2006年7月号
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「なぜ海外宣教か?」
前OMF総裁 デービッド・ハーレイ師
なぜ宣教にかかわるべきなのでしょうか?よい質問です。なぜ他の人々の必要や自分の国の外で起こっている事にかかわらないといけないのでしょうか?「私は地元の教会に属してその活動にいくつか参加することで充分だと思っています。」「宣教はごく一握りの人達が好んで関わっているもの、特に年配者が関わるものだと思ってました。」教会の中でもこういう声をよく耳にします。
なぜ全てのクリスチャンが全て宣教にかかわるべきなのでしょうか?決定的な理由があります。ごく単純に言って、宣教は神様のみこころの中心にあることだからです。
神がこの世界を創られました。そして人間に、神との人格的な交わりを楽しむ能力を与えられたのです。それが一人一人の経験となることを神は願ってやまないのです。聖書の中の物語は世界を救い、あらゆる人々と神との交わりを回復させようとされる神の計画の物語なのです。これが聖書全巻を通じて貫く中心的テーマなのです。
旧約聖書の神は宣教の神
人類史上最大の悲劇は創世記三章、つまり人間が神に背くことを決断し、自分勝手な道を選んだことでした。このことはアダムとイブにとっての悲劇であると同時に、人類全体にとって壊滅的な影響を与えたのです。
しかしそのような悲劇が描かれている中にも、私たちはかすかな希望の光も見出すのです。その代表的なものは、やがて一人の幼子が与えられる。その人物はイブをだまして全てを悲劇的な方向へと押しやったヘビ(サタン)の頭を砕く、と神が予言された箇所、創世記三章十五節です。やがて時が来て、主イエスがこの世に来られました。彼は一握りの人々のためだけでなく、この世全体の救い主として来られたのです。
旧約聖書の預言者達も又、全てのものの創造者であり審判者でもある唯一の神の存在を理解していました。例えば、預言者ハバククは「‥‥水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる」日が来ることを預言しています。
(ハバクク書二・十四)
福音書の救い主は宣教の救い主
福音書は神が全ての人々を救いに導くことを願っておられることをはっきりと述べています。おそらくヨハネの福音書で最も有名な箇所は三章十六節、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
この節の前後の出来事もこの真理を描写しています。前の箇所はイエスと、ユダヤ人社会で最高の識者で尊敬を集めていた人の一人、ニコデモの出会い。後の方は五人の男性と関係を持ち、ただでさえ嫌われていた社会グループの中ですらも、のけ者にされていたサマリヤの女とイエスとの出会いです。この二人ほどお互いにかけ離れた存在はめったにないことでしょう。しかしイエス様は二人とも愛しておられました。イエス様は、人種、背景、階級、過去の人生、年齢、男女を超えて、全ての人を愛しておられるからです。
使徒行伝の聖霊は宣教の霊
イエス様が弟子達のもとを去る時、弟子達に福音を世界中に伝えるように命じ、まず聖霊の力が注がれるまで待つようにとはっきり命じられました。
聖霊が来られた主な理由は、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにおいてもイエスの証人となるために、人々を力で満たすことにありました。
使徒行伝を読むと、聖霊は初代のクリスチャン達に、証しと福音を伝えるための力だけではなく、彼らにとほうもない勇気と、時には奇跡をも行なう力も与えられました。しかしそれらは全て、イエス様が与えられた宣教の務めの達成という主な目的のためのものでした。
新約聖書の書簡の諸教会は宣教の教会
初代教会への手紙の中で、パウロや他の指導者達は、教会が信仰のうちに成長するようにと、アドバイスし、励ましています。
その中で強調されていることの一つは、主イエスを信じた一人一人が、救い主イエスのことを人々に伝える責任があること、つまり各人が宣教師としての責任を担っているということでした。ペテロはその手紙の中で、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」( I ペテロ三・十五)と書いています。
テサロニケ人への手紙では、信者たちが福音を受けるやいなや、それを他の人々にも伝えていたことについて、パウロは彼らを褒めています。「主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニアとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので‥‥」
( I テサロニケ一・八)
これが教会のあるべき姿なのです。それは証しする教会、宣教する教会。近くに住む人々に対してと同様に、はるかかなたに住む異国の人々へも、イエス・キリストの福音を知らせる責任を自覚している教会の姿です。
歴史のクライマックスは宣教のクライマックス
聖書の最後の書である黙示録は天国を描写しています。その五章でヨハネは彼が見た幻、すなわち神が座しておられる御座と神の子羊であるキリストがその右におられる様を描いています。数え切れないほどの人々―あらゆる部族、言語、国籍の人々―が御座のまわりにいるのです。
神の目的の成就、人類の歴史の結末がここにあるのです。ついに福音は世界中に、全ての部族と国民に届けられました。多くの人々が救いという神の恵みを受け入れ、彼らの創造主であり、彼らを贖われた救い主である神を礼拝しているのです。
ここに聖書の中核の主題があります。つまり神は全ての男女に御手を差し伸べ、再びご自分のもとへと引き寄せ、彼らを取り戻すことを望んでおられる。これが神が最初から持っておられた御心なのです。人類の歴史が向かいつつあるクライマックスがここにあります。そして全てのクリスチャンはこの神の恵みの計画の中で、それぞれの役割を果たすように、神に求められているのです。
このこと以上に私たちの人生を献げえる偉大な目標が他にあるでしょうか?
「主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
この五年間、お祈り、お奉げ物、通信をもって学びをお支えくださったことを皆様に心から感謝申しあげます。主の御業を以下に。
一.学びを通してミェン語を深く知ることができました。教授の方々との関係が祝福されました。
二.大学院言語学科に学生の聖書研究祈祷会ができ、新しい学生達が伝道に励んでいます。
三.都市にミェン教会ができました。
四.チェンマイ日本語キリスト者集会に野尻牧師夫妻が来られ正式に教会となりました。
五.七年越しのミェン語賛美歌改訂とCDの録音が完成しました。
六.全面開放した家庭を神様は祝福してくださり、ミェン族、留学生、日本人の救い、交わり、信仰成長のため用いられました。二人のミェン族大学生を我が家から旅立たせることができました。いつも大勢が集まる家庭から笑いと賛美は絶えませんでした。
七.日本の親たちの健康が守られタイでの学びの完了を見ました。
一方、タイ人への伝道の難しさを経験し、謙遜にさせられました。スラチェート氏、プラーンさん、キチャポン君がまだイエス様を受け入れていない状態でお別れしますが、交流は続けるつもりです。
帰国が近づき、はたと気づきました。教会への引継ぎ事項がない!私たちが抜けても、宣教は全く停滞しません。ジェムエン牧師(センツィン)は結婚式、葬儀、教会員の懲戒処分・指導、教会を誤った教えから守るなど、牧会上の必要事項を執行できるようになりました。
アメリカのミェン族から集会所の家賃などの援助を受けていますが、二年以内に自立をめざしています。牧師夫人のオム姉は市場に雑貨屋を開き、神学生が夏休みなどで教会に帰って来た時、アルバイトを提供できるようにしてあります。開拓四年の小さな教会から献身者が二人起こされたことも嬉しいことです。牧師夫妻は娘のグレースちゃんの教育費にと豆乳製造販売も始めました。公立の幼稚園だと毎日仏教を教えられるので私立のキリスト教幼稚園に通わせるためです。
今期、サタンの攻撃も激しくありましたが、皆様の祈りにより、キリストの勝利を何度も見せていだだきました。主をほめたたえよ。
【祈りの課題】
1.7月、札幌でよく休み、8月のミッションポッシブルのための準備、巡回の準備がよくできるように。高齢の親たち、兄弟たちと意義深い時間を過ごすことができるように。巡回を通して日本の教会の様子を学び、日本の教会から学ぶことができるように。
2.6月から新学期が始まったパヤオ聖書学校に、チェンマイのミェン宣教教会からサーンツィン兄が1年生に、タナコーン兄が2年生に入学しました。ガオフォウ兄はメーサリアン聖書学校の最終学期の学びを続けています。彼等を少しでもサポートするために、センツィン牧師夫妻は豆乳を作って売っています。牧会・伝道と両立するようにお祈りください。またチェンマイ・聖書神学校でギリシャ語を聴講しているケッツィン兄(サーンツィンの兄)の学びと教会奉仕のためお祈りを。
「W杯直前!」
吉澤恵一郎・香
このニュースレターが届く頃は、日本もワールドカップ一色となり四年前のような盛り上がりを見せているのではないかと思います。ここ、サッカー発祥の地、イギリスも当然のごとく熱気を帯び、車やパブの窓にはイングランドの国旗がはためいています。実は、私たちの住むケンブリッジはサッカーのルールが生まれた町なのです。町の中心部にパーカーズ・ピースという広い公園がありますが、サッカーの統一ルールがなく混乱していた時期に、この公園に掲げられたルールがモデルとなって、今日のサッカーのルールが完成したと言われています。サッカーのルールが誕生したこの公園でも、子ども達が毎日サッカーボールを追いかけています。こんなところが英国の良いところだと思います。もし、日本だったら、張り出されたルールの原版が御神体となり、サッカー神社が誕生し、誰もがサッカーを楽しめるような場所ではなくなっていたりするのではないでしょうか?
とにかく、英国中が特殊な熱気に包まれるワールドカップ大会の時は、教会に来ている日本人求道者を集めて、一緒に日本代表を応援しようと計画しています。(恵一郎)
語学学校を一週間お休みし、特に日中に行われている婦人たちのため集会に参加させていただきました。日本人のお母さんと小さい子どものためのコーヒーモーニング、日本語での聖書研究会、イギリスの教会で行われているインターナショナル・ウーマンズグループの三つの集会です。
コーヒーモーニングでは、子どもたちを遊ばせながらお交わりをし、ショートメッセージや簡単なワーシップソング、日本の童謡を歌う時間を五分ほど持ちます。本当に短い時間ですが、聖書の御言葉と出会う貴重な時だと思いました。
久しぶりの日本語での聖書研究会は、聖書の言葉ひとつひとつが、心に浸みてきました。また、聖書研究会を一緒にすることを通してお互いに知り合えるという楽しさも味わうことができました。
インターナショナル・ウーマンズグループでは、求道者の方や、イギリスに住んでおられる日本人のクリスチャンの方とゆっくりお話をする機会が与えられ、イギリスに住むゆえの大変さやそれぞれがかかえている課題を知る機会となりました。
ひとつひとつは小さな働きですが、神様がそれらをつなげてくださり、神様との出会いへと導いてくださっている、そのことを知ることができ、感謝でした。(香)
【祈りの課題】
1.語学学校をきっかけに出会った日本人5人が続けて教会に来ています。残された滞在期間の中で、彼らと良い交わりを持ち、キリストを証していくことができるように。
2.帰国の準備と引越しのため。多くの方の祈りにより、現在、お借りしている家を再来英後も借りられるように話が進んでいます。感謝。
「主の御手のなかで」
カンボジア・プノンペン 今村裕三、ひとみ
四月はタイ・バンコクでこの原稿を書いています。クロチェでの同僚ダニエル師(スイス人)が、出血性デング熱のためカンボジアからバンコクの病院へ緊急入院するのに付き添っているためです。バンコクに来た日は、朝九時半にクロチェをタクシーで出発し、約五時間でプノンペンに着き、そのまま病院で検査・治療をする中、検査結果が悪いために最終便の飛行機でバンコクに飛びました。病室に着いたのが夜十一時でした。多くの方のお祈りによりダニエル師は回復に向かっています。ダニエル師はカンボジアに来てから毎年デング熱に倒れ、今回で三回目です。デング熱の原因となるウイルスは四種類あるので理論的には四回かかるのですが、三回もデング熱にかかるのは稀です。クロチェという田舎で忠実に主に、人に仕えている師です。入院中、多くのこのような試みについてともに考え、ダビデが苦難のなかで詠んだ詩を読み、祈る時を持ちました。すべては主の御手の中にあること、私たちの計画と違うことが起こっても信仰によって主に従っていくことなどを思いました。また、同時に詩篇一〇七篇二〇節にあるように「主はみことばを送って彼らをいやし」という御言葉の力、祈りの力を再認識したときでもありました。完全な回復には数ヶ月かかると思いますが、クロチェの宣教師チーム(ダニエル師、ウェイウェイ師と私たち)が困難な状況にあっても主にある希望を持って、主の奉仕に励めるようにお祈りください。(裕三)
今月は「不安なことがあっても動揺しない。悪魔は私が神様に信頼しきれず、もがくのを楽しみに待っているのだから」ということを学びました。同僚のダニエル師の病気、折角良くなりかけたエイズの若いお母さんは体調不良で仕事を辞め、貧民街で始めた幼稚園は若い先生の怠惰に振り回され‥‥等々。出て行く所も、残していく所も雲行きが怪しい感じです。最近、聖書から教えられたことは、イエス様が洗礼を受けられた時に神様が「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」と言われた箇所からでした。この時、神様は愛するひとり子がこれから受ける苦しみを全てご存じでした。しかし、「罪人を救う」という目的のために、その愛するひとり子の行ないを「喜ぶ」とおっしゃいました。単純にかわいい子を見て「喜んだ」のではなく、その大きな犠牲を含んで言われた思いはどれほどのものだったことでしょう。幸いなことに今、それほど動揺せずに過ごすことが出来感謝です。神様に期待し(自分に期待せず)クロチェでの新生活を始める事が出来るようにお祈り下さい。(ひとみ)
【祈りの課題】
1.クロチェでの生活に早く慣れることができるように。
2.クロチェ宣教師チーム(ダニエル師、ウェイウェイ師、今村師夫妻)の健康が守られ、主の働きに邁進できるように。ダニエル師の健康の回復のために。
「共に生きる」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師
村で学ぶ教会の姉妹が最近、後ろから突然、犬にかまれました。そのまま夜行バスでチェンマイに帰り礼拝に参加、皆に祈られ、その後すぐ病院へ。痛い注射を五回打つはずでしたが、最近、村に行ったらその犬は生きていたから狂犬ではなかったことが判明し、注射は三回ですみ、一同、胸をなでおろしました。
有機農業指導の七十歳を超えたS兄の所に、十八歳のO兄が実習で住み込み、三食、自炊をしながら農作業をし、礼拝にも励んでいます。昼に田んぼから帰ってくるO兄は泥だらけ、完全にタイ人と見分けがつきません。がんばって!と日本のカレーを差し入れました。三皿も一度に食べられました。タイ人の中に入り、いろいろな分野で私たち日本人は懸命に生きています。 (孝篤)
最近は礼拝後、中国人教会で昼食を共にした後、もう一度交わりがもたれ、自主的に賛美したり、報告しあったりの動きも出て来て励まされています。最近は「ベン・ハー」をも見ました。見るメンバーが入れ替わり立ち代りで何度も「上映」されました。「以前見ました」という方でストーリーは知っていても、著者が意図したHISTORY(ヒストリー・歴史)のHIS(ヒズ・主イエスの)歴史部分を知らなかったり、日本のテレビで上映された時は、福音の重要部分がカットされている場合が多いので、ただの娯楽映画という印象しかなかったりで、多少の説明が必要です。イエス様の出来事が浮き出て来て、魂への語りかけを受けるのでしょうか「良かった」といって帰って行かれます。礼拝で集まって魂が強められると共に、精神性が高められることや気持ちが愉快に楽しくなる、そうした面も必要ではないかと考えさせられています。(明子)
【祈りの課題】
1.最近、海外のJCF(日本語集会)からのご紹介やホームページなどで新しい方々も加えられています。救いと定着のために。
2.長く求道しておられる方々の救いと、今後のチェンマイ日本語教会の長期的かつ組織的確立のために。
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