2012年12月号
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「イスラム教徒のために祈る ―マルコ2章に従って―」
聖書は様々な目的のために私たちに与えられています。その中には祈りの素晴らしい模範を私たちに与えることも含まれています。マルコ二章一〜一二節は、その模範の一つといえるでしょう。
あらゆる真理の物語や力ある祈りがそうであるように、マルコ二章は教師であり癒し主であるキリストが、人々をご自身のもとに招いておられる場面から始まっています。忍耐をもってイスラム世界のために祈り続けようとするならば、私たちはイスラム教徒にとって必要なものは全てキリストのうちにある、という揺るがぬ思いを持つことから始めねばなりません。ペテロは迫害のただ中にあって、どのように生きたらよいかをアドバイスするにあたり、まず最初に次のようなシンプルな言葉で語っています。「心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。」( I ペテロ三・一四〜一五部分)困難が余りに大きいがために、全てを満たされるキリストの御姿を見失ってしまうならば、私たちの祈りは忍耐の祈りというよりは、つぶやきへと堕ちてしまうことでしょう。
イスラム教徒のための祈りを、生けるキリストへの賛美をもって始めましょう。
また、ほとんどの人々がキリストのもとに集まる中、いったんキリストから離れて別の方角へ向かったわずかな人々がいたことに目を留めましょう。この人たちはどうしたのでしょうか。キリストからの恵みを受け、喜びにひたっていた時、彼らはこの恵みが必要な友がいることにハッと思いあたったのです。そしてその友は彼らが何とかしなければ恵みを受けられない状況にありました。偉大な宣教師のサミュエル・ズィンマー師は「魚に問題があるのではない。問題は漁師の方にあるのだ」と言いました。私たちはイスラム教徒のことを「伝道するのが難しい」と頻繁に語り合います。しかし実際の問題は、イスラム教徒たちのために上げられるべき祈りの手が余りに少ないことにあるのではないでしょうか。
快適で安全な暮らしを捨てて、愛をもってイスラム世界へと遣わされる器を神がさらに起こして下さるよう祈りましょう。
中風の人は身体が麻痺しているために、友人たちの助けが必要でした。自分の力でキリストのもとに行くことができないという点ではイスラム教徒も同じです。イスラム教を見下しているわけではありません。イスラム教は深遠な思想体系であり、世界の主要な宗教の一つです。しかしそれは人を生ける神との深い交わりへと導くことはできません。イスラム教はキリスト教の多くの部分を肯定しつつも、キリストの神性と贖いの死を否定する教えにおいてやはり麻痺の状態にあります。イスラム教とキリスト教の対立の歴史は、イスラム教徒から「敵」に歩み寄る自由を奪い、ほとんどのクリスチャンにとっても、イスラム教徒を愛することの障壁になっています。社会的な圧力のゆえに、イスラム教徒にとっては「キリスト教が真理なのかもしれない」と考えることすら大変困難です。しかし究極的には私たちが祈るべきなのは、霊的な麻痺状態に対してです。
神の御霊の力がイスラム教徒の人々を自由にし、いかなる形であっても―ラジオ・テレビ・文書・クリスチャンの友人の証、或いは夢を通してでさえも―伝えられる福音のメッセージに応答できるように。
マルコは次のように述べています。「そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れてこられた。」(マルコ二・三)この手足に麻痺のある人をキリストの足元に連れて来るためなら、どんなことでも協力してやろうとするチームの姿がここにあります。彼らは、自分たちにはこの友にあげられるようなものは何もないけれど、キリストのみもとに連れて行くことさえできれば、友は癒されるのだと知っていました。世界中の神の民が協力して共に努力しない限り、イスラム教徒がキリストのもとに来ることはないのです。
イスラム教徒の中で労している宣教師チームの一致のためお祈り下さい。道のりが長くひどく険しい時も、共に重荷を担えるよう恵みと柔和さが与えられるように。キリストの体として賜物を最大限生かすために、各団体の間によき協力関係が生まれ、維持されるように。
四人がキリストのおられる家に近づいていった時、一つの問題が立ちはだかりました。入口が遮られていて入れないのです。イスラム教徒への伝道に献身した誰もが、これと似たような感じを経験します。イスラム教徒が福音に心を開くには、初めて福音を聞いてから平均して七年はかかります。しかも全く反応しない人がほとんどです。たとえ福音に心を開いても、そのことを他者に明かすのは普通何年もたってからです。改宗者の群れが起こされるのも平均二十年はかかります。イスラム教徒の求道者にとっては疑いと迫害が、クリスチャンの友人らにとっては病気と恐れが今も変わらぬ現実なのです。
乗り越えられなく思える困難にあっても、働き人たちに忍耐が与えられるように。「屋根にかける梯子」を見い出す創造性と、必要ならば「穴をあける」ための大胆さも与えられるように。聖霊によって救いへの旅路を歩むに必要な希望が、求道者にそして共に歩むクリスチャンに与えられるようにお祈り下さい。
二章五節にはイスラム世界への祈りを力づけてくれる素晴らしい真理がこめられています。私たちは自分の祈りは無力で、はるかかなたのイスラム世界に影響を及ぼさないのでは、と感じがちです。祈っても何になるのだろうと思う時、私たちはただ、屋根が壊され、キリストが埃まみれになった四人を見上げ、「彼らの」信仰を見て、中風の友人に対して「子よ、あなたの罪は赦された」と言われたあの部屋に自らを置く必要があるでしょう。これは中風の人に必要だった信仰を過小評価しているのではなく、本人の信仰だけではなく、彼の友人たちの信仰がそこにあったことを強調して示しているものです。私たちの祈りは確かに変化をもたらすのです。祈りを通して働く私たちの信仰は、世界中のイスラム教徒の人生に祝福をもたらすのです。
このマルコの福音書の物語から祈りについて学べる最後の点に、待ちわびていたキリストと中風の人の出会いは、誰もが期待するような展開にはならなかったことが挙げられます。見物人は怒り、喜びの代わりにその場に見られたのは緊張と非難でした。イスラム教から新たに福音を信じた改宗者も、そしてその手助けをした人も同じような状況に直面します。宗教的リーダー達からの迫害、そしてそれよりさらに辛い家族からの迫害を受けることはめずらしいことではありません。改宗者の多くにとって、「キリストにある自由」は投獄や死の脅威と隣り合わせなのです。
世界中のイスラム教からの改宗者のためにお祈り下さい。彼らにとって福音を信じることは、私たちの想像をはるかに超える多くの犠牲を伴います。彼らに忍耐が与えられるよう、又、それによってキリストを新たに、そしてより力強い形で知ることができるように。その忍耐と勇気が彼らと共におられる神についての証となるよう祈りましょう。
「母教会の恵みを感謝して」
日本 菅家庄一郎、容子
主にあってクリスマスおめでとうございます。二〇一二年も最後の月を迎えました。皆様のお祈りとご支援を心から感謝申し上げます。十一月は三つの教会の礼拝で奉仕をさせていただきました。
一つはJECA中山キリスト教会で、午前中は伝道礼拝、午後は「教会が世界宣教のためにできることは」というテーマで話した後、小グループで話し合いの時を持っていただきました。こちらの教会は教会開拓を始めており、十分「宣教的」な教会ですが、さらに宣教について学びを深めたいという熱意が感じられ主に感謝しました。
二つ目は守山一麦教会で、私が中高生の頃から知っている教会です。多くは年配の方々でしたが、私が語る伝道説教に耳を傾けてくださいました。長く求道しておられる方が多く、はっきりした信仰決心に導かれる人が起こされますように祈らされます。
三つ目は派遣教会である名古屋一麦教会でした。新しく牧師になられた古田大展師の牧師就任感謝礼拝でした。若くして大きな教会の責任を任された古田師ですが、神学校を卒業して教会で奉仕し、既に五年目になっています。重責を担う古田師のためお祈りください。二か月に一度程度しか母教会では奉仕ができないのですが、行く度に多くの人々の愛と支えに感謝し市川に戻ります。お祈りを感謝して。(庄一郎)
十月、私の母教会堺大浜キリスト教会の四十周年記念会が持たれました。「恐れるな。語り続けよ、黙っているな。…この町にはわたしの民が大勢いる。」(使徒十八・九)のみことばを受け、牧師も会堂もない中堺大浜伝道所が生まれたのは私が五歳の時でした。この教会の交わりの中で育てられ、結婚によって教会から送り出されて早十八年。その間に神様は新たに主の民を増し加えてくださっています。その一人のある兄弟の証を少し紹介します。「私が大浜教会に初めて訪れた頃に中学生だった子どもたちが、次々に洗礼の恵みに与り、奉仕に励む姿をまぶしく感じます…あの日には全く想像もできなかった現実が、あっという間に起こっていく様は、まさに神のみによる、という表現がふさわしいと、振り返ってあらためて感じます。子どもたちが神の家族として大人とともに神様を知り、喜び、育っていくことが許される大浜教会に仕えながら、子供に礼拝する力を与えてくださって、ゆっくりじっくり育ててくださる神様を信じ、委ねていく喜びと平安に感謝する日々です。」彼と彼の奥さんは私の妹の友人です。小さい頃から家が教会なのが嫌で、教会にはあまりいい思い出がなかった妹を、主は時間をかけて取扱い、導き、アウトドアの活動を通して次々と友人を救いに導いて下さいました。まさに、神様の業です。「わたしの民」を集めるため、熱心に働いてくださる主は、私たち一人一人をリアルに取扱い、弱さや失敗をも益としてくださることを覚え御名を崇めました。(容子)
【祈りの課題】
1.東南アジアのイスラムを知るセミナーに参加された方の中からイスラム教徒のために祈る人、宣教師として導かれる人が起こされますように。
2.庄一郎師は16日埼玉国際キリスト教会、24日ザ・チャペル・オブ・アドレーション(イブ礼拝)で説教の奉仕をします。主の御言葉を解き明かすことができますように。
「やっぱり中国語で礼拝したい」
日本 木下理恵子
気がついたら、十二月号の原稿。今年ももうあと二か月。時間の経つのは何と早いのだろうと、なぜか今年は今まで以上に感じています。この一年も皆様の尊いお祈り、御献金をどうもありがとうございました。
最近中国語集会の姉妹のご両親が、引っ越してこられました。以前は中華教会に行っておられましたが、今は中国語集会を持たせて頂いている日本語の教会の礼拝に出ています。ただ日本語は全く出来ず、私が通訳していても、周りの人にうるさくて迷惑、日本語の賛美は歌えない、使徒信条も主の祈りもうまくいかない、やっぱり全部中国語で礼拝したい、中国語礼拝を持てないかと言い始めました。そして毎週でなくても月二回ぐらいから、中国語礼拝を持ちたいと言う人が増えてきました。ただ自分が属している、近くの日本人の教会に行っている中国人もいます。また必ずしも毎週礼拝を守っている人ばかりではありません。来たい時だけ、都合のいい時だけ来るというような思いなら、始めない。自分たちの礼拝だという責任を持って始め、奉仕し、続けて行く決意が無ければと言ってあります。中国人兄姉が主の前に祈り考え、主が望まれる決意をすることが出来る様、お祈り下さい。
今年の中国語クリスマス集会は十二月八日、東京の中国人教会の呉牧師がメッセージをして下さり、ご家族全員で来て下さいます。新しい人、求道者も加えられる、聖霊の働かれる時となる様お祈り下さい。
また夏に奉仕したフリーメソジスト中高生キャンプの参加者の何人かが、このクリスマスに洗礼を受けます。お祈り感謝です。クリスチャンとして成長し続けて行けます様に。十二月一日の彼らのクリスマス集会でご奉仕させて頂きます。良き再会、そして新しい人も加えられる祝福の集会となる様お祈り頂けると感謝です。
【祈りの課題】
1.中国語集会の仲間が、中国語による日曜礼拝を自分たちの責任の下に始め、続けて行く決意を持てるように。中国語クリスマス集会は12月8日に行われます。高円寺の中国人集会の呉牧師がメッセージです。新しい人も加えられ、主の働かれる時となるように。
2.夏に奉仕したフリーメソジスト中高生キャンプの参加者の何人かが、このクリスマスに洗礼を受けます。良き準備ができ、喜びの洗礼式となり、クリスチャンとして成長し続けられますように。
「ニュージーランド(NZ)での恵み」
日本 ディアスポラ伝道 横山好江
ディアスポラ伝道部では年二回、リーダー達が集まって会議をし、部全体に関わる議題に関して審議しています。この機会を用いて、これからリーダーになってもらえそうな人達を招いて一緒に訓練会を行ないます。十月八〜十二日と、今回はコーチングの訓練会を行ないました。コーチングはクリスチャンであるなしに関わらず広く用いられている能力開発方法ですが、クリスチャンにとっては大変有用な弟子訓練手段であることがよく分かりました。やり方を理論的に学ぶと同時に、演習もたくさんあり、毎回相手を換えて一対一で練習できたのがとても良かったです。主は聖霊によってクリスチャン一人一人に願いを起こさせ、いろんな面で成長させて下さる。コーチの役を担う者は、神と歩調を合わせ、相手の思いを傾聴し、その人が神の御旨をよく聴き、行なうことができるように伴走する。そのために適切な質問を投げかける。主要点をまとめると、このようになると思います。自分の具体的な課題を使って演習するのですが、五分という短時間の中でも、ある一つの課題に絞って傾聴してもらい、課題の核となる部分が明らかになるような質問をしてもらい、次にどのようなステップを取るべきかが自然と導かれ、主がそれを示して下さったと信じてお従いする決心が与えられます。このような体験をして、自分の日々の奉仕にも早速実践してみようと思いました。核心に至るような質問をすることが大変重要で、学んだことをまずは自分の生活で夫婦関係に応用してみたところ、良い効果が実感できました。日々の奉仕で、また帰国者を励ます中で実践できるのが楽しみです。
訓練会が終わり、土日と奉仕。土曜日はNZのクリスチャンを対象に、どのように東アジア人伝道をするかというセミナーを行ないました。私は日本人伝道の分科会を担当し、京都でクリスチャンになったNZ人女性や、NZで入信した日本人姉妹数名とお会いし御名を崇めました。十一月末のANRC12(全国帰国者大会)での再会を約束して別れることができ感謝しています。
【祈りの課題】
1.12月1日、在欧日本人宣教会主催の帰国者クリスマスが持たれます。帰国者兄姉のために豊かに用いられますように。
2.10月16日、ディアスポラ伝道部リーダー会議の最中にケンプ部長のお父様が亡くなり、ケンプ部長は急遽帰国しました。遺族の上に主イエスの慰めを、そして何よりも救われるようにお祈りください。
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