ、彼等が救われるように。
「半年が過ぎて」
吉澤恵一郎・香
英国での生活も半年が過ぎました。当然のごとく、いろいろなことがありましたが、ただ神様に守られて半年が経ったことを感謝しています。語学の学びは、なかなか思うようには前進しませんが、病院に行ったり、税金を払ったりすることはなんとかできるようになりました。神様が知恵を与えて助けてくださることを経験しています。
親に比べて、子ども達の語学の習得は目覚しく、特に五歳の湧喜は教会の人たちに「完璧なケンブリッジアクセントだ。」と驚かれながら大笑いされています。そんな出来事も私たちにとっては大きな励ましです。
この数ヶ月、語学学校で出会った日本人が教会や聖書研究に喜んで参加してくれました。日本では、誘っても来てくれないという難しさがありますが、英国で出会う日本人で集会への誘いを断る人はほとんどいません。海外での邦人宣教には大きな可能性があるのです。しかし、来てくれた人がイエス・キリストを受け入れるかということについては日本も英国も問題は同じです。「優しく、慎み恐れて、正しい良心をもって弁明」( II ペテロ三章十五節)できる者となるように日々祈っています。(恵一郎)
月曜日から金曜日までは英語学校に通っているので、土曜日は家事仕事に集中できる貴重な一日です。春らしくなった、とある土曜日、シーツと子ども達の運動靴を洗うことにしました。しかし、一日に四季があると言われるように変わりやすいのがイギリスの天気です。暖かい春の日差しを喜んだのも束の間、強い風が吹き始め、空はどんよりと雲に覆われてしまいました。今にも雨が降り出しそうな空の下で勇気を出してシーツや洗濯物をロープにかけます。風が強く洗濯バサミも飛んでしまいますが、この風こそが洗濯物を乾かしてくれる強い味方なのです。先日、洗濯物を干していたイギリス人の友人に「小雨が降ってきました。」と伝えたところ、「多少の雨があっても風で乾くのよ。」という返事が返ってきて驚きました。
その後、再び太陽が顔をのぞかせ、洗濯物は気持ちよく乾きました。
半年が経ち、賑やかに変わる天気とイギリス生活にも少しずつ慣れてきました。多くの方のお祈りを心から感謝いたします。(香)
【祈りの課題】
1.吉澤師一家はケンブリッジのある教会の牧師館を住居として借りていますが、子ども達の学校も近く、集会をしたり人を泊めたりするにも十分なスペースのある良い住居です。再来英の時も続けて借りることが出来るように教会と交渉を始めました。良い住居が備えられますように。
2.8月に帰国を予定していますが、それまで十分な語学の学びができますように。
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