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2006年9月号  page1  page2


「ある働き人の証し」

水汲み(写真と内容とは関係ありません)  カイは典型的なラオス人女性でした。煎ったコーヒー豆のような色の長く豊かな髪、やわらかい雰囲気の顔は、しょっちゅう明るい笑顔ではじけるようでした。身体も性格も大らかで、ちゃめっ気もたっぷりな女性でした。彼女は七人の子の母親で、夫はやさしく、常に田んぼで仕事にせいを出す働き者でした。
 しかし、ほとんどのラオス人女性同様、カイは毎週受け取る賃金のほとんどをカルト的な儀式に費やし、その残りのお金で空腹を抱えた家族を養っている状態でした。
 カイは欧米人クリスチャンのデイブとキャシー夫妻の家政婦として働いていました。仕事は週に四十時間の掃除や食事作りなどで、給料もとてもよく、彼女は仕事中にもかなりの自由を与えられていました。
 しかしある日の午前中のことです。カイがキャシーのものへやって来ました。
 「お話があるのですが。」
 そしてカイは続けてこう言ったのです。
 「あの‥‥実は、私、自分の中をきれいにしなきゃならなくなったんです‥‥。」
 この言葉に、読者の皆さんは、これは赦しと贖いについて語る絶好の機会!と思われるかもしれません。しかし残念なことにカイの言う意味はそうではなかったのです。カイは自分が八人目の子を妊娠したこと、そしてその子を「きれいに洗い流す」、つまり中絶したいと言ってきたのです。
 「そのためのお金が必要なんです。」
田舎の一風景(写真と内容とは関係ありません)  カイはごく平然とした口調で言いました。悲しいことに、ラオスでは中絶はクリスチャンの間ですらもごく普通に行なわれていることなのです。
 キャシーにとって、そのためのお金を彼女に与えることは問題外でした。それでも、いずれ次の給料日にカイが給料を手にすれば、彼女が中国製の薬を買って、自分の望み通りにしてしまうであろうことは明らかでした。半年間の一時帰国のため、デイブとキャシー夫妻はラオスを出国する日が目前にせまっていました。結局、夫妻はこのジレンマに重く沈んだ心を抱えたまま、出国直前にカイに最後の給料を渡しました。
 そして六ヶ月後。ラオスに戻って来たデイブとキャシーは、カイと再会するなり、一目で彼女が中絶をしたことを悟りました。彼女の顔からは喜びにあふれた輝きは失われて、やせて疲れているように見えました。かつては力強くしっかりした足取りだったのが、今では疲れきって足をひきずるように歩いていました。夫妻の目の前にいるカイは、かつて半年前に互いに手を振って別れた時の彼女とはもはや別人でした。
 「今日は仕事を休みなさい」
 キャシーはカイに勧めました。
 「疲れているようにみえるわ。残りの仕事は私がやれるから。」
 「いいえ、大丈夫です。」
 カイはきっぱりと答えました。
 「休んでもいいのよ。同じだけ賃金は払うから。ねえ、無理しないで、家に帰って休んでちょうだい。」
川べりにて(写真と内容とは関係ありません)  しかしカイはキャシーの勧めを受け入れようとしませんでした。そしてその日も普段と同じように最後まで勤勉に仕事をし、その後で、家で待っている家族の夕食の支度をするために帰って行きました。
 しかし、その晩、蚊帳の中で寝ていたデイブとキャシーは、家の戸口から聞こえてきた叫び声に目を覚ましました。
 「早く来て!」
 誰かがこう叫んでいました。
 「カイが気を失った!」
 ラオス語で「気を失った」という言葉は「倒れた」とも「死んでしまった」という意味にもとれます。デイブとキャシーは飛び起きました。デイブが片足で飛びはねながら、靴下をひっぱり上げる一方で、キャシーは手近にあった服をひっかぶると、ドアの外へ飛び出しました。
 カイは本当に意識を失っていて、夫妻が駆けつけた時には既に事切れていました。その晩、号泣が村中に響きわたりました。カイの夫、友人と家族らは慰めることもできないほどにとり乱し、泣き声は、明け方にオートバイや農機具のたてる騒音がとってかわるまで続きました。
 検屍はラオスではあまり行なわれないため、カイもそうした検査を受けることはありませんでした。しかし中絶の後のカイには出血が続いていました。生気を失い、かつての明るい笑みが失われていたのはそのためでした。
 夫がカイの遺品を調べた結果、毎日彼女が強い処方薬を四錠か五錠も飲んでいたことがわかりました。そしてそれが彼女の突然死の原因であったことも明らかになったのです。
 悲しみに暮れる遺族を少しでも支えたい一心で、デイブとキャシーは自分達ができることがあれば何でも言って下さいと遺族に告げました。それに対して彼らからはこんな返事が返ってきたのです。
 「それならば‥‥申し訳ないのですが、カイに着せてやりたいので、服を一枚下さいませんか?」
 この返事の言葉で初めて、デイブとキャシーは、カイの家の経済状況が思っていたよりもずっと悪かったことを知ったのです。
 その晩、家に帰って洋服だんすを開けたキャシーはうしろめたい気持ちで一杯になりました。洋服かけには服がひしめいていました。スカートもブラウスも‥‥どんな種類の洋服類も少なくとも三枚ずつはありました。それなのに、カイは毎日仕事に着て来ていたあのたった一枚の服のままで棺の中にいる‥‥。いいようもない思いにとらわれて、キャシーはその場で今後どんなものも一つだけ、それ以上は持たない、と心に決めました。
 夫妻は進んで洋服一そろえをカイの葬儀のために提供しました。「カイが生きている間にもっとあげなかったんだろう?」「なぜ」とキャシーは自分に問いかけました。
 「必要最低限の服や日常品も無い状態で人々が死んでいく、その目の前で、どうして私たちはこんなにいろんなものをありあまるほどに溜め込んでいるんだろう?」
 悲嘆にくれる時期はカイの周囲にいた全ての人々にとってつらいものでしたが、とりわけカイの夫には耐え難いものでした。今後七人の子供を養っていかなければならないだけでなく、彼には妻のありし日の面影を写した写真もありませんでした。生前、カイは一枚も写真を撮られたことがなかったのです。
 「そうだ‥‥当然だった‥‥」」
 デイブは心の中で思いました。
 「服を買う余裕もなかった彼らが、カメラを買えたはずがないじゃないか‥‥。」
 それ以来、デイブとキャシーは周囲の人たちの写真を頻繁に撮るようになりました。この村の人々が愛する者の写真を見て喜ぶことができることを願って。もっと前にカイの写真も撮ってさえいたなら‥‥。彼らは今でもそう思い、後悔しています。


「サバーイ・ゴォアップ」
カンボジア・クロチェ  今村裕三、ひとみ

訪問途中でヒムさんとともに  クラチェに来て一ヶ月が過ぎようとしていますが、皆さまのお祈りにより、順調に様々なことに適応できています。カンボジア語の表現で、「幸せで死んでしまいそう」という右記表題の表現がありますが、まさにそのとおりの生活です。
 自転車で教会員とともに訪問に行く途中、言い表しようもない喜びが心の内より溢れてきました。何が嬉しいのだろうと考えたら、クラチェに来て、このように教会員とともに主の教会を建てあげるために共に労することの恵みであることだと分かりました。その日の行き先は、自転車をこぎ、メコン川を渡ってさらに自転車をこいで到着する村で、クラチェの町から約一時間ちょっとかかります。教会員の一人一年以上前から伝道に毎週出かけ、三家族が主を告白し、政府からも許可をもらって、七月から週に一回礼拝を持つことを始めたところです。大人が礼拝をしている間、村の子供たちに福音を伝えます。これは、クラチェ教会始まって以来、教会員だけで伝道をし、新しい群れが出来た嬉しい出来事です。毎週、種まきに通った姉妹の信仰に教えられ、主がこのように新しい群れを持つことを許してくださったことに主の御名をあがめました。この小さな群れが迫害から守られ、大胆に他の家族に証し、伝道できますように。また、クラチェ教会の教会員も続けて定期的に励ましの訪問ができますようにお祈りください。(裕三)
 川向こうの伝道を始めたのはヒムさん(五十六才女性)です。太った身体を豪快に揺り動かし、噛みタバコで茶色く染まった歯をむき出しにして笑います。御言葉を語る姿は迫力があります。若者の自転車をごぼう抜きして喜んだり、水牛に追いかけられたり、とユニークな方です。彼女はポルポト時代に六人の子供を失っています。残された子供二人のうち息子が最初のクリスチャンになり、その後、家族みんなが救われました。ヒムさんの夫は刑務所で働いています。しかし、娘の夫はバイクを盗んだ罪で、現在、義父の働いている刑務所に入っています。でも良いことにその義理の息子は監獄の中で神様と出会えたそうです。以前ヒムさんは川向こうに住んでいました。伝道を始めた当初は、受け入れられずに辛い思いをしたこともあったそうです。政府の許可をもらっている働きですが、近所の苦情が出る、ヒムさんが病気になる、自転車がパンクする、豪雨に襲われる、若者は遠いため続けていくのをいやがる‥‥など問題は次から次へとやってきます。クラチェ教会の枝グループは、いつも最初は盛り上がり、教会員がたくさん手伝い、たくさんの人が集まり、子供集会・クリスマス会などが盛大に行われ、その後、核になるクリスチャンの家族に問題が起き、尻すぼみする傾向が続いています。神様の働きが妨げられないようお祈りください。(ひとみ)

【祈りの課題】
1.クラチェでも語学の学びが着実にできるように。よい先生が与えられるように。
2.町から離れたところに住んでいる教会員の信仰のために。交通手段の問題で礼拝に共に集えません。教会員が重荷を持って励ましの訪問を忠実にすることができるように。


「地の果ての証人たち」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

5民族のクリスチャン  ちょくちょく、道端の屋台で醤油ラーメンと餃子を食べています。チェンマイではこの店が美味しいのです。時々スープの味が辛すぎると言ったり、チャーシューがもう少し脂があった方がいいと注文をつけたりもしています。先日、隣のテーブルに座った若い夫婦が、ラーメンを前にして奥さんがお祈りをしていました。ミレーの晩鐘の絵を思わせるような美しい姿でした。しかも日本語なのです。リゾート気分で過ごす日本人の多い、このチェンマイにこのような方々がいると、うれしくなって、帰り際に自己紹介しました。日本で学生伝道に従事している方々のようで、旅行中とのことでした。その後、チェンマイ大学に行っているメン兄(日本語が分かるので、私たちの礼拝に参加しています)に学内でお会いされ、メン兄が日本語教会のパンフレットをお渡ししたら、この牧師夫婦に会ったことがあるという事で二度びっくりでした。これから団塊の世代の方々が退職され、沢山の日本人がチェンマイに移り住むことが予想されます。そう広くないチェンマイです。町のあちこちで食前の感謝をするカップルが見られるようになることが、一つの夢です。
メン兄のギターと共に礼拝  日本語教会にはメン兄ばかりでなく日本人と結婚された婦人、日本語を知っている女子神学生などタイ人も礼拝に参加しています。メン兄は導かれたら献身し、将来はモンゴルに宣教師に行きたいと夢を語ってくれました。また、先日は、隣の中国人教会の姉妹に紹介されて私の家に若い近隣三ケ国のクリスチャン青年たちが訪ねて来ました。ベトナムに慰問に行く途中だとのことです。すぐ近くのミェン教会の牧師に紹介しました。写真は左から、ラオス、ミェン、カンボジア、タイ、日本人です。(孝篤)

【祈りの課題】
1.中高年層の方々が3、4名、礼拝に来て求道しておられます。認罪と主イエスへの信仰へと導かれるようお祈り下さい。
2.来年は団塊の世代が定年を迎え、チェンマイにも沢山の方々が移住されることが予想されています。教会が良い受け入れを考えられるよう導きをお祈り下さい。


「主にあるブレイブ・ストーリーに」
一時帰国中  西村信恵

ただいま子供キャンプの準備中  七月末になり、やっと梅雨もあけそうです。豪雨が続き、水害のひどいニュースの中にはデピュテーションで訪問した場所などもあり、気になって祈らされました。皆様のところは大丈夫でしたでしょうか?
 私は七月前半に青森の巡回を終わり、後半の今は実家のほうで過ごし、夏を楽しんでいます。デピュテーションでいろいろな所をまわる度に、じぶんの故郷の田舎さ加減を思い知らされてもいるのですが、やはり、帰ってくると自然が近くにある実家のよさ実感しています。近くの海へ行ったり、山にドライブに行ったり、六年ぶりの花火大会も見に行きました。カンボジアで暑い気候は慣れているはずなのに、毎日蒸し暑く、家で好んでする仕事は、ついつい冷たいお水を使えるお皿洗いやお風呂掃除になってしまいます。
 そんな中、カンボジアからお便りも届けられました。新しい会堂で初めての礼拝を録音したものと、教会メンバーの声の便りをテープに入れて、ニャックルアン教会の青年メンバーが送ってきてくれたのです。懐かしいみんなの声と、賛美の曲、楽器の音は、ニャックルアンの風景とにおいを運んできてくれました。
 今年は久しぶりに教会の子供キャンプにも参加するので、今準備をしているところです。昔、青年会を一緒にしていた姉妹も忙しい時間をぬって出てきてくれて、共に準備もできました。夏休み、「ブレイブ・ストーリー」という映画がはやっていますが、今年のキャンプのテーマも、「神様が共にいるから勇気を持って生きよう」で、神様にある「勇気」をダビデから学ぶ予定です。お話しも担当しているので、私自身も勇気についていろいろ考えさせられています。参加する子供達が、「勇気」をもって人を愛していけるように、どんな状況でも神様に従う「勇気」を持つことができるように、「勇気」を持ってありのままの自分を神様の前に明け渡すことができるようにと子供達のために祈っているところです。

【祈りの課題】
1.9月、山口県の各教会、山形・仙台をまわって、10月1日でデピュテーションは終わります。最後まで、各教会での交わりと報告が祝福されますようにお祈りください。
2.11月初旬にカンボジアに出発する予定です。西村師自身が神様とのよい関係の中で、出発に向けて整えられますように。


「3ヶ月半経ちました」
横山基生、好江

自宅オフィスが整ってきました  七月の働きのためにお祈り下さりありがとうございました。四月十五日に帰国してから六月三十日の日本委員会と「世界宣教の夕べ」まで、無我夢中で突っ走って来たようです。初めてことばかりで、手順も悪く余計に時間がかかった面がありました。宣教のチャレンジを受け霊に燃えた時もありました。
 しかし、やはり七月に入り疲れが出できました。幸い大きなプログラムはなく、やり残してきた身の回りの整理をしたり、夫婦二人三脚のリズムの仕切り直しが出来ました。とかく事務的な仕事に追われてしまう中にあって、具体的に人と交わり、主を中心に証しし合うこと、主の愛を分かち合うことの必要性を感じた月でした。八月は再び外出が多くなります。バランスの取れたリズムで活動できるように祈り求めています。(基生)
 「荷ほどきして収まるべき所に物が収まったら落ち着いてくる」と言います。私達夫婦も帰国して三ヵ月半。家を空ける時間が多かったこともあり、徐々にそこに近づいており感謝です。数日前、英国に一年間帰国したオア宣教師より「留守中使って下さい」と本棚三つを含む家具五点を譲り受け、商売道具(?)の本類をやっと箱から出すことができました。徒歩十五分の所にリサイクルセンターがあり、そこからもファイル棚等の家具が届きました。夫婦それぞれの机が整い、仕事の生活も軌道に乗り始めました。私達が住む住居棟の横にオフィス棟があり、そこに総主事室があるのですが、二人それぞれパソコンを並べて仕事をするスペースは取れないと判断し、もっぱら接客用になっています。
 市川市の市民健診を受け、続いて様々な検査を受けています。久し振りに受ける日本の医療サービスに、イギリスとの違いを実感しています。イギリスの国民健康保険は収入に応じて各自負担金を払いますが、実際に医者にかかる際には全く無料です。入院してもお財布が必要なかったのには、最初ビックリしました。その代わり、各医療機関に国から予算が割り当てられており、それに応じて医療サービスを受けられるため、命に関わる重病でない場合には待たされます。私も掛かり付けの医者から、専門医による検査を指示され、その検査に至るまで一年半待たされたことがありました。これはごく普通のことで、癌患者が待っているうちに死亡したとニュースになり議論されたこともありました。今回市川市の健診では二点で引っかかり、検査を次々と受けました。「イギリスでは、やって下さいと願っても検査に辿り着くまでが長かった」と感謝して受けていましたが、その分お金がかかり「今月の予算からして大丈夫かしら」と少し不安になりました。私達が願う前から必要を知り、それを満たすことができる天の父を、改めて仰いだことでした。(好江)

【祈りの課題】
1.日本各地で開かれているOMF祈祷会に新しい祈り手が与えられ、宣教のためにさらに祈りが注がれて、主の栄光が現れるように。
2.OMF日本委員会を代表してシンガポールでOMF国際会議に(9月18日〜22日まで)出席しています。今後10年の計画が審議されます。理解すべきことを理解でき、発言すべきことはすることができるように。

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