2015年6月号
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「弱く小さな器を通して ―OMF150周年記念。その3―」
今日、中国の中で温州は「中国のエルサレム」として知られています。教会数は千を超え、今も増え続けています。人口八百万人の内、百万人以上がクリスチャンという温州からは、多くの人々が中国全土、そしてヨーロッパや中東へと福音を携えて旅だっています。
そもそも何がこうした状況のきっかけとなったのでしょうか。その起こりはあるスコットランド人のCIM宣教師に神が召命を与えられた百五十年前にさかのぼります・・・。
もし現在の宣教団体に宣教師候補者として志願したとしても、ジョージ・ストットはおそらくそのほとんどから断られたことでしょう。彼の片脚は義足でした。もし安全路線を取るならば、健康や安全面を理由に、誰もが彼の中国行きは認めなかったことでしょう。その当時の中国は決して安全な地ではなかったのです。しかしハドソン・テーラーは、ストットにその外見を越えたさらなるものを見出し、慎重な面接の後、ストットに「合格」と告げたのです。そして一八六八年、ストットは温州の地を踏みました。彼はこの活気ある港町に初めて降り立ったプロテスタントの宣教師となったのです。
当事の温州は太平天国の乱から数年経ち、受けた被害から立ち直ろうとしている時でした。街は寺と偶像にあふれ、地元の役人は多くの場合外からの訪問者には非友好的で、暴動や襲撃をひき起こすため「外国人が子供を誘拐し食べてしまった」というような、恐ろしい話をでっちあげさえする、宣教師にとっては危険に満ちた場所でした。
ジョージ・ストットが福音を宣べ伝え始めたのは、こうした先の見えない環境の中ででした。彼は質素な部屋を借りると、そこを地元の少年たちの学校とし、聖書と共に読み書き、算数を教えました。彼は地元の人々に溶け込むために中国服と布製の履物を身につけ、弁髪にしました。これはハドソン・テーラーが初めて行なった革命的な行為でした。その時代の英国人・アメリカ人宣教師の多くは、地元の文化習慣に配慮することをせず、フロックコート姿で条約港をかっ歩していたのです。
数年が経ち、数名の中国人がキリストを信じて洗礼を受け、温州に小さな教会が開かれました。ストットの学校に通っていた中国人少年たちの一人も主を信じました。その少年は左半身が麻痺して歩くのが不自由でしたが、その不自由さによって少年の神に対する飢え渇きや、彼が感じた宣教への明確な召しがにぶることはありませんでした。やがて彼は温州で最初の中国人伝道者になったのです。
福音は温州にくまなく広がると、周辺の村々へも伝わっていきました。ストットが温州に到着してから十年ほど経った頃、CIMは街の中心部に数百人が入ることのできる大きな教会を建てましたが、これは中国式の建物で天井も中国独特の優雅なものでした。これは伝統的なゴシック様式など、中国古来の文化を全く無視して中国の大都市などに多く建てられた、西洋スタイルの教会とは全く対称をなすものでした。愛国的な中国人にとって、西洋風の教会はほとんど挑発的ですらありました。二十世紀にはそれらの教会は、マルクス主義者らが主張したように、キリスト教が文化における西洋の帝国主義の道具であるという目に見える証しのようにすら思われていました。
ストットの宣教は控えめで、中国のやり方にもっと寄り添うものでした。そしてその後の欧米や日本の侵略、何十年間もの軍閥主義、内戦、洪水、飢饉や疫病にもかかわらず、福音は草の根レベルで広がっていきました。そして一九六六年に文化大革命が勃発。教会全てが閉鎖され、宣教師が中国で重ねてきた努力は、ついに拭い去られてしまったのだ、と多くの人々が思いました。
過去二十年間、私は温州を何回か訪ねました。CIMの教会はまだそこにあり、今では何千人もの人々が集っていました。地元教会の牧師たちは、少なくとも人口八百万人のこの大都市の十パーセントが、プロテスタントの福音派信者だと教えてくれました。広大な農村地域、大きい町々や多くの村々を含む温州には、今や二千余りの公認教会、同じく二千余の公認集会所があります。また何千もの非公認の家の教会も存在します。毛沢東が「無神論地区」となるよう目指したその地は、「中国のエルサレム」となったのです。
温州のクリスチャンの中にはビジネスに長けている人々も多く、自分の会社や工場を用いて中国内での宣教に励んでいます。今や中国の都市のほとんどに、温州出身のクリスチャンが始めた群れが存在するとしても不思議ではないでしょう。中国の新たな宣教「エルサレム帰還運動」の最前線にいるのも温州のクリスチャンたちで、すでに多くがパキスタン、中央アジア、中東へと派遣されています。
全ては一人の片脚のスコットランド人から始まりました。神はへりくだり、弱く、侮られる器を用いて、偉大なみわざをなしとげられます。温州の教会を見る時に、聖書が告げているこの事を、改めて私たちは教えられるのではないでしょうか。
「勝利者イエス様!」
タ イ 坂本朋子
四月はタイで最も暑い時期であり、またタイ暦の正月ソンクラーンの時期でもあり、また今年はイースターも同じ時期でした。この頃エイズケアでも初めての「子どもキャンプ」が行われました。チェンマイ県の三つのエイズケア(ドイロー、チェンマイ市、チェンダオ)から約二十数名の子供たちが参加しました。 「勝利者」というテーマで、チェンライ県メーサイからチャロー師が、教会のメンバーや宣教師とチームを組んでリードしてくれました。チャロー師はご主人のニール師と様々な働きをされている上に、メーサイでエイズケアの働きにも携わってくれています。チャロー師が語るイエス様のお話に、子供たちが引き込まれるように耳を傾けていました。またこのキャンプに、ドイローでボランティアとして関わっているノイさんも参加することが出来ました。ノイさんは熱心な仏教徒で自分自身もHIVに感染しており、献身的にこの働きに関わってくれています。福音に対しては長い間頑なな態度を取っていましたが、最近になって他の人たちと一緒に賛美をしたり、少しずつ心が開かれてきているようです。子供たちにとっても大変楽しいキャンプだったようで、また来年も来たいという声をたくさん聞きました。子供たち、そしてノイさんと、福音を聞いた一人一人が勝利者であるイエス様の真の救いと力を体験することができますようにお祈りください。
先月頃から、チェンマイ市内に加えてドイロー地区の家庭訪問にも同行するようになりました。ロッチャナー姉はHIV感染者で、ドイローで一番長くボランティアとして関わっています。またタイ国内のエイズ関連のセミナーや会議にも出席し、この分野の知識を豊富に持っている方です。彼女は数年前にイエス様を信じ洗礼を受けていますが、教会が周辺にないので定期的に教会に通っていないことが懸念です。今後ドイローで家庭集会などを始める道が開かれるように、チームとしても祈っているところです。実はドイロー地区は北部タイで最も福音が届いていない地区の一つと言われています。私たちがここでエイズケアの働きをしているのは、主のご計画であることは明確です。いつも皆様の尊いお祈りに心から感謝いたします。
【祈りの課題】
1.4月のエイズケア子供キャンプに参加した子供たちの心に、イエス様を求める思いがさらに与えられますように。
2.ドイロー地区エイズケアには、ノイさんの他に仏教徒のボランティアが数名います。彼女たちがこの働きを通してイエス様に出会うことができますように。
「アイルランド報告」
日 本 ディアスポラ伝道 横山好江
暑さを感じる日々が増えてきました。祈りの友の皆様と共に、宣教の主の恵みを味わわせていただき感謝します。いつもお祈りをありがとうございます。
先月号に書ききれませんでした報告を続けさせていただきます。ディアスポラ伝道部リーダー会議の後、アイルランド訪問をはさみ、三月三十日~四月一日と、オーア師夫妻、ナイツル師、ケンプ部長と共に、在外邦人伝道戦略会議を行ないました。 OMFディアスポラ伝道部で一番大きいのは在外中国人伝道です。働き人の数も、対象とする民の数も最大です。在外中国人伝道チームが進めている帰国者への働きを、在外邦人伝道でいかに進めるかが話し合いの中心となり、前回よりも進めることができました。
ベルファーストのオーア宣教師宅に滞在させていただき、車で二時間半かかるダブリンで行なわれている、月一回の日本語礼拝に出席しました。ワーキング・ホリデイ・ビザでアイルランド共和国に滞在する若い日本人が多く出席しています。クリスチャンの応援があったら、とオーア師は祈り求めておられます。応援に行きたいと導かれる方がおられましたら、私までご連絡下さい。
【祈りの課題】
1.ケンプ師の体調のためのお祈りを感謝します。先月6日両手首と両肘の手術をされ、回復のためには3週間を要するそうです。癒しと回復のため、また留守中の働きが守られるようにお祈りください。
2.グローバル・リターニーズ・コンファレンス(全国帰国者大会、9月20~23日、富士吉田市にて)の準備のために。教会を離れている帰国者クリスチャンや未信の帰国者のために用いられますように。
「タイ正月雑録」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
水かけ祭りとしても有名なタイ正月は四月十三日~十五日。走行中のオートバイにドラム缶を積んだトラックの荷台からバケツで水をかける行為もでてきて、毎年死者が増えていました(今年過激な行為は禁止になった)。ミェン族はこの時期青年キャンプを開きますが、それは夏休み中の学生たちが事故に巻き込まれないように、との意味もあります。
今年の青年キャンプのテーマは「立ち返れ」。講師のタイ人牧師は第二歴代誌二九章から、「祭司たち自ら神殿を清めることが先決で、そうしなければ民が主に立ち返ることはできない。聖霊の宮であるあなた自身の内部を清めよ」と語ってくださいました。約二百人の参加者の中から、新たに主を信じた人と信仰を回復した人たちは約四十人、献身を表明した人は十九人でした。去年の献身者十二人と合わせて、三十一人の若い兄弟姉妹が成長してゆくように祈ってください。
ここ五~六年続いているミェン語識字教育に関するワークショップは、キャンプ中のメニューの一つとして定着したようです。とは言っても、興味を引くような導入部分を紹介している程度です。上記三十一人の中からミェン語識字教育者となる人が出てくるためには、もっと体系的に全体像を教えなければなりません。キャンプ準備委員長はその方向で来年のことも考え始めてくれています。
タイでの二か月、感謝すべきことがたくさんありました。とっても嬉しかったことは、隣の孫ジューンちゃんが信仰の確認と献身をしたこと。奉仕に関して将来像はまだはっきりしていませんが、イエス様を愛して何かしたいという思いは純粋です。三十一人の一員として大切に育てていくために、ミェンの牧師たちと私たちに、信仰と希望と愛が増し加えられるよう祈ってください。
さて、ビザのことでバンコクに行った機会に、大先輩に会いに行きました。ミェン語辞書の著者ハーバート・パーネル名誉教授(バイオラ大)がOMF定年後十五年の今もなお、精力的に宣教師のためのタイ語学校のカリキュラム整備・教科書改訂のため、毎年バンコクに来ているのです。今回、私の論文のアドバイスとキム・ムン語聖書翻訳について相談の時をもち、祈ってくださいました。パーネル師は一九七〇年にモン・ミェン語族の祖語に関する博士論文を書き終えた直後、キム・ムン語の調査をいち早く始めていました。今キム・ムン族がミェン語聖書をキム・ムン語に自分たちで翻訳している(『二〇一五年五月号』)ことをとても喜び、外部者がどのように協力できるか可能性を示してくださいました。(達朗)
タイで働く宣教師は毎年宣教師ビザの更新手続きをする。タイ国宗教省からの許可書がタイ福音同盟に送られて来て、それを宣教団体に所属する宣教師がビザ更新申請書に添えて入国管理局へ提出する。私たちの場合は、毎回タイ正月が明けて一週間後に一年のビザが切れる。そして、主人の誕生日がビザの切れる直前なので、毎年ハラハラドキドキの誕生日となる。今年はどうだったか?
四月十五日、ミェン青年キャンプからの帰り道、トラックの荷台で寝ていた主人はぎっくり腰になり、三日ほど横になっていた。バンコクへビザと労働許可書の更新にはどうしても行かなければならず、まずはチェンマイへ。バンコクへ出発の前にOMFバンコク事務所のビザ担当者に電話をいれた。タイ人の担当者曰く「宗教省からの許可書がまだ届いていません。今朝、事務所の祈祷会で祈りました。とにかくバンコクへ来てください」と、焦りが感じられない。神様がちゃんとしてくださる、という信仰が伝わってくる。チェンマイのOMF事務所の同僚たちに祈っていただき、また空港へも送っていただいた。翌朝、バンコク事務所へ。出勤してきた担当者は「届きました。このまますぐ入国管理局へ向かってください。あちらで待ち時間がありますから、書類に署名するのは向こうでしてください。(十数ページサインする)。タクシーを呼びましたので、すぐ出発してください」と、ニッコリ。
というわけで、予定していた日に全ての手続きを滞りなく終えて、一日遅れの誕生日とディナーを楽しんだ。主人のぎっくり腰は普通の腰痛に戻り始めた。多くの方々が祈ってくださった。祈りなしに私たちは進むことができないことを日々痛感する。 また、数百人の宣教師のビザ更新日を覚えていて、書類を整え、福音同盟と宗教省と宣教師の仲介をしてくださる有能なタイ人スタッフのためにもお祈りしていただきたい。直接伝道と牧会に携わる宣教師が前線にいるように誤解される場合が多いが、大きなチームの一員として奉仕しているに過ぎないのだから。皆様のお祈り、心から感謝いたします。(たまみ)
【祈りの課題】
1.5月にタイで得たミェン語に関する答えを、6月中に漏れなく書き尽くします。8月中旬に90%仕上がりの論文を指導教官に提出するまで、わき目も振らず、弛まず書き続けることができますように。
2.バンドゥーラ長老教会は宣教部を中心に「宣教ガイドライン」を作成しています。宣教師候補者選考基準、訓練、宣教団体との関係づくり、派遣、祈りと経済的支援、奉仕中の牧会配慮、帰国受け入れ態勢作り等に関し、達朗師がアドバイザーとして建徳的に関わることができますように。
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