TOP PAGE OMF@宣教師.come 宣教ニュース 東アジア宣教ノート 宣教カレンダー OMFについて リンク e-mail



2008年8月号  page1  page2


「豊かな実りの地へ」
OMFカンボジア

プラック一家  その兵士達はクメール・ルージュの戦闘服を身につけて、銃を抱えていました。その様子にいつもと変わった所はなく、ダニエル・プラックはその朝も兵士達がいつものように任務についているのだと思っていました。しかし、その朝は当時十三才のダニエルと、彼の父親にとっていつもと同じではなかったのです。兵士は父親に対しこう言いました。
 「村へ行って竹を切ってこい。これはオンカーの命令だ。」
 ダニエルの心は恐怖に凍りつきました。オンカーとはクメール・ルージュの指導機関です。ダニエルには、兵士の言葉の本当の意味がわかっていました。それは父親にとって、竹を切りにいくのではなく、連れて行かれ、処刑されることを意味していました。父親はカンボジアの「キリング・フィールド」の犠牲者の一人となったのです。
 ダニエルの父親は兵士達に、「息子にお別れを言いたいので、少しだけ時間をください。」と頼みました。そして自分の腕時計をはずすとダニエルに渡し、「お母さんとみんなを頼むよ」と言いました。それが父と息子の最後の会話となったのです。
 ダニエルの父親は高学歴で、学校の校長を務めていました。一家の生活は安定していて、ダニエルは普通に学校に行き、友達と遊び、家族と一緒に定期的に寺に集っていました。しかし一九七五年の四月十七日、共産主義のクメール・ルージュが独裁政権を樹立したその日、全てが変わってしまったのです。それから三年余の間、共産主義者たちは地方を殺戮の場とし、二百万人以上を虐殺し、人々は恐怖の日々を過ごしました。
 政権を握るや、クメール・ルージュはただちにカンボジアの知識層、教師、医師、弁護士、技師といった、政権にとって脅威となりうる人々を計画的に排除し始めました。「初めは何事もないように見えました。しかし、二、三日後には、アメリカが町を爆撃しようとしているので、直ちに町から出るようにとの命令が下ったのです。」人々を町から追い出すと、政府は両親と子供たちを引き離し、別々のキャンプに送りこみました。当時まだ十歳だったダニエルは一日十五時間、一週間に七日働かされ、同時に毎日教室に行かされました。そこで子供たちは両親を敵とするよう教えられ、少なくともクメール・ルージュにとっては完璧な社会を樹立するために洗脳されたのです。
 劣悪な環境は心身をむしばみ、ダニエルの姉妹の一人が飢えで命を落としました。そしてさらに血にまみれた粛清からほぼ三年近くたって、ダニエルの父親も処刑されてしまったのです。
 その後間もなく、クメール・ルージュが隣国ベトナムに侵攻しました。しかしベトナムは反撃し、逆にカンボジアのほぼ全域を制圧しました。こうした両軍の銃撃戦にまきこまれながらも、(ダニエルのいとこの一人は重傷を負い、叔父は両脚を失って失血死しました。)ダニエルの一家は命からがらタイ国境の難民キャンプに逃れました。そこから一家は一九八〇年当時、十三万人が収容されていたカオイダン難民キャンプへ移送されました。
 キャンプで働く欧米人達の中には宣教師達もおり、そこでダニエルは身体だけでなく、魂のための食物も与えられたのです。「皮肉なことにね、」とダニエルは当時を回想して言います。「難民キャンプの教会は仏教寺の隣にあったんですよ。」
 ダニエルは仏教徒として、全ての戒律を守り、良い人間になろうと努力を重ねてきました。しかしそれでも自分が充分良い人間だとは思えませんでした。最初、彼は宣教師のメッセージに興味を覚えましたが、心を開くところまではいきませんでした。しかしその後、あるカンボジア人牧師が救いについて語るのを聞いた時、彼は福音を受け入れたのです。
 ダニエルは聖書の学び会や聖歌隊に参加し、教会員として新来会者も出迎えるようになりました。しかしダニエルの心の中には依然として父を殺した兵士達への憎悪があり、軍に入隊してクメール・ルージュを崩壊させてやると、かつて自らに誓った約束を忘れてはいませんでした。
 しかし一九八一年、プラック一家はアメリカはテキサス州のヒューストンへの移住を許されました。欧米社会での再出発は容易ではなく、一家は別のカンボジア人一家と一つの寝室を分け合いながら、経済的にも苦しい日々を過ごしました。結局、一家はオレゴン州に定住し、ダニエルはそこで英語を学び、車両整備士として働きました。そこのカンボジア人教会で、彼はアメリカ人のスーザンと出会い、一九八五年に結婚し、家族を持ちました。
 主を信じて何年か経ちましたが、ダニエルは心の中にある憎しみとの葛藤を続けていました。しかし、ローマ人への手紙十二・一七〜一九やマタイ五・四四のようなみことばに戻る経験を繰り返しながら、彼は少しずつ心の中の怒りと折り合いをつけられるようになったのです。
 スーザンは看護学校を卒業し、ダニエルはカリフォルニアのある高校のキャンパスの警備責任者として働き、プラック一家の生活は安定していきました。しかし、ダニエルとスーザンはお互いが出会った時から、カンボジア人への重荷を分かち合っていました。一九八五年の結婚当時には宣教師になる考えは遠いものでしたが、九〇年代後半にはカンボジアの政情も安定してきました。
 そして二〇〇一年、姉妹を訪ねるべくカンボジアに一時帰国した時、ダニエルは故郷の村の人々が福音に飢えていることを発見したのです。
 「村人たちは、僕に『家に来て、神さまのことを教えてほしい』と言うのです。自分のまわりを見回した時、僕はそこでの宣教の必要の大きさを見ました。人々が福音に対してこんなに心を開いているのを見て、ただ圧倒されるばかりでした。」
 一ヶ月ほどの滞在の間に、七人の村人がキリストを受け入れました。ダニエルの心の中に母国の人々への愛が再び燃え出しました。妻のスーザンはこう言います。
 「ダニエルが母国の人への新しい情熱を持って、アメリカに帰ってきたことに余り驚きはありませんでした。」
 アメリカで住んでいても、二人の心は東アジアにあったのです。
 二〇〇四年秋に一家はカンボジアに戻りました。それから三ヵ月間、彼らはプノンペンの教会で働き、OMFが女性工場労働者のために作った寮を見学し、教会開拓の働きを見ながらカンボジア中を廻りました。
 彼らはダニエルの故郷であるクタサット村にも戻りました。そしてある日の礼拝中、教会リーダーがこう言いました。
 「今ここでキリストを受け入れたいと思う人は立って下さい。」
 驚いたことに、三十人もの人々が応答しました。リーダーはダニエルに、キリストを受け入れる祈りを導いてほしいと頼み、ダニエルは喜んで応じましたが、それは同時にチャレンジでもありました。三十人ものの魂が、福音に心開かれていたにもかかわらず、ダニエルが戻るまでの三年間待ち続けていたという事実が、一家の心に深く響きました。
 近年、カンボジア国内の教会は大きな成長を続けています。一九九〇年にはプロテスタント教会のクリスチャン人口はわずか千人であったのが、今日では二十万人を越えています。それでも千百万人以上のカンボジア人がまだ福音を知りません。
 かつての「キリング・フィールド」の地は、今では多くの霊的収穫を生み出す豊かな実りの地なのだと、ダニエルは信じています。


「熱き女性たち」
日本 佐味湖幸

礼拝説教の奉仕のためにもお祈りください  六月、ある国の宣教大会で、大阪の祈祷会で、また、電子メールを通して、宣教に燃える熱い女性たちとの出会いがあった。
 十四カ国から六百人を超える参加者があった宣教大会。集まった者の心は一つ。「あの閉ざされた国に福音を!」 大会中のある日、横目でちらっと見ると、隣で食事をしているのは、非常に洗練された美しさと知性を感じさせるアジア人女性三人。英語で会話中。こちらは、美貌?知性??日本人女性二人、日本語で会話中。あちらも、こちらをちらっと見ている。双方が話の切れ目になったところで、互いに自己紹介をし合った。その後、この三人とまた食事の時、隣同士になり、恋愛や結婚の話、仕事の話、そして、主の働きについて話がはずんだ。彼女たちは米国に住むアジア人。見かけだけではない。正真正銘かなりやり手のキャリアウーマンたちだ。それぞれ仕事を持ちつつ(きっとそれなりのいい稼ぎといい生活もしつつ)、しかし、そこに満足しているわけでなく、主の宣教の働きに具体的に取り組んでいる。この中の一人は大会中、ある分科会の講師の一人だった。びっくり!この人この若さ(三十歳代)で、クリスチャンとして起業する話のアドバイスをしている。それも、あの閉ざされた国で!やる〜っ!
 同じ宣教大会で、親しくなった二十歳代のアジア人女性二人組。彼女たちはイギリスで仕事をしている。この夏休み、教会の青年会で宣教旅行を計画中とか、それも、あの閉ざされた国を目指して!
 大阪のOMF祈祷会には最近新しい方々が入れ替わり来られる。四月から二回目だという女性が二人、六月の祈祷会に来られた。もう四年以上、この祈祷会に来たいと願いつつ、なかなか来れなかったという。長年、中国への働きに重荷をもってきたそうで、最近の中国訪問の様子を熱を入れて語って下さった。
 「初めてメールします。しばらく前から連絡をとりたいと思っていました。東南アジア宣教に興味があります‥‥。」と、ある神学生からメール。待ってました!只今、一緒に夏休みの宣教視察旅行計画中。これからの主の導きが楽しみ!
 これらの女性たちとの出会いと、宣教への情熱、話をしていると、もうわくわくしてきます。しかし、先の三人のキャリアウーマンたちも言っていました。「でもねえ、成熟したクリスチャンというか、宣教に情熱持っている男性のクリスチャンってなかなかいないのよ!」ですね…。

【祈りの課題】
1. 神様からの召しに従って、アジア宣教のために立ち上がる人たちがさらに起こされるように。ある人は祈り手として、ある人はプロフェッションをもって、ある人は直接宣教のために!
2. 8月17日から26日まで、フィリピンへ研修と宣教視察旅行の引率で行きます。台風や病気、事故などから守られ、良い研修と宣教視察ができるように。


「巡回の恵み」
カンボジア 一時帰国中  今村裕三、ひとみ

ホームステイ先のギレンさん家族とともに  とうもろこしと茄子が実をつけ始めた東海地区を巡回中です。皆さまのお祈りに支えられて一人巡回、守られ、祝福を頂いています。
 巡回大変ですねと声をかけていただきますが、肉体的には多少きつくても、多くの恵みがあります。予定の半分が終わり、百五十を超える教会や集会を訪問しました。様々な教会を訪問することで、牧師やリーダーとの交わりを通して多くのことを学んでいます。今の日本の教会の現状、福音を伝えるための様々な方策、また、特に五年前に訪問した教会では、五年間の変化を見ることができます。オリンピック開催よりも長い期間、日本にいないことが多いのですが、この教会巡回を通して、日本の教会のことを学び、祈りへと導かれます。なにより日本の教会が世界宣教に関わることで、多くの祝福と恵みを頂いている姿を見ると、大いに励まされます。労している牧師やクリスチャンが主から知恵と導きを頂きながら、主の業が成されるように祈ります。(裕三)
OMF祈祷会にて。元宣教師・牧師も現役の祈りの戦士  ニュージーランドでの英語の学びのために、祈り、また具体的に支えてくださり、心から感謝します。「良い人間関係が与えられるように」とお祈りいただいていました。神様はそれを溢れんばかりに満たしてくださっています。皆さん励ますことがとても上手で、こんな良い環境で語学を学べるのは初めてです。
 ホームステイ先の家族は、二人の小さい子どもを抱えて忙しい中、とても親切にしてくださいます。来たばかりの、私のお誕生日も祝ってくださいました。教会は歩いて三分ほどの、英国国教会に集っています。そこには元OMF宣教師もおられ、その他にも良い交わりがたくさん与えられています。
 英語の学校は、十五歳から二十歳前半の若者がほとんどですが、みんなよい子ばかりで冗談を言い合いながら楽しく学んでいます。同級生に「ひとみは二十五歳?」と言われ、半分お世辞と分かりつつも気をよくしています。カンボジア人の男性も一人おり、時々、カンボジア語で話す機会も与えられています。
 月一回持たれているOMF祈祷会も家から近いところであり、参加しています。参加者のうち三人はOMFの前身のCIM(中国奥地伝道団)の宣教師の子どもで、中国生まれだそうです。その内二人は、その後OMF宣教師として奉仕された方で、歴史の重みを感じる祈祷会です。
 祈ることについて最近、礼拝の説教で教えられました。私は今まで「語学を学ぶ知恵が与えられるように」と祈っていましたが、ソロモン王の箇所が語られたときに「与えられた知恵を、神様のために正しく使う事が出来るように祈らなくてはいけない」と示されました。与えられた恵みの学びの機会を、謙遜に忍耐を持って、楽しみながら過ごすことが出来るようにお祈り下さい。(ひとみ)

【祈りの課題】
1. 8月は、関東地区の巡回をします。キャンプでも奉仕をします。福音自由教会・全国中高生キャンプと医科系聖研のキャンプで世界宣教についての分科会を担当します。世界に目を向ける祈り手が起こされますように。(裕三)ニュージーランドでの教会生活が守られていることに感謝。家庭集会やOMF祈祷会などにも出席し、交わりが与えられています。さらに英語の学びが進みますように。(ひとみ)
2. クラチェ教会の歩みのために。メコン川の川向こう(ストュンスワーイ村)で開拓伝道が進んでいることに感謝。中心的な役割を負っているヒム姉とセイハー兄の働きのために。集会のために家を開放しているニャッ兄とその家族のために。


「新しい命の誕生」
カンボジア・ニャックルアン  西村信恵

ポラーさんと  今月は、新しい命の誕生がいくつかありました。今月はその方たちを紹介します。どうぞ覚えてお祈りください。
 ポラーさんは、教会員の義理の姉のスレイニーさんに連れられて教会にやってきました。結婚以来続くご主人のいじめや暴力によってすっかり精神的にも参っていた彼女は、神様の福音を聞き、その日、イエス様を受け入れました。「皆に祈っていただいて、心がすっかり平安に包まれた。こんなに安心した気持ちになったのは初めて。神様はすごい。」と証します。ご主人は仕事も持たずぶらぶらしています。彼女は七月より、私の家のお手伝いさんとして働くことになりました。
 これまでも何度かニュースレターに書きました、福音の伝わるのが難しいプラサー村。ここからカエムさんが教会員のオムホーンさんに誘われ教会にやってきました。カエムさんも、この礼拝のあと神様を信じ、その二週間後には、家に祭ってある神棚、神々を全部処分したい、と申し出があり、教会のリーダー達とともに彼の家に行ってきました。その日はカエムさんの奥様と息子さんも、皆の前で神様を信じたいと告白し、ともに祈り、神様の子供となりました。奥様自身で、家にあった神々と、裏庭に長年祭ってあった神棚を取り除きました。大きなものから、御札のようなもの、大きな布に文字がかかれて吊ってあるものまで、全部で十もありました。神棚を取り除く時「ああ、あれは二十ドルしたのよねえ。」、「病気のたびに高い神々を買って祭ってきたのに何も起こらなかったのよね。」と、見ていた人たちからの声もありました。すべて取り除き、祈った時の彼女の笑顔の素晴らしかったこと。家族で神様の子供としての新しい歩みが始まりました。
 二十五歳のガイッさんは、青年会に集っていましたが、仕事が忙しくなったため一年以上、教会には来なくなっていました。訪問の際にはいつも元気な顔を見ることが出来ていたのに、彼女が癌にかかっているというニュースを聞きました。訪問を受けたその日、彼女もイエス様を受け入れました。今は彼女の癌は腸全体に広がっており、後二ヶ月程度だと言われています。弟さんは、毎日彼女に聖書を読んであげています。ご両親は大変な悲しみの中にいます。教会員も毎日彼女のために祈り、訪問しています。最近彼女は「大きな冠を受けた」夢を見ました。彼女のため、ご家族のため、どうぞお祈りください。
 そして最後に、教会員のビーボルとスレイオン夫婦に男の子が生まれました。予定日より一ヶ月も早く陣痛があり、最後には帝王切開でした。結婚後、二度の流産を経験した彼女にとっては待望の赤ちゃんで、本当に喜ばしい出来事でした。
 神様は素晴らしいことを始められています。教会員の家族が神様によって変えられてきています。新しく生まれた方たちの信仰の歩みのために、また、教会員の家族を神様が祝福してくださり、神様にある正しい家族として立て直されていきますように。生まれてきた赤ちゃんの成長のためにも、覚えてお祈りください。皆様のお祈りを心から感謝いたします。

【祈りの課題】
1. 8月13〜15日、青年キャンプが行われます。集う一人ひとりが神様と出会い、それぞれが主にあって成長できますように。青年リーダー達とともに準備を進めています。準備のためにもお祈りください。
2. プラサー村でのセルグループのためにお祈りください。新しく加えられたカエムさんご家族の信仰の歩みのために。

2008年8月号  page1  page2


TOP PAGEOMF@宣教師.come宣教ニュース東アジア宣教ノート
宣教祈祷カレンダーOMFについてリンクe-mail

Get Microsoft Internet Explorer   HFJカウンタサービス   Go,HyperForJesus!



OMFインターナショナル日本委員会■〒272-0035 千葉県市川市新田1-16-14
TEL:047-324-3286 FAX:047-324-3213 郵便振替:00100-0-615052

© 1999-2008 OMF International JAPAN. All rights reserved. designed by HFJ.