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2014年2月号  page1  page2


「タイ変成長した元学生たち」
―元OMF宣教師・日本委員会総主事 牧野直之師・伊豆師―

どれが日本人でしょう?(TCSの元主事達)  戦勝記念塔近くのくねくねした路地を入って行くと白い教会に着いた。OMFが開拓したマカサン・キリスト教会の礼拝に出席した。説教に立った青年牧師は、パワーポイントを使いながら II テモテ二章からみことばを忠実に解き明かし、チャレンジした。
 「あなたがたは『他の人に教える力のある忠実な人たち』であるのか。また、忠実なキリストの弟子を訓練し、彼らに福音を委ねているのか」と。彼は元TCS(私たちが二十六年前まで奉仕していたタイキリスト者学生会)の主事、現在は牧師である。こんなに丁寧にみことばを解き明かす説教をタイで聞いたことがない、と感じる程素晴らしい説教に教えられ、感動し、主を礼拝した。
 十一月に私たちは二十六年ぶりにタイを訪問し、かつて一緒にみことばを学び、伝道した元学生たちと旧交に汗を流した。(?)彼らは現在四十五~六十二歳になっており、社会で、教会でリーダーとして主に用いられていた。何よりも驚き、嬉しかったことは、彼らの多くが信仰深いクリスチャン・ホームを築いており、子供たちが大学生や社会人になり、親たちと同様に信仰に熱心な人になっていることである。マカサン・キリスト教会でも、タラートプルー・バプテスト教会でも、その他の教会でも二十代の子供たちが教会の中心となって奉仕をしていた。信仰の継承が当たり前のようになされているのである。
卒業生たちとモダンなカフェで  私たちがTCSで奉仕していた時の総主事、トンロー師と奥さんのスニ―さんは、私たちの行ってみたい所に行けるようにアレンジして下さった。かつて学生たちを訪問した大学はすっかり立派な建物に変わっていた。 学生キャンプで夜を徹して話し合った海岸は、ホテルとリゾートマンションに占められていて昔の面影はなかった。しかし、私たちがバンコクで住んだ三軒の家は健在だった。三十九年前、洪水の泥水を掻き分けてタイ語学校に通った政情不安の頃、手りゅう弾の爆発音に思わず長椅子の下に身を隠した家もまだあった。十二人の同僚宣教師とその子供たちが交通事故で亡くなった、と言うニュースを聞いた家も、学生たちにパンの作り方を教えながら、「パン種のたとえ」を学んだ家もまだあった。
 元学生たちが私たちに訴え、説明してくれた霊的な戦いは、物質主義と効率主義。クリスチャンたちの多くは「あの教会はものすごく大きな教会堂を建てた」とか、「この教会はあの方法を使って礼拝出席者が十倍になった」とか、豪華な物、効率よく人を集めることにばかりに関心が行き、福音を正しく伝えることや聖書のみことばそのものを学び、その教えに忠実に従って生活することをしないと言う。又、そのような「評判」高い教会に移って行く、根なし草のような信者が多いとのことである。牧師、伝道者たちも、みことばを丁寧に、正しく解き明かすことより、ご利益を強調し、成果が挙がる方法の話や聖霊なる神さまの働きを迷信のような霊と混同し、感情を高ぶらせて激しく煽(あお)ったり、祈ったりすることを聖霊の働きとしている人が多いとのこと。
 そのような中で、TCSの卒業生で献身し、高度の神学の学びをした人たちは健闘している。元TCS主事で、現在はタイ聖書協会の総主事として奉仕をしているセ―リー師の下にプロジェクト・チームを作り、十年以上かけてタイ語の聖書の改訂を三年前に完成した。三十年以上前、英語の良くできる学生たちとタイ語聖書、英語聖書を比べながら喧々諤々みことばを学んだ日々が懐かしく思い出された。
 このようにタイ変な姿を見て、私たちが再確認させられたのは、ヨセフのことば「今、私をここに遣わしたのは・・・実に神なのです」の通りであること。また、「草は枯れ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない」ということである。(直之)
マヒドン大の先生夫妻と  「アチャンマキノはもう一週間滞在したら、タイ語が元通りに説教できるよう戻るから、日本で引退した今、うちの教会に戻って来てください」とは突然「お分かち」と言う名目で主人に説教させた後のタラートプルー教会の役員の言。この兄弟は「アチャン(先生)が教えてくれたので、この教会は母教会から自立して、さらに次の教会を産み出すよう祈ってこられた」と感慨深げでした。私たちは第二期目から学生伝道の傍ら、日曜日はこの教会で奉仕したのです。実際は忠実な牧師と貧しい中から惜しみなく労も物も献げる中国系タイ人たちを主が用いて、私たちが去ってから、二つの枝教会が産み出されたのでした。その一つには、TCSの学生の証しでクリスチャンになったマヒドン大学の教師も来ていました。友人が悪霊を恐れず、真の神を信じて平安を持っている様子を間近に見て、信じた人です。(このOMFニュースでもお分かちし、祈って頂きました。)交際していた人にも伝道し、今はそのご主人と家族揃って教会に来ています。長女がまさに私が知っていた頃の彼女の顔をしているので、時が二十五年以上も経っている不思議に包まれながら、他の人を霊的に育てる人に育てて下さった主に感謝しました。
 電話も雨が降ると混線していた四十年近く前と様変わりしたIT時代の今。私たちはトンロー師が貸して下さったスマホを初めて緊張しながら使いました。次々とかかって来る電話。「牧野は心臓が半分しか機能していないし、目も片目だし、何よりもう七十一歳なのだから、無理させてはいけない」という同師のお達しと配慮で、集会を二回持ち、歴代の主事たち、元学生たち、と一堂に会するようになっていました。その時の様子が、直ちにフェイスブックに載り、国内はおろか、世界中にいる卒業生たちに伝わり、連絡が来たり、相談に来たり、子どもたちを見せに来たり、もうタイヘンな嬉しさ忙しさ。デモで外出できない日があったので、息がつけるというものでした。そのトンロー師と主人は、教会の現状、神学的な問題、今勉強していることなど時間を惜しんで分かち合い、時と場所は隔てても、宣教のヴィジョンは不思議に一致していて心を燃やしました。ガンを越え、心臓や糖尿を患いつつも、シンプルな主にささげ切ったその生活は以前と変わらず、主のみ足跡に従うものでした。私たちは宣教師の中でも例外的に恵まれていると感謝しています。なぜならば、このように良き同僚に恵まれ、まだエリートであった大学生の伝道に召され、引退後も現地や日本で再会できる機会が与えられているからです。山奥の山岳民族や宣教の自由の無い国で働いている人たちは、この世で実を見させていただくことは恐らくないでしょう。身に余る恵みにひれ伏しながら、長年祈り支えて下さった皆様への感謝も新に致しました。(伊豆)


「神様のご計画」
日 本 主事 西村信恵

方南町キリスト教会の皆様と  風が冷たくなり、本格的に冬がやってきたことを肌で感じられるようになってきました。
 皆様いかがおすごしでしょうか?最近はインターネットで、すぐにいろいろな情報が入ってくるようになりました。「クリスマス礼拝が行われ、祝福されました」というニュースも多く入ってきています。イエス様を救い主として受け入れた方々のことも書いてあり、それを読むと神様の御手は世界中で細やかに一人ひとりの人生に働かれていることが分かり、感動を覚えます。それと同時に、働き続けてくださっている神様の御手に信頼し、現在祈り続けていているまだ神様を知らない魂のために、あきらめないで祈り続けていくことを励まされています。
 先月号でAFMC(アジア・フロンティア・ミッション・カンファレンス)について書きましたが、実はAFMCに参加希望していて参加できなかった姉妹が二人おられました。まだ十九歳と二十歳の若い姉妹達です。そのお二人が市川の事務所に来てくださいました。それぞれのバックグラウンドや信仰を持った時のことを聞いていく中で、このお二人の人生に関わって導いてくださっている神様の御手を見ることができました。今回AFMCには行くことができませんでしたが、この日いろいろお話しすることができ、その中で一人は北のための祈り会に導かれて出席してくださいました。行けなかった二人にも別のところで神様が働いてくださっており、そのように導かれたことはとても不思議でした。「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」と聖書にありますが、若い時に造り主である主を知って歩んでいるこの姉妹たちの歩みが、この造り主によってご計画の中導かれますようにと祈りました。
 また、今月は貫井南町キリスト教会、方南町キリスト教会と訪問することができました。カンボジア宣教の第二期後は療養中にあり、ほとんどの教会に伺うことができませんでしたが、今回やっとご報告に伺うことができました。前回の訪問から七年もたっていましたが、皆様覚えていてくださり暖かい交わりの時を持たせていただき、感謝でした。

【祈りの課題】
1.2月15日、門戸聖書教会を会場に「のぞいてミッション」が行われます。多くの方が集い、それぞれがチャレンジされ、祝福される会となりますようにお祈りください。
2.今年も短期宣教プログラムに参加する方々がおられます。手続きの一つ一つが守られ、よき準備ができますようにお祈りください。


「新しい時代にふさわしく」
日 本 菅家庄一郎、容子

 OMFインターナショナルでは、一九八九年のOMF中央代表者会議で決められた使命説明文を今に至るまで用いています。それは「東アジアの人々に緊急に福音を伝えることを通して神の栄光を現す」というものです。
 私はこの説明文を改訂する委員会に関わっています。原文は英語ですので、日本語にすると微妙なニュアンスが訳しきれませんが、委員会はOMFの使命を現代人にわかるように改訂しようとしています。
 最初に団体の使命が言語化されたのは一八七二年のようです。その頃はまだ中国奥地伝道団として中国で伝道している頃でした。港から離れた内陸部での伝道活動を確立することが目標とされています。
 この一八七二年のものと一九八九年のものとを比較すると、違いは (1)国の内陸部へ宣教師を派遣するという強調点がなくなったこと。(2)緊急にという表現が加わったこと。(3)伝道の対象が中国人から東アジアの人々に変わったこと。(4)神の栄光を現すために、という表現が加わったこと、などでしょうか。
 過去百年で世界は都市化が進み、都市人口が急激に増加しています。移民の数も増え海外に住む東アジア人も増えています。さらに、東アジアにおいても教会が成長し、東アジアの教会と協力して宣教を進める必要がますます求められています。
 二〇一五年のOMF百五十周年に向けて、OMF全体が時代の変化に伴い何を変えるべきか、何を変えないでおくべきか、知恵が求められています。この委員会がOMFの使命と目標をふさわしく言語化できるようにお祈りください。(庄一郎)
 寒さが一番厳しい頃となりました。皆様は如何お過ごしでしょうか。どうぞ温かくしてお過ごしください。いつもお祈りに覚えてくださり感謝いたします。
 私たちの前に住む隣人は、バラ作りの大変上手な方です。お忙しい仕事の合間に、夜にはヘッドライトをつけてバラのお手入れをされ感心するばかりです。先日はさみでチョキチョキ、見事に丸坊主に刈り取っておられました。「こうやって残っている葉もみな切ってはやく休ませてあげるんだ。そうしたら春になったら、一気に成長するんだよ。」それだけではなく、土も替え、虫を駆除し、肥料をやり、一見はだかんぼうにされたようなバラは、実は休息の準備をされたのでした。後は寒い冬を越し、春の新しい芽吹きの時を待つばかり。ヨハネ十五章の農夫に例えられた神様の私たちへの業を思い出しました。
 高校生の時、Hi-baの冬のキャンプでハドソン・テーラーの映画を見ました。一番心に残ったのが、ハドソンが自分自身の心の葛藤を神様の前で格闘し、神様からの答えを頂き、あの中国の美しい山々を背景に天が開けるかのような体験をするところでした。その時、私もこんな風に神様と出会っていく人生を送りたい、と思いましたが、その時、ハドソンが一体何を経験したかを知るのは、後に『ハドソン・テーラーの生涯とその秘訣』を読んだ時でした。
 「新しくされた人生」という章で、ハドソンは罪の自覚に押し付けられ、魂の苦しみが極点に達した時、友人からの手紙を通して目が開かれます。「しかし、信仰を強められるにはどうしたらよいのでしょう。それは信仰を求めて努力するのではなく、忠実なお方によりかかることによるのです。」ハドソンは主を仰ぎ、「決してあなたを見捨てない」と言われる主を見て安息を得ます。そして、「イエスが決してわたしを見捨てられないということだけでなく、わたしが主のからだの一部分である」ことを知ったのです。ハドソンは書きます。「主の富はわたしのものです。主はわたしのものであり、わたしとともにあり、わたしのうちに生きていてくださるからです。・・・神がご自身とわたしたちを一つのものにして下さり、ご自身のからだの枝として下さったのに、主が遠くはなれているように考えたりしないようにしよう。」
 この真理を今ひとたび味わい、経験したいと主を仰いでいます。熟練した農夫であられる神様の剪定を受けながら。(容子)

【祈りの課題】
1.2月3~4日、OMF日本委員会が開かれます。各議題に主の御心が示されますように。
2.OMF全体の組織変革に伴い、様々な見直しが行われています。OMFの使命を現代人にわかりやすく表現し直すことができますように。委員会のリーダーのピーター・ローワン師に上からの知恵が与えられますように。


「主が召される器」
日 本 ディアスポラ伝道 横山好江

帰国者クリスマス会、永福南キリスト教会にて  十二月に入って最初のクリスマス行事は、在欧日本人宣教会主催の帰国者クリスマス会です。今年も七日(土)に行なわれ、主が祈りに答えて下さって三十名を超える参加者が与えられ御名を崇めました。御言葉を取り次いで下さったのは、聖書宣教会で学んでおられる仲田志保さん。パリ・プロテスタント日本語キリスト教会にて主から献身の召しを受けられ、それからの歩みについて色々お話を伺い祈っていましたので、メッセージを聴きながら、召した器を主ご自身が整えて下さると御名を崇めました。
 OMF日本フィールドで第一期目の奉仕にあるリズ・ジェゴ宣教師が、お子さん三人を連れ、帰国者を誘って参加。小さい子ども達を育てながら、教会の奉仕に、帰国者フォロアップによく励んでおられると感心します。リズさんがまだ独身時代、私達夫婦は同じ屋根の下で暮らしました。二〇〇二年、私達夫婦がOMF宣教師としてケンブリッジに入り、住まいを探した数週間、ピルキントン家が迎えてくれました。ジュディス・ピルキントンさんはマイケル・グリフィス師の義妹です。ディビッド・ピルキントンさんとマイケル・グリフィス師はケンブリッジ大学でキリスト者として共に活動され、グリフィス師が卒業後にUCCF(KGKのイギリス版)スタッフとなる召しを受けた際、「君は主の召しにまっすぐに応えなさい。僕が仕事をして君を支える」とピルキントン兄が励ましたという逸話を聞きました。ピルキントン家でリズさんと生活し、彼女が如何に日本人を愛して仕えておられるかを目の当たりにしました。その後、留学生伝道団体のスタッフとして奉仕し、結婚してOMFに入り、日本に来て札幌で日本語を学び、三人のお子さんが与えられ、市川のチャペル・オブ・アドレーションで奉仕するようになる様子を見せていただいています。ケンブリッジで留学生伝道に携わっていたジェゴ夫妻は、日本で奉仕するようになってからも、海外で導かれた魂に寄り添うという使命を主から与えられ忠実に励んでおられます。この度の帰国者クリスマス会には二名に声をかけ、そのうちの一人が来られました。子ども達三人も楽しく時を過ごし、本当によくやっておられると思いました。ジェゴ宣教師一家は二〇一四年四月より一年間、母国で教会巡回の奉仕に入ります。一家五人の移動のため、母国での奉仕のため、第二期の奉仕のためにお祈りいただけると幸いです。
 今年も、ディビッド・ピルキントンさんから恒例のクリスマス・レターを受け取りました。妻を天に送った後も、変わらずに主の働き人を家に迎えて共に住み、孫達の成長を楽しみに過ごしておられます。大切な主の働きを淡々と担っておられる姿に「八十歳過ぎても、こうありたい」と願わされます。
 尊いお祈りに感謝し、祈りに答えて御業を進めて下さる主を崇めつつ。

【祈りの課題】
1.ディアスポラ伝道部、財務担当のS姉(トロント在住)が奉仕に慣れ、主の助けによって日々の務めを担っていけますように。
2.ディアスポラ伝道部、在外邦人ワーカーの研修会(ヨーロッパ版)を3月に予定しています。その準備が御心のうちに進められますように。

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