2015年5月号
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「豊かな恵みをもたらす投資 ―OMF150周年記念。その2―」
一八六〇年十一月、ロンドン。ベイズウォーターの通りを散策していた人々は、向こうから歩いてくる風変わりな一行に驚きと好奇の目を向けました。一人は東洋人の男性で、妻と見られるヨーロッパ人の身重の女性を伴い、幼い子を抱いていました。その女性と幼い子供は西洋風の服装をしていましたが、どう見ても流行おくれのものでした。三人の後ろに続くのは小柄で弱々しそうな男性。みすぼらしい中国服を着たその姿は、明らかに召使いといった感じです。
ワン・レ・チュン(王立群)は妻・家族・母国の全てを後にして、ハドソン・テーラー(後ろを歩いていた弱々しそうな男性の方です!)とその妻マリアと共に、ヨーロッパへと渡りました。これはテーラーとワンの間にある深い絆によるものでした。
テーラーは中国教会の将来は地元の信徒たちにかかっているとわかっていました。中国人の信徒たちには霊的な成長と備えが必要でしたが、将来彼らが教会に関わる責任全てをその肩に負わねばならないことは明白でした。中国教会は神のもとにあって、中国人の手が担っていかなければならないのです。
ワンが初めて福音に興味を持ったのは、故郷で塗装職人として働いている時に、偶然ある会話を耳にした時でした。ある女性が一人の男性から線香入れを買おうとしていたのですが、彼は「自分はクリスチャンなので、もうそういう物は作っていないのです」と答えたのです。ワンの好奇心と霊的渇きが呼び覚まされたのはその時でした。彼はハドソン・テーラーに会い、その後一八五九年五月八日に洗礼を受けました。
それから間もなく、テーラー一家はテーラーの健康問題により、やむなくイギリスに帰る計画を立て始めました。もしワンが一緒に来てくれるなら、帰国の道中彼の弟子訓練ができる。そしてロンドンでもワンなら宣教師候補者たちの最高の中国語教師になれるのだが・・・。こうテーラーは考えました。しかしもう一つ他の計画もありました。ワンは読み書きができましたが、当時多くの中国人は読み書きができませんでした。そのためテーラーは彼(と時にはワンも)が比較的容易に人々に読み方を教えられるように、寧波(ニンポー)語にアルファベット表記をつけようとしていたのです。そして次には新約聖書全体を改訂するという気の遠くなるような仕事が待っていました。その作業に寧波語に堪能なワンの存在は限りなく貴重だったのです。
イギリスへの長旅の間、健康とはとても言いがたい状態のテーラー夫妻に代わって、ワンは彼らの幼い娘グレースの世話を手伝いました。また、家族に欠かせない新鮮なミルクのために連れて行くヤギの世話も彼の役目でした。グレースが寝静まり、テーラー夫妻に体力がある時は、夫妻は中国の働きのため、そしてさらなる働き人が与えられるように熱心な祈りを捧げ、そこにワンも加わりました。そのような交わりの時を通して、テーラーはワンこそが自分が求めていた人物だと確信したのです。
ベイズウォーターの親戚宅に滞在した後、テーラー一家はロンドン、イーストエンドに家を借りました。ワンは一家と住み、進んで料理と洗濯を引き受けました。彼は家族の一員として、クリスマスにはヨークシャーに住むハドソンの両親の家に滞在したり、ロンドンを見物するなど、常に家族と行動を共にしました。
一八六三年、ワンの中国への出発が迫っていました。ワンの妻には金銭的支援が定期的に届いていましたが、家族にはワンの存在が必要でした。しかしテーラーにとってもそうだったのです!疲労と病の中にあってすらも、ハドソン・テーラーの仕事に対する熱意は尽きることがありませんでした。一刻一秒を惜しむかのように、テーラーは将来の教会指導者、中国への宣教師となるワンと仕事に励み、ワンもそれに熱心に応えました。翻訳作業は深夜遅くまで続き、ワン自身の学びもすでに医学や神学で一杯になっていましたが、さらに薬学や解剖学すら加わりました。彼の学びのスケジュールは、出発日が近づくにつれさらに過密さを増し、一八六四年六月二日、グレイブセンド号でワンがイギリスを離れるまでにも、ガイズ病院博物館への最後の訪問、スポルジョンが説教したメトロポリタン・タバナクル教会、ジョージ・ミュラーとの最後の会見などが短期間になされました。
杭州に戻り妻子に再会したワンは、信仰の群れを知恵深く牧していきました。半径百六十キロにも及ぶ地域にできた教会のネットワークをたばね、その後も四十年間忠実に牧会を続けました。地元教会に対しテーラーがそう願ったように、ワンは外国の支援に頼ろうとせず、彼の牧する諸教会は経済的必要を他から満たすようになりました。
ハドソン・テーラーはワンの訓練に多くの力を注ぎ、ワンはテーラーにとって、初期の回心者の中でこれ以上望めないほどの器となりました。その親しい兄弟愛を通してワンに力を注ぐことは、神の恵みによってただ強く霊的に成熟したキリスト者を育てるだけでなく、数え切れないほど多くの人々の人生に、天からの豊かな恵みをもたらすことになるとテーラーは知ったのです。
「宣教の未来を仰ぎつつ」
日 本 菅家庄一郎、容子
三月四日から十二日まで、二十年ぶりに英国を訪問しました。OMF英国委員会主催の宣教会議にお招きをいただいたためでした。引退宣教師、帰国中の宣教師、祈りのサポーターなど四百名以上が集まり、主講師のヴィノス・ラマチャンドラ師(スリランカ)のイザヤ書からの説教から教えられ、宣教地の様子に耳を傾け、祈りました。今回の講師はすべてアジア人で、アジア人から学びたいという英国委員会の意図を感じました。
私は「日本人が聖書を読む時にどういうところに困難を感じるか」「日本の宣教の過去・現在・未来」「日本のための祈り」という三つのセッションを担当し、英語に苦労しながらも皆様のお祈りに支えられ、なんとか責任を果たすことができほっとしています。
歴代のOMF総裁、グリフィス師夫妻、ピッカード師夫妻、ハーレー師夫妻はじめ、かつて日本で奉仕をしておられたヒルダ・ウィッグ師、テイラー師夫妻、私が学んだDTCの校長をしておられたハワード師夫妻、学生伝道のことで相談したことのあるダウゼット師夫妻、カンボジア時代の同僚たちとも会うことができ、とても良い時が与えられました。
いよいよOMF百五十周年宣教大会が来月となりました。札幌、盛岡、東京、名古屋、大阪、福岡で準備が進んでいます。主の栄光が現される集会となりますようにお祈りください。(庄一郎)
三月初旬、キリスト者学生会(KGK)の全国学生訓練会(NET)にブースを出すため西村師と共にでかけました。学生主体を謳うKGKですが、この訓練会は主事会主催で、まさに主事会が総力を挙げて準備する訓練会でした。今年二年目のNET、午前は初めての参加者は福音の全体像を四日間かけて学びます。二回目の参加者は聖書釈義の学びです。エペソ書を取り上げ、聖書の読み方を深く学び、最後は自分で説教を作ります。それには皆悪戦苦闘するようで、「こんな大変な思いをして牧師先生たちは毎週みことばの御用をしていたんですか。寝ていてごめんなさい!」という反応があるそうです。午後は分科会。価値観、生き方に関わる内容、そして学内の歩みに関わるものから、それぞれ興味のあるものを選んで学んでいました。夜は伝道について実践的な学びと訓練です。
この訓練会の狙いの一つは、若い主事たちが(実際主事会は私が主事をしていた二十年前と比べ、なんと若返っていることでしょう!)先輩主事たちの仕事ぶりを目の当たりにし、啓発され育てられることがあると聞きました。学生を育てる中、主事たちも育てられるのです。
また、神学校や宣教団体、クリスチャン社会福祉法人などに協力を依頼し、ブースを出してもらい、卒業後の進路の助けになるコンタクトの機会をも提供していました。ブースタイムには実に多くの学生が各ブースを訪れ、私達も宣教に関心のある学生たちと出会うことができ、メールアドレスなどを頂くことができました。一番感銘を受けたのは、主事達の一致と情熱でした。主事一人一人が互いを尊敬し、一致し、それぞれの賜物をフルで用いて奉仕している姿に、学生たちも心開かれ、引き上げられます。本当に素晴らしいなぁと感心し、主を崇めました。
若い日に学生たちがみことばを深く学び、理解し、将来日本の教会、社会、そして海外においても堅く信仰に立ち、主を証するキリスト者として成長するよう祈りました。また、これらの学生の中から、海外宣教の働きに主が召して下さる方が起こされますよう、どうぞ共にお祈りください。(容子)
【祈りの課題】
1.OMF市川センターをより効率よく使えるようにするため改修工事を行います。1か月前後かかる予定です。すべての工事が滞りなく行われますように。
2.OMF150周年宣教大会で奉仕をする総裁パトリック・ジェニー・フン師夫妻、ディビッド・ファーガソン師が霊的に整えられ、主のみことばを大胆に取り次ぐことができますように。
「驚いたこと」
タ イ 坂本朋子
チェンマイに来て驚いたことの一つは、三月の「煙害」の酷さです。同じ北部のランパーンにいた時も野焼きによる煙害は知っていましたが、空一面が真っ白な煙に覆われて、家の中も網戸にしていると床やテーブルが黒く汚れる程の煙害は、ランパーンでは経験したことがありませんでした。数日前にようやく恵みの雨が降り、今は少し空気も澄んでいます。もう一つチェンマイに来て驚いたことは、この大きな街の裏路地にはスラムのような劣悪な環境の中で生活する人たちが存在し、その中にエイズ患者やその家族もたくさん住んでいるということです。チェンマイ市内のエイズケアを担当しているスタッフに同行して何軒か家庭訪問をしたのですが、どの家族も劣悪な環境の中での生活を強いられていました。しかし私が更に驚いたのは、ごみ溜めのようなひどい場所に住んでいても、仏像だけはしっかり置いてあったことでした。苦しみの中で「知られない神(使徒十七・二十三)」を拝む人々‥‥。この霊的に乾いた地に聖霊の雨が注がれますように!
少し前からドイロー地区のキッズクラブで、高校生以上の子供たちに英語を教え始めています。私は自分が内向的な性格で、特にティーンエイジャーに対してはどうやって話しかけたらいいかよく分からなかったのですが、語学や料理、聖書など、何かを教えることを通してならば、もっと気軽に話が出来ることに最近改めて気づきました。ドイロー地区のエイズケアの学生たちのほとんどは、母親や祖父母の面倒をみるために毎週末ドイローに帰ってくるので、土曜日のキッズクラブで会うことができます。フェローシップハウスでもイベントを企画してみたのですが、実際エイズケアの学生たちからは参加者がほとんどなく、エイズケアとは直接関係のないスタッフの教会の若者の方が多かったりして、私としては少々がっくりでした。それでも先週行ったクッキングクラスには、以前この家に住んでいたミウさんが大学の友達を連れて来てくれました。またジェム君という、お母さんがエイズ患者で脳腫瘍を患っている青年が初めて顔を見せてくれたことは感謝でした。ジェム君のお母さんの容体はあまり良くないと聞きました。主がこの親子を助け慰めてくださり、信仰に導かれますようにお祈りください。皆様の尊いお祈りを心から感謝しつつ。
【祈りの課題】
1.5月13日から18日まで、タイ人クリスチャン5名が日本にビジョントリップのため来日し、坂本師が引率をします。日本の教会がどのように宣教師をサポートしているかを学ぶために来ます。参加者ひとりひとりに宣教へのビジョンがより明確に与えられますように。
2.最近日本に留学するタイ人が坂本師の周辺だけでも増えています。タイ人クリスチャン学生が、日本で教会につながることができますように。またクリスチャンでない学生も、日本で教会に足を運ぶ機会が与えられますように。
「イギリスより」
日 本 ディアスポラ伝道 横山好江
お祈りいただいていましたディアスポラ伝道部リーダー会議(三月十六~二十日、イギリスにて)は、今必要な話し合いを進めることができ感謝しています。OMF全体の組織改編を経て、ケンプ前部長、ウッド欧州およびヨーロッパ担当新ディレクター、ソーテバーグ北米担当新ディレクターと私の四人で、ケンプ師が担っていた責任をウッド師とソーテバーグ師に振り分け、漏れが無いようにと確認しました。担当を決めても、それぞれの務めに慣れるまで時間がかかりそうです。ケンプ師は全体を見、先を見越し、いろいろ考慮し事を進めますが、あとの二人は現実に直面しないと実行に移せない事柄が多く心配も多いようです。この移行期のため続けてお祈りいただけると幸いです。
リーダー会議を終えて、北アイルランドのベルファーストにオア宣教師夫妻を訪ねました。ベルファーストのOMFは長年にわたり大変活発で、OMF祈祷会に参加させていただき、ここで祈られていたイヴァ・グラース師について感謝を述べることができました。私はグラース師と直接会ったことはなく『宣教師イヴァ・グラースとこの時代』(北海道聖書学院編、いのちのことば社)によってしか知りませんが、グラース師が日本からイギリスに戻られ、ロンドンのオールソールズ教会で留学生伝道に携わっていたとき、そこで救われた人や、クリスチャンとして成長した人、その後牧師になった人を知っており、背後で長年祈り支えて下さった方々に感謝を伝えたかったのです。グラース師の引退後、ロンドン時代の奉仕がそのように実を結んでいると主を崇めておられました。私のロンドン滞在時(八二~八四年、八九~九三年)に知り得たことですので、これも主がこのように用いて下さったと嬉しく、主に感謝しています。
【祈りの課題】
1.ディアスポラ伝道部リーダー会議(3/16-20)および在外邦人伝道戦略会議(3/30-4/1)で決まったことが、主の御心に沿ってひとつひとつ進められますように。
2.ケンプ師の体調のためにお祈りください。治療中のリウマチに加えて、両手首と両肘に手術を要する症状が出ています。痛みが和らぎますように。手術が功を奏し回復しますように。
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