2013年1月号
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「宣教を通して変えられて」
アラン・ウェブ牧師
一九五七年、大吹雪がアメリカはオレゴン州のサレムという町を襲った時、クリスチャンアンドミショナリーアライアンス教会という、二十五人ほどの小さな教会の屋根が陥没してしまいました。修理費のあてもなく、教会を再建する望みもほとんどない状況にあって、長老たちは教会を閉鎖することを決め、教会員たちに他の教会を見つけてほしいと伝えました。
「そんなことできませんよ。」ある女性教会員が声を上げました。「この教会を閉鎖するなんて、できません。」「どうしてですか」という長老達の問いに彼女はこう答えました。「宣教師たちがいるからです。」そして「ここを閉鎖したら、私たちの宣教師たちが帰って来られる教会がなくなってしまうじゃありませんか」と言ったのです。
彼女の思いが長老たちの心を動かし、その後教会員たちは何とか屋根の修理費を工面しました。そして今日、オレゴン州サレムのその教会には二千人ほどの人々が集い、三十二組の宣教師家族を支えています。
実は、妻のヴァルと私たちが一九七〇年から仕えさせて頂いたオーストラリア、メルボルンのスワントン街キリスト教会も、これとほとんど同じ経験をしています。一九七〇年当時、多くの教会員が引っ越していき、会堂の管理費の増加などが重なって、教会は存続の危機にありました。その時も、上記と全く同じ意見が交わされました。そして今日、教会は七十人以上の宣教師を送り出し、三百万豪ドル以上が宣教のために献げられています。
一九六八年十一月は、私たち夫婦の人生と奉仕が劇的に変えられた時でした。それ以前の八年間は牧師として奉仕を続けていましたが、その期間、私の働きの範囲は町のごく近隣地域に限られていました。又、私は一度も海外宣教に関するメッセージをしたこともありませんでした。
しかし一九六八年十一月に、神様の御計画の内に、私はシンガポールのビリー・グラハム協会後援のアジア南太平洋宣教会議に招待されて参加しました。そしてその会議の中で、アジア諸国の驚くほどの必要と、機会について私の心は開かれたのです。特に申命記一章二一節には目を開かれる思いでした。
「見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」
私はこのみことばを通して、神が私にアジアの膨大な必要を見せ、目を覚ますようにと言っておられ、そして自分の今後の生活と働きは、何らかの形でアジアにつながるものとなるだろうという思いを胸に、会場を後にしたのです。どこでどのように実現するのかはわかりませんでしたし、神は私を宣教師としてアジアへ遣わそうとしておられるのだろうか、と漠然と思うのみでした。そのため一九六九年、私たち夫婦はオーストラリアから最も近いアジアの国、インドネシアでの働きについてOMFに問い合わせてみました。そして同年インドネシアを訪れ、説教もする機会が与えられました。そしてインドネシアが御心の国に違いないと強く感じたのです。
ところが同じ一九六九年、スワントン街教会から、メルボルンで学んでいる留学生への働きをしてはどうか、との招きがありました。私たちは留学生について全く無知なだけでなく、オーストラリアに留学生がいるということすら意識していませんでした。しかしこの事について祈り、信仰の友たちに相談する中で、これはインドネシアに行く前のよい準備となるのではと思いました。たぶん三年位この働きをし、彼らの言葉・文化・宗教を学ぶことは、インドネシアでの働きに有益ではないかと考えたのです。今思えば、私たちは本当に飲み込みの遅い者でした!
三年間と思って一九七〇年に始めた働きは、結局一九九五年までの二十五年に亘りました。この二十五年間に、私たちは文字通り何千人ものアジア各国の留学生に仕える特権を頂いてきました。そしてその中の何百人もの人たちが、イエス・キリストを救い主、そして主として受け入れるという大きな喜びに預かってきました。その中には今日母国で牧師、長老、家庭集会のリーダー、宣教師、宣教団体のリーダー、政府高官として忠実に主に仕え続けている兄姉もいます。ある意味留学生への働きを通して、インドネシアのみならずより広いアジア各国への働きに関わることになったのです。
スワントン街教会もアジア宣教に対する大きな重荷とヴィジョンを与えられました。ここで牧師として働くことができたことは何という特権でしょうか!これは一つの教会が神によって大きな変化をもたらした、素晴らしい例といえます。今この教会からは中国、インド、マレーシア、タイ、インドネシア、ラオス、韓国、パキスタン、台湾、フィリピンといったアジアの様々な国々に宣教師を送り出し、宣教のわざを続けています。
皆さんが心を開いて、神が皆さんの内に、そして皆さんを通して、最もなさりたいと願っておられることをして頂くならば、皆さんの教会にも大きな変化が表れることでしょう。そして神が願っておられることは、世界中の人々を主へと獲得することなのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ三・一六)
「新しい道へ」
日本 木下理恵子
主に在って新年おめでとうございます。旧年中の皆様のお祈り、御献金、励ましやお交わり、多くの助けをどうもありがとうございました。新しい年もまた宜しくお願いします。
台湾から戻り七年となりました。この間、日本にいる中国語を話す方々への伝道をさせて頂きました。今日本には八十万人以上の中国人が住んでいます。ただ日本中に散らばっているので、当然ながら私の周りには中国人より、日本人の方が多いです。そうした中で、主は私に何をしてほしいのだろうかとずっと祈っていました。
昨年春、マルコ十六・六が心に入ってきました。イエス様の復活の後、婦人たちが「あなたがたは十字架につけられたイエスを捜している」と語られている所です。イエス様は確かに十字架につけられ、それは事実なのですが、この時点では主は既に復活し、十字架につけられた事は過去になっている。それを知らない婦人たちは過去のイエス様を捜している。イエス様はもう復活という、次の段階に進んでおられるのに。私も確かに主が導いて下さった事だけれど、もしかして主にとってはもう過去の事で主を捜しているのではないか。主は既に次の段階に移り、そこで私を待っておられるのではないかと思わされました。
断食祈祷に行き、祈る中、へブル十一・一以下から、私にとって「信仰による」行動とは何かと考えた時、二十九年間慣れ親しみ、奉仕してきたOMFを辞め、主が先立ち導かれる奉仕に進むことではないかと示されました。そのため、今年三月末でOMFを辞職することになりました。二十九年に亘る長い間の皆様のお祈り、御献金や多くの支えを、本当にどうもありがとうございました。皆様と一緒に宣教の働きをさせて頂くことができ、主の御業を共に見、主を賛美できたのは、何と言う特権、恵み、喜びであったかとしみじみ思っています。
ただOMFを辞めても、在日中国人伝道は日本ホーリネス教団の教職として続けます。引き続きお祈り下さる方がいらっしゃればとても嬉しく感謝です。
OMFで残された三か月間、主が望まれることを、最後まで忠実になせる様お祈り頂けると感謝です。今まで共に歩んで下さった事を心より感謝しつつ。 新しい年、皆様の上に主の守りと豊かな祝福がありますようにお祈りします。
【祈りの課題】
1.中国語集会のL姉妹の長男が12月に初めて日本に来ました。中学生で日本語は全く出来ません。日本の生活、学校生活に早く適応できるように。日本語を早く覚えられるように。良い助け手や友達が与えられるように。
2.29年間OMFで奉仕させて頂き、皆様と共に宣教の業に携わる事ができ、主と祷援者の皆様に心より感謝です。OMFでの残された3か月間、主が望まれることを最後まで忠実になしていけるように。
「ANRC12の恵み」
日本 ディアスポラ伝道 横山好江
新しい年を、祈りの友の皆様と共に主を仰いで始められるとは、何という祝福でしょうか。私達の素晴らしい主を賛美します。
祈り準備してきたANRC12(全国帰国者大会)。参加者六百名余。会場がヤマハリゾートつま恋(静岡県掛川)だったため、東海地区からの出席者も多かったようです。国別の交わりでは、本来行くべきイギリスのグループには夫に行って貰い、私はニュージーランドのグループに参加しました。先月オークランドで会った兄姉四名と再会。十一月号に書きました、ペイン宣教師から紹介された帰国者姉妹にこの大会を案内して、彼女も参加申込をしたと聞き、是非会いたいと願ってこのグループに参加。会場に到着したばかりでこの会に直行したご本人と初対面を喜び合いました。
私が担当した分科会「帰国者セミナー」で語らせていただいたポイントは、二つに要約できると思います。帰国者に関わる者達は、帰国者が神の家族の中で、キリストを主として従えるように伴走すること。協教派(日本伝道会議で超教派に替わる表現として提唱された)の姿勢で仕えること。これは「帰国者クリスチャンを理解するために」という小冊子に書いており、OMFのサイト上で電子書籍として読んでいただけます(ダウンロードもできます⇒こちら)。
三年前の第一回、二年前の第二回、今回で三回目と、ムーブメント(運動)になっていることを見せられたように思います。初回から「全員参加」が呼び掛けられ、二回目をきっかけに全国各地で帰国者のための働きが起こされました。今回は教職者の会に、約八十名が参加されていたのが印象的でした。在外邦人伝道に携わる牧師方も多く、小グループで活発な意見交換がなされ、今後の発展に期待しています。イギリスの留学生伝道団体で、帰国者担当の働きをしている姉妹と久し振りの再会ができたのも喜びでした。
【祈りの課題】
1.現在、イギリス在住のディアスポラ伝道部ワーカーの多くが教会巡回の時期に入っています。支援が充分与えられ、予定通り奉仕の現場に戻って来られますように。
2.アフリカにおける中国人対象の働きが、現地教会、在アフリカの宣教団体、中国人教会との連携の中で御心にそって進められますように。
「笑えるミェン語辞書」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
研究所の郵便受けに編者からの贈呈版『ミェン語―英語(文化解説付)辞書』が届きました。
このために十年近くお祈りくださりありがとうございました。ミェン語聖書全巻の完成と辞書の出版は、神様が世界に散在するミェン族を愛しておられることの証拠です。
バージェス師(カナダOMF)とグエイフォン長老が聖書翻訳に二十八年を費やしましたが、前任者の初版から数えると五十年。パーネル師(バイオラ大学)は辞書編纂に二十五年、前任者の初版から数えると四十四年かかっています。六十年前ミェン語文字の開発に取り組み、ご夫妻で識字教育を進めたカラウェイ師(アメリカ宣教会)は現在九十二歳。今もカリフォルニアのミェン教会に仕えておられます。他にも名前は挙げ切れませんが無数の協力者、校正者、コンピューター技術提供者、祈り手の方々が共に奉仕しました。
喜び、主に感謝してください。
三万三千以上の見出し語、五千の生きた例文、四千五百の用法・文化背景解説を含むこの辞書が、聖書の深い学びと国境を越えたミェン語聖書普及のために用いられるようにお祈りください。すでにアメリカやタイの言語学者、人類学者から高い評価を受けている学術的労作ですが、一般家庭のミェン族自身が購入できる価格になるようにと、編者のパーネル師は辞書からの収入を一切受けていません。
辞書の例文を読むたびに、知っているあの人この人が目の前で声を出して語っているのが聞こえてくるようで、私は笑いながら読んでいます。質の高さの一つの現れです。百三十万語のコーパス(言語資料)に基づく実証的言語学の成果なのです。笑える辞書なんて貴重です。切れば血が出るような辞書です。
問題はタイのミェン族は英語が分からず、この辞書を使えないということ。そこでこれを元に『ミェン語―タイ語辞書』を作ろうというのが、パーネル師やミェン族の牧師たちと私たちの計画です。そのために今私は、オーストラリアでミェン語の文法書を作ろうとしているわけです。このためにも祈っていただけるなら幸いです。(達朗)
昨年七月からメルボルンの北の郊外のバンドゥーラ長老教会に出席し三ヶ月たった頃、神様は一組の日本人ご夫妻と出会わせてくださいました。実は二人の牧師が、私達とその夫婦が出会うようにずっと祈っていたのです。お仕事の関係や朝と夜の二部礼拝があることなどで、なかなか会う機会がありませんでした。
ご主人は仕事で礼拝に出席できない状態でした。激務で体調を崩し休息をとることになり、それを機会に是非日本語で聖書を学びたい、と希望されました。十一月よりお宅で聖書の学び会が始まりました。
私達は一月十六日にタイの我家へ帰ります。それまでの短い期間ですが、この聖書の学びを通してご主人がふさわしい時にバプテスマへ導かれますようにと祈ります。後は神様とバンドゥーラ長老教会に委ねます。(たまみ)
【祈りの課題】
1.1月16日タイへ戻りますが、博士課程の現地調査が主な目的です。ミェン語文法研究と教会奉仕のバランスをとることができるようにお祈りください。
2.私たちがタイに帰っている間も、知り合った中国人留学生がバンドゥーラ長老教会に通い続け救われますように。日本語聖書勉強会が中断する間も日本人の方が同教会でバプテスマに近づくようにお祈りください。
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