2007年6月号
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「あるCANの国の働き人から」
「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル三・七〜八)
「両親は、絶対に権力者のことを批判するな、彼らについて否定的な思いを持つことすらもいけない、と言います。」(二十三歳、大学卒業生)
「私の家は平凡な家なので、仕事が見つけられません。権力者に知り合いがいないものですから。」(二十二歳、大学卒業生)
「国際会議の開催中、学校も職場も全て休まなければなりません。伝統的な服を着なかったら罰金を取られます。」(ある若い女性)
「今の仕事をやめて他の所でもっとやりがいのある仕事につきたいと思うのですが、父親に止められています。父と私の上司の関係をそこねてしまうからです。」(二十四歳、大学卒業生)
「ここの省から外に出たことがありません」 (二十歳、大学生)
宣教師が宣教師として入国できない国(Creative Access Nation,CAN)に住む青年たちは、自分達の住む環境がいかに狭く、管理されているかに気づき始めています。国々が他の世界に対して開かれていくと、人は比べるようになります。しかし、その後に人々の内に生まれる疑問や意見の変化はそう簡単に声に出すことはできません。
公共のイベントでは常に警察や軍が監視しています。こうした権力の象徴たちは根拠のないプライドをもって立っています。正義よりも支配力に根ざした権力を表しているのです。
人々は権力者を恐れて生きています。共同体、町、郡、省、国家は全て崇拝せざるを得ない権力主義的な構造のうちに建てられており、政令は遵守されなければなりません。
そして服従は同一性も意味します。人々は極力、自分で決断を下すことや自分の意見を述べることを避けます。先のことを計画するのは困難で、誰も責任を負おうとはしません。もし家や職場で何かが故障しても、そのことについては口を閉ざしている方がよいのです。
何とか自分達の意見を聞いてもらいたいと願う青年達の中には外国人達の所へ行き、自分の家族とすらも話したことのないようなことを話す人々もいます。国境の外からやって来た外国人は危険な存在ではなく、突破口となるのです。そしてそこで開かれた口を通して、私たちは彼らに神の声を知らせることができるのです。
外国人が、宣教師として入国できない国々でクリスチャンとして一貫した生活をしようとする時、母国にいる時と比べて、困難さはそう変わりません。そうです、OMFが福音を伝えようとしている人々の考え方は異なっている場合もあり、彼らの日々の変わった行動に驚かされることもあります。しかし彼らの必要は私たちの必要と同じなのです。
南東アジアの国にいようと母国にいようと、私たちは皆、御父との関係を第一にし、その上で主に従い、主の業を担う責任があるのです。
CANの国とは公に伝道活動ができない国です。しかし私たちの内、どれほどの者たちがそれができる母国でも福音を伝えているでしょうか?私たちは自分勝手な制限を設けているのではないでしょうか?神との交わりをはぐくむ為の時を持ち、職場や隣人の間でそれを実践することは、母国にいてもCANの国にいてもむずかしいことです。私たちはCANの国の人々に、誠実な生き様と専門職の質の高さを通して神の御声を伝えることをめざしています。そのための多くの手段の一つに英語教育があります。学生も社会人も英語取得の必要性をますます意識しているのです。商業的な英語学校は首都に多数ありますが、首都圏でも非営利の地方公民館においても、学生をケアし、よい学校としての評価を得ているのはクリスチャンの英語センターなのです。
CANの国に長期に留まり、その国の言葉を学ぼうとする人々は、よい信頼関係をはぐくむことができます。多くの学生たちは授業外に先生・生徒の関係を超えた機会をつかみ、そこで培われる友情を通して多くの人々が生まれて初めて神の御声を聞くのです。
短期間の働き人たちも又、人々に影響をもたらすことができます。学生達はなぜ人々が自分達のために助けに来ようとしてくれるのかということに好奇心を持っていますし、それぞれ異なる性格、興味、教え方を持つそれぞれの教師たちは、やはりそれぞれに異なる学生たちと「かみあう」ことができるのです。
これはチームとしての働きです。様々な国籍のクリスチャン達が質の高い授業を行いながらも、共に働き、家族的な開かれた雰囲気を提供する様は、しばしば言葉よりも説得力があるものです。
私たちがこの国で聞く声は率直さ、好奇心、そして様々な問題をしっかり考えようという積極性を表しています。こうした様々な声に応えなくてはなりませんし、彼らをご自身のもとに引き寄せ続けられるお方に感謝しています。
「この人達は俺達を助けるために来てくれたんだぞ。家賃をさげるべきじゃないか!」(六十歳台の男性が、貸家を持つ隣人に向って言った言葉)
「いとこが二年前に、ある一冊の本をくれたんです。今私は信じたいと思っています。一緒に教会へ行ってもいいですか?」(三十歳の英語クラスの学生)
「クリスチャンになっても、お寺に行き続けることはできますか?もしだめなら、両親が何て言うか‥‥」(ある若い女性の言葉)
「沖縄ゴスペルコンサート」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師
カレン族へのバプテスト宣教師大里英二師より沖縄からゴーヤー・チョンプルーという賛美ティームが来るけれど、聖日礼拝と、出来たら邦人向けのコンサートを日本語教会で開催できないか、との申し出を受けました。帰国者が多く、実働メンバーは十人そこそこの現況で、一ヵ月後の開催は無理かとも思いましたが、信仰とビジョンをもって引き受けました。中国人教会の会堂を借り、四十度の暑さの中、求道中の方々も総動員しての四月二九日の伝道的コンサートでしたが、三百人収容の会堂がほぼ満席となるような盛況でした。顔見知りの方々も多く見えられました。中国人教会の役員の方も、こんなに日本人をどうやって集めたのか?こんなにチェンマイに日本人がいたのか!と驚いていました。十四人のメンバーの、黒人の方も混じるゴスペルや内容の深いデュエット、福音のメッセージ、そして沖縄の民謡に最後は全員総立ちで手拍子や手を振る盛り上がりでした。「楽しい時だった、心が洗われるようだった」と皆さん仰っておられました。タイ国では集会の始まりは全員起立で国王賛歌が流されるのですが、教会堂ですので、考えた末、会衆に起立して頂き、牧師の私が国王とタイ国の祝福を祈るという形にしました。多分、タイ国で初めてのこのような試みだったと思いますが、皆さんに自然に受け入れられたようです。
その後の報告によると、インターネットのプログに、どこの方か分かりませんが、タイに来て人々の誤解と無理解に一人苦しんでいたけど、神様だけは私の心を分かってくれるんだとこのコンサートで分かったと書いている方がおられたそうです。私達も報われた思いです。多くの方々がこの地でキリストに導かれますよう祈っています。(孝篤)
【祈りの課題】
1.新年度、新しい留学生やシルバー・ビザで長期滞在される方々が教会に導かれるように。最近、礼拝出席者が少なめです。
2.コンサートに沢山の日本の方、今までコンタクトをとっていた方々が見えられました。この方々が礼拝にも来られるように。
「それぞれのチャレンジ」
カンボジア 西村信恵
四月のカンボジアお正月も終わりました。教会員たちは祈りながら田舎に帰っていき、それぞれチャレンジはあったようです。
「友達と遊びに行ったけど、賭け事と飲み事ばかりで、面白いと感じなかった。」と言ったのは、青年リーダーのワチャナー兄。
「どうしてお供えしないの?と、近所の人に何回も言われ、母親まで、それに加わったのが悲しかった。(お母さんはクリスチャン)」と言ったのはガンニャー姉。ガンニャーのお母さんは今、毎日のようにお供えをし始めて心が神様から離れつつあります。お祈りください。
「賭け事ばかりでいつも喧嘩が起きるからお正月の実家はすごくいやだったけど、今回は穏やかなお正月で、祈りを聞いてくださった神様に感謝。」と言ったのは、今年の二月にアルダス宣教師ご家族のお手伝いさんとして一緒にニャックルアンに来たスレイモン姉。彼女はまだ十九歳と若いですが、神様の前に忠実に歩みを続けている姉妹です。
さて、四月の終わりの土曜日の夜、青年会が終わるころに、「子供を捜してきた。お金も食べ物もなくなった。一晩泊めてほしい」と言って男の人が一人尋ねてきました。「教会の男子寮なら。(教会の隣の家を、遠くから来る学生のための寮として使っています)」と言う意見あり、「この時期泥棒も多いし、もし、何かいろいろ取られたら、大家さんの物まで責任持てないよ。」と言う意見もあり、なかなか決まりません。でも、「今日も隣人に愛を示すことを学んだし、せっかく教会に来たのに、冷たくしてはいけないのではないか?愛を示すべきではないか?」ということになり、寮に一晩泊めることになりました。その次の日曜日、その男性は礼拝に出席し、教会のリーダー達は家に帰るまでの旅費を教会から援助し、彼のために祈って送り出してあげていました。この男性はベトナム人で、国境沿い近くからやってきていました。祈られて、涙を浮かべて帰っていきました。いつもなら、「宣教師先生、何とかしたら?」と言う展開だったのが、今回は、彼らが自分達のこととして受け止め、話し合い、決定し、祈って祝福を与える結果になった出来事で、彼らにとって一歩前進の経験だったのではないかと思います。神様がひとりひとりを成長させてくださっていることを思い、感謝しました。
【祈りの課題】
1.6月第1日曜日に教会員のご両親を招いての礼拝をします。教会員の父親が2人、2回ほど教会に足を運ばれ、家族が少しずつ心を開いてきています。お祈りください。
2.カンボジアのお正月後、信仰が弱くなった教会員が何人かいます。また、迫害の受け方がひどくなった方もいます。教会員の信仰が守られ強められますようにお祈りください。
「毎日スコールだったシンガポールの十日間(恵みのスコールも)」
横山基生、好江
四月二一〜三〇日とOMF国際会議のためシンガポールに行って来ました。お祈りを心から感謝いたします。動員と人選に関わる会議に続き、アジア九カ国のリーダーだけで二泊のリトリートがありました。大変有意義な時となり、様々な恵みを主からいただきました。私達の祈りに豊かに答え給う主は素晴らしい御方です。御名を崇めて感謝します。
「これからの五年間に九百人の働き人を祈り求めよう。」昨年九月に行なわれた、OMFの最高議決機関である国際会議で出された声明にはこのポイントが謳われています。九百人のうち七百人が直接伝道に携わる働き人、二百人はその背後にあって支える働き人です。〇六年までの五年間には約六百人が与えられましたので五十%増になります。直接伝道に関わる七百人が安心して奉仕するためには二百人のサポート・ワーカーは欠かせません。私達のような立場で、働き人・送り出す教会/教団・OMF日本委員会の間で連携を取る働きをするような者もいれば、事務・会計を担う者も必要です。働き人の子弟をケアするサポートも必要になります。
このような必要を基盤とし、派遣国と宣教地がどのように連携していくか。人選において、また相応しい派遣先や具体的な働きにどう導かれていくか。「聖霊に敏感に聴き従う業である」ことを確認しながら、派遣国と宣教地計二十ヵ国から集まった担当者七十人余が、互いの意見に耳を傾け、「主が召しておられる器が、主の時に、主の方法で、主がその人のために用意しておられる奉仕に就けるように」と熱く語り合い総意をまとめていきました。
昨年九月の国際会議で出された五つの優先順位も確認され、そのために働き人を祈り求めようと祈りを新たにしました。一.イスラム教への働き、二.仏教を背景とする民への働きの強化、三.中国への働きの拡大、四.ディアスポラ伝道(世界各地に住む東アジア人)、五.東アジア各国独自の宣教運動を励ます。主の御心であれば、主ご自身が、ご自身の選びの器をこれらのために起こして下さることでしょう。
働き人の質においても、聖さと犠牲をいとわぬ献身が求められます。既に宣教の場にいる者達にもこれが問われ、新しく加わる者達を訓練・指導していくことが求められます。徹底的にキリストに倣う者としていただきたいと祈らされました。主の前に自らがどんな者であるかを知り、互いのために祈る同労者が与えられていることを感謝しました。皆様の祈りが大きな実を結んでいることを覚えて主に感謝します。(好江)
四月十七日に日本から宣教師を送り出している十九団体の協力会(JOMA)の総会がありました。その前に開かれた「今日の宣教の多様性の現状と課題」に関わるパネルディスカッションでは、パネリストの一人として欧州での日本人伝道に関わる報告とビジョンを語らせていただきました。総会では、順番で回ってくる務めとして、私が会長の任に当たることになりました。お祈りに覚えていただけると感謝です。(基生)
【祈りの課題】
1.6月9日(土)にBridge Builders(ブリッジ・ビルダーズ)の集いを持ちます。一人一人が恵みの橋渡しの役を担い、帰国者のケア/求道者を導く/地域のクリスチャンの交わりを活性化させる等の主の働きを学びます。一人でも多く集められ宣教のネットワークを広げることができるように。
2.6月18日から22日まで北海道のニセコ町で日本に派遣されているOMF宣教師たちの3年に一度のカンファレンスがあります。私達も招かれ参加します。お互いをよく知り合いネットワークを築くことによって、さらに主の宣教が前進するように。
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