2006年11月号
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「タイのイスラム教徒たち」
タイは仏教国として知られていますが、少数派のイスラム教徒も約四百万人ほど全国に散らばって住んでいます。そのほとんどがタイ最南の州とバンコクに住んでいます。
首都人口1100万人の内、イスラム教徒人口はだいたい100万人で、固く結束したコミュニティーが都市のあちこちに散在しています。モスクの数も160を超えています。
民族的にはマレー人のタイ・イスラム教徒は国境の州、パタニ、ヤラ、ナラティワットに住みパタニ・マレー人として知られています。その人口は2500万人を超えるタイ南部の総人口の約80パーセントを占めています。
クリスチャン人口はほんのわずかで、主を信じる彼らは疑いの目で見られます。理由は簡単で、変化を否定的にとらえる社会では、宗教を変えることは地域の共同体の調和と安定に対する脅威と見なされます。もっとひどくなると、そのような背信は神の怒りをかい、共同体全体に不幸をもたらすと考えられてしまうのです。
主に立ち帰るということは共同体の調和をおびやかし、共同体を危険にさらすことである以上、新しい信者の家族が、しばしばあらゆる手を尽くして、主への信仰を取り消そうとするのも驚くにはあたりません。
悲しいことにキリスト教が脅威とみなされているため、「よき知らせ」はタイのイスラム教徒にとってはむしろ「悪い知らせ」に聞こえてしまうのです!タイのイスラム教徒のためにお祈り下さい。
津波を乗り越えて
ヘームさんはタイの西海岸の漁村で八人の子を養う46歳の漁師です。津波が彼の船を奪い取ってしまうまでは、長男と次男を連れて漁に出かけ、妻のバーさんが取れた魚を市場で売って生計を立てていました。
ヘームさんの村は幸運な方でした。津波の犠牲者はわずか2人、14歳の男の子とバン・バオという名の男性でした。その他の人々は2番目の波が襲ってくる前になんとか高台に逃れることができたのです。
ヘームさんはその後に与えられた助けに感謝しています。彼の家は修復され、クリスチャン達が新しい船を再建するための必要資金を払ってくれたのです。船はもうすぐ出来上がりますが、網とその他の漁に必要な道具をどう手に入れるか、まだわかりません。
奥さんのバーさんは、子供達をどう養ったらよいかと気をもみ続けています。末の二人の子供達が悪夢でうなされ続けているなど、両親ともに子供達のことを心配しています。
タイ西海岸に住む、愛する人々や生活手段を奪われた人々、今もカウンセリングを必要としている人々のためにお祈り下さい。
恐れの中で
南タイに住む人々は、過去2、3年は多くの苦しみを味わいました。事の起こりは2004年1月で、その年はそれがエスカレートした状態でした。1500人もの人々が殺され攻撃は日常的に行なわれています。
この地域の政情は複雑かつ不明瞭なところがあり、殺人と爆弾事件の容疑者はイデオロギー、もしくは欲望や恐怖に駆り立てられたのかもしれません。いずれにしてもはっきりしていることは、多くの何の罪もない人々が日々殺され、傷つき、苦しみを受けているということです。この地域の多くの人々にとって、恐怖は人生の一部となってしまっています。平和と憐みと正義という、神のみこころがなされるようお祈り下さい。
変化に適応する
バスが停まり、そこから降りたムスタファはバンコクの汚れた空気で一呼吸しました。時はもう六時、イスラム教徒に必須の5回の祈りの一つを捧げるため、遅れずにモスクへ行きたい‥‥彼はそう思っていました。
数多くある運河の一つのほとりにある木造の家に着くと妻が出迎えてくれました。急いで水浴びをして、新しいサロン(腰巻に使う布)とシャツと祈りの時にかぶる帽子を見に着けると、ムスタファはもよりのモスクへ歩いて行きました。
彼はバンコクに住む約100万人のイスラム教徒の一人です。大多数の仏教徒の人々とは距離を置いて暮らしてはいますが、イスラム教徒と仏教徒はよく同じ共同体の中で平和的に共存しています。ムスタファは公用語であるタイ語の読み書きができます。タイ語のコーランも手に入りますが、イスラム教徒のほとんどは理解できなくともアラビア語でコーランを読んでいます。バンコクのイスラム教徒も物質主義、メディアの影響、雇用のなさと麻薬常用の中に生きています。ムスタファは10代の息子ハッサンが麻薬中毒でないことを喜んでいますが、成長して大学へ行く時期にはどうなるだろうかと思っています。
ムスタファは又、なぜ宗教的な教えが若者の多くに何の影響も与えないのだろうかとも思っています。息子の友人の多くは宗教的義務を行なう意志はありません。彼らには重荷なのです。
モスクを出て行きながら、ムスタファは今日も一日を過ごせたことを感謝しました。しかし、彼には知るよしもありませんが、今日もまた彼にとってはキリストを知ることのない一日だったのです。
ムスタファのような人々と、信頼関係が築かれるようふさわしい方法のためにお祈り下さい。
疑問を持ちながら
ポンドック学校。この名は南タイの南端部とマレーシア北部にあるイスラム教徒の子供達の全寮制学校に通常与えられる名称です。そこは単に宗教的な学びの場以上の存在−つまり南部にあるほとんどの州のイスラム教徒にとって、マレー語とイスラム教徒としてのアイデンティティが誇りをもって教えられ、強化される重要な社会的機関なのです。
過去五十年間に、多くのポンドック学校が政府に登録し、イスラム教徒の私立学校となり、名称を変えてきました。今はイスラム的な科目と共にタイの標準的なカリキュラムも教えています。これは移り変わる世界が、ポンドック学校に変化を迫っていることのただの一例に過ぎません。
ポンドック学校が消滅するきざしはありませんが、そこに送られてくる子供達にとっては、教室で教えられる答と、めまぐるしく変化する南タイの現実の中にあって生じてくる疑問との間に大きなギャップが存在します。
こうしたギャップが目の前に現われる時はいつも、イスラム教徒の青年達は学んできた教えが、現実社会に関係あるのかどうかと問うのです。また、ポンドック学校は問題を起こした子供が矯正目的で送り込まれる場でもあります。
ポンドック学校で学ぶ子供達が真理を追い求めることができるようお祈り下さい。
「クーデターの中で」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師
お祈り頂いたクーデターは平穏な中の政権交代のようですが、チェンマイにも軍隊は出動、戦車も配置されました。教会の兄姉が許可を受け苦心の末、写真を撮ってきました。ほとんど時を同じくして、教会には大阪キリスト教短大のスタディ・ツアーの方々が来られ、夜の街でのストリートチルドレンの実際の姿を案内してもらったり、NGOの団体の施設を訪問したり、聖日には伝道的な証しとメッセージの幸いなご奉仕をしていただきました。
イタリア・ミラノ、東京・小金井、タイ・チェンマイと、牧師達・友人がEメールの連携プレーと連携プレヤー(祈祷)の結果、ミラノより来られた女性が信仰に導かれ、十月一日の聖日の朝、受洗されました。いろいろなご事情と、こちらに来られてから、手術や角膜を砂埃で傷つけ失明の危機から守られ、交通事故、長期の下痢、失業、ビザ問題等々のさまざまの問題・困難を乗り越えての洗礼の朝でした。ただただ、主の御配剤と祈りの結果だと、喜びと共に主をあがめています。(孝篤)
【祈りの課題】
1.10月1日に受洗をされた姉妹、受洗をして帰国された4名の兄姉、これから受洗したいと願っている方々の魂が守られ、祝されるように。
2.クリスマスが近づきました。よいプログラムが計画され、教会関係者ばかりでなく、一般の方々をも迎えられるような企画が得られるように。
「まるいこんにゃく」
一時帰国中 西村信恵
わたしのデピュテーションの旅も終わりに近づいてきました。今月は山口、山形を回った後、仙台の泉パークタウンでの日曜礼拝を今日終えて、最後の集会も無事終了しました。今月は初めて訪問するところも多かったのですが、暖かく迎えてくださいました。ビスケットを作って待っていてくださったS教会の奥様、たくさん笑ったR教会、宣教の思いを持っておられる方に出会ったS教会、元気な子供たちに出会えたK教会、それぞれの所でよい交わりが与えられて感謝でした。山形、仙台での芋煮会の芋煮もいただきました。まず白いこんにゃくに驚き、(西のほうでは黒いこんにゃくが普通)、丸い形のこんにゃくにも驚きました。山形では肉じゃが風味、仙台では豚汁風味の違った味のものを食べ比べることも出来て、おいしさを満喫しました。地域が違うとこんなにも文化が違ってくるんだということを実感しました。日本でのデピュテーション、同じ日本でもそれぞれの考え方、お料理の仕方、話のやり取りの仕方があることを知り、各々の良さも味わうことが出来ました。もうすぐカンボジアへ戻りますが、向こうでの良さも私がもっと発見できてカンボジアの方達のこころを理解することが出来たらと思わされ、祈らされています。
出発まではあと一ヶ月です。日本滞在での健康も支えられました。背後のお祈りを心から感謝いたします。皆様がこれを読まれるころは、どうやったらコンパクトに荷物をつめるかと頭を悩ませながら荷造りをしているころだと思います。出発に向けてわたしの心も整えられていきますように、カンボジアでスムーズに再適応していくことが出来ますようにもお祈りください。日本でのよい交わりのときを心から感謝して、伺ったそれぞれの教会の歩みを主に期待しつつ。
【祈りの課題】
1.カンボジアでの再適応のために。また、忘れているクメール語の再習得のためにお祈りください。
2.第2期の働きのチームの方達との一致と働きのためにお祈りください。
「国際会議」
横山基生、好江
シンガポールの国際会議のためにお祈りいただきありがとうございました。背後の祈りの力を覚え、励まされつつ五日間の会議を全うできました。お祈り・お支えを感謝します。
一八八三年、ハドソン・テーラー総裁が中国奥地伝道団(CIM)に祈りの要請をしました。「主が私達に託された働きを綿密に調べた結果、緊急にかつ多数の援軍の必要を覚える。神に召され、神に遣わされた男女が、私達に託された働きを共に担いさらに広げることを。母国(派遣国)の兄姉よ、収穫の主が援軍を送って下さるよう、どうぞ共に祈って欲しい。その方法や支援については心配していない。空の鳥、野の草を見よと主は仰った。神の国とその義をまず求めよ、そうすればそれらはすべて添えて与えられると。ただ神に召された者、神に完全に献身した者、主イエス・キリストを知る知識の尊さゆえに全てを塵芥と捨て去る者のみが加えられることが私達の願いである。」これを引用して第二代総裁D.E.ホウストは一九二九年に、二年内に二百人の働き人が与えられるよう祈りを要請しました。反外国人感情が高まった時期で、英米など派遣国からは宣教師を引き揚げるようにとの声が高く、CIM宣教師六百人余りが沿岸部に移動せざるを得ませんでした。この状況の中、ホウストは祈りを要請しました。状況は厳しい、しかし奥地の霊的必要は依然としてある、厳しい状況を苦とせずに奉仕する働き人、母国で当然だった霊的養いがなくても「御言葉が私の嗣業です」と言える人、侮辱・迫害の中で謙遜と柔和と寛容をもってキリストを伝えられる人、多様な同労者と和して働ける人、そのような器を主が送って下さるように祈って欲しいと要請しました。その二年後に二百七人が与えられたのでした。
それから約八十年経った、この夏。パトリック・フン総裁は現状を綿密に調べ、東アジア人宣教の五つのフォーカスを絞り、今後五年間に五十%増の働き人をと祈りを要請しました。人数とともに働き人の質において、完全な献身・犠牲・聖さが求められます。
国際会議でこれが討議され、出席者の総意としてまとめられました。皆で神の御心を求め、祈り、宣教の主が聖霊によって導いて下さったとの一致がありました。これを求めるからには自らの信仰・姿勢も問われます。受け入れ態勢も整えないといけません。「主が示された、主に求めていこう、主がどのように答えて下さるかを委ねて、主に期待していこう」と、収穫の主に祈り求める歩みに加えられていることを感謝しつつシンガポールから帰って来ました。
【祈りの課題】
1.11月16日、昭和聖書教会で行なわれる大阪OMF宣教祈祷会(7〜8:30pm)に横山師が伺います。近隣の諸教会の方々に来ていただき、主の前に心を合わせ宣教のため、東アジアでの種蒔き・収穫のために祈れますように。
2.11月21〜23日に行なわれる近畿宣教教会会議に横山がOMFのコーナーで奉仕します。東アジア人宣教に興味・重荷のある方と出会えますように、このための祈り手や宣教の器が起こされますように。
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