2015年9月号
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「名もなき人々によって(後編) ―OMF150周年記念。関西集会説教より―」
OMF総裁パトリック・フン師
名もなき人々は、何よりまず神を恐れたというのが一つ目の特徴でした。二つ目の特徴に移りたいと思います。彼らには信仰の力があったということです。
宣教の働きにおいて信仰は大変重要なものです。十一章二十一節には、多くの人たちが信じて主に立ち返ったと書かれ、二十二節にはこの知らせがエルサレムの教会に届いたとあります。それでエルサレム教会はバルナバを送りました。なぜ彼を送ったのでしょうか?コルネリオを訪ねたペテロは、エルサレムに帰った後に指導者たちに批判されました。たぶんエルサレム教会がバルナバを送ったのは、彼らがユダヤ人の慣習に従っているかどうかを知ろうとしたのではないでしょうか。時に私たちは、自分たちの伝統をあまりに重んじ「絶対このことを変えてはいけない」と思うがために、神のなさろうとしている素晴らしいみわざを見過ごしてしまうのではないでしょうか。
しかし神は私たちに新しいビジョンを与えてくださいます。二十三節に、彼は到着した時、神の恵みを「見て」とあります。神の民はビジョンを持ち、神がなさっておられることを見るのです。バルナバはそこで多くの人たちが神を信じたことを見て、大変喜んだのです。神が世界でなさろうとしていること、新しいビジョンを見られるよう、私たちはもっと願うべきではないでしょうか。
かつての宣教は西洋からそれ以外の国々へ、でしたが、今ではあらゆる所からあらゆる所へ宣教師が行っています。最近アフリカ人クリスチャンのリーダーが私にこう言いました。「アフリカにいる二百万人の中国人に伝道する人を送ってくださるようアジアの教会に伝えてください。彼らは異国で様々な誘惑に陥り、このままでは多くの中国人がエイズで命を落とすでしょう。私たちは中国語ができないので、言葉の話せる人に福音を伝えてほしいのです。」そこでOMFは最近マレー系中国人の夫婦をケニアに送りました。彼らが到着してまだ二、三か月の時に、ケニア政府から彼らに連絡がありました。「今百五十人以上の中国人が、不法ビジネスを行なった容疑で逮捕され刑務所に拘留されている。しかし対応に困っているので、刑務所に来て彼らに話をしてくれないか」との要請でした。このように、今はあらゆる所からあらゆる所に宣教師が送られる時代です。
バルナバは神がなさったみわざを見ました。それと同時に、自分に何ができるかも見たのです。二十三節には彼は「常に主にとどまっているように励ました」とあります。自分が果たすべき責任を、また人々に何ができるかをも、彼は見いだしたのです。バルナバの宣教には三つの段階がありました。まず神様の力強いみわざを見、自分がなすべき責任を見、他の人が宣教の働きにおいて持つ可能性を見たのです。
使徒の働きには一つの大変重要な言葉があります。それは「私たち」という言葉です。その言葉は十六章十節から出てきます。「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。」マケドニヤに関する幻は、単にパウロ一人の幻だったのではなく、パウロ、シラス、テモテ、その他の人たちのものでした。ここにも日本の教会に対する励ましがあるのではないでしょうか。神の宣教は牧師とかリーダーのためだけのものではなく、「私たち」皆が携わるものなのです。
三つ目、最後の特徴に行きたいと思います。それは彼らがお互いを整え合うということです。 十一章二十六節を見ると、彼らはアンテオケで「大ぜいの人たちを教えた」とあります。宣教の働きは回心の働きだけではなく、弟子を育てることです。バルナバは人を整えていきましたが、単に言葉だけではなく、彼の生涯、彼そのものをもって人々を育てたのです。十一章から十六章にかけてバルナバが行なってきたことを見ていくと、最初は「バルナバとサウロ」とありますが、十三章で名前の順序が変わっていきます。バルナバはもともとのリーダーでしたが、神の教会のために、自分から進んで他の人にリーダーシップをゆだねることができたということです。ハドソン・テーラーも同じ価値観を持っていました。彼は建築現場の足場をそのたとえに用いています。足場は建物が建てられた後にははずされるものです。彼はCIMの教会を建てる気はありませんでした。教会は神に属するものだからです。神は他のリーダーたちを起こして下さいます。御国のためならばOMFの名は重要ではありません。弟子となるということは、人々がイエス・キリストに従っていくようになることであり、私たちOMF宣教師に従うことではないからです。
二十六節では「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」と書かれています。これも重要なことです。ここで注意してほしいのは、キリスト者たちがそう自称したのではなく、キリスト者でない人たちが彼らを見て、キリスト者と呼んだということです。
その当時、「キリスト者」という言葉は嘲りの言葉でした。「お前たちはたとえ殺されてもイエス・キリストに従うことを選ぶのだな」というのが、周囲の人々が「キリスト者」と呼ぶ時にこめた思いでした。「彼らはイエス・キリストを捨てるくらいなら、死ぬ方がましだと思っている。」それがキリスト者たちを見ているうちに、人々が理解したことだったのです。
ヨセフスという歴史家はキリスト者について大変はっきりとした例を書き残しています。その当時多くの人たちは伝染病で亡くなっていました。その一つがハンセン氏病で、患者の家族すらもが感染を恐れて遺体に触って葬ることを恐れていました。しかしヨセフスはこのように記しています。「これらキリスト者たちは、自らこのような病気で亡くなった人を葬った。患者の家族すらしようとしなかったことを、彼らは行なった。」そしてこうも書き残しています。「彼らがキリスト者、イエス・キリストの弟子である。」
私たちは福音を生きなければなりません。私たちは言葉、行ない、私たちの人格をもって福音を生きることにより、私たちの持つあらゆるものをもって、社会に大きな影響を与えるのです。
日本人は宣教において特別な機会を与えられていると私は思います。戦争によって世界は痛み、私たち皆が苦しみました。それでもエペソ書二章には「二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし」とあります。イエス・キリストが壁を砕いてくださったのですから、私たちは神にあって一つなのです。これほど力強いメッセージはありません。それは和解のメッセージです。私たちのメッセージはただ一つ、イエス・キリストのメッセージです。世界への救いの福音、これほど栄光に満ちたメッセージはないのではないでしょうか。私は日本の教会が、このよき知らせを近くにいる人たちにも、遠く離れた人たちにももたらしてくれるようにと祈ります。
先週私は北海道で、まだ福音を届けられていない日本の漁師さんたちに重荷を持つ一人の日本人牧師からチャレンジを受けました。多分、彼らに仕えることのできる現代の漁師たちがここにいるのではないでしょうか。
祈りましょう。神様、福音が全ての人のものであることを感謝します。日本の教会から近くの人たち、遠くの人たちに福音を伝える兄弟姉妹たちを起こしてください。主よ、あなたの十字架上のみわざは隔ての壁を砕いてくださったのです。そのゆえに私たちはあなたのもとに戻り、イエス・キリストにある兄弟姉妹として、一つとなることができるのです。この会場にいる兄姉たちのゆえに感謝します。御国のため、御名があがめられるために、お一人お一人をあなたが豊かにお用いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
「忠実な主のしもべとして」
シンガポール 佐味湖幸
七月は二組のベテラン宣教師夫妻がシンガポールを離れられ、非常に寂しい思いをしています。一組はシュリット師ご夫妻です。彼らは三十五年前にカナダからフィリピンへ遣わされ、後半はフィリピンフィールドの責任者をされました。五年ほど前にシンガポールに来て、国際宣教部の責任者となり、ここ数カ月はメンバー訓練の責任者として働かれました。今回カナダでデピュテーションをした後、香港に拠点を移し、ある宣教の規制ある国での働きの総責任者となられます。有能で非常事態にも冷静なご主人と温かく朗らかな奥様。私はフィリピン時代からのお付き合いでした。
もう一組のご夫妻はやはりカナダ人で、私が三年前にシンガポールに移ってニューホライゾンズの働きをする直接のきっかけをつくって下さったエリオン師夫妻です。タイで長年働かれた後、七年ほど前にシンガポールに移られ、幾つかリーダーシップの役割をとってこられました。特に二〇一三年から一四年にかけては国際宣教啓発・動員部の責任者として、また私の属するニューホライゾンズの責任者としても奉仕され、私の直接のボスであったわけです。公私ともに大変お世話になりました。今年はご夫妻がOMFに入って何と四十年を記念する年でもあり、先日特別なお祝いの時をもちました。エリオン師夫妻のことで際立つことは、忠実な主のしもべであるということとともに、同労者たちへの深い愛と配慮です。エリオン師夫妻は今後カナダを拠点に、南北アメリカの責任者として働かれます。今後も南アメリカに関して、ニューホライゾンズの働きを監督されますので、遠距離のお付き合いが続くことになります。
こういう素晴らしい先輩方の姿を思い返すと、自分は幾つになっても、まだまだひよっこだなと思わされます。彼らのようにどこまでも忠実なしもべとして主に仕えて行けるようにと願っています。
【祈りの課題】
1.9月8日から18日まで、香港とC国をブラジルからの宣教師候補者と共に訪ねます。主の守りと導きをお祈りください。
2.9月23日から25日は、市川でコーチングの訓練会に参加し、その後10月4日まで大阪の実家で休暇をとります。よく学び、よく休めますように。
「新たにされて」
カンボジア 今村裕三、ひとみ
七月はOMF百五十周年を記念する集会がありました。ボランティアも含めて千七百人ほど集まりました。すべての参加者と話すのは不可能でしたが、初めて会うメンバーや引退された宣教師の方々との交わりで励まされました。また、一緒にOMFに加わり、それぞれ別の国で働いている同僚と十二年ぶりに会うことが許され、お互いの近況報告と祈りの時も与えられました。似たような困難や課題の中を通ってきたことを知ると同時に神様の誠実さを崇めました。集会は全体を通して、OMFを賛美するのではなく、神様をほめ讃え、神様の素晴らしさ、誠実さを思い起こす時になりました。毎朝の礼拝では、黙示録五章九節のような主の臨在を味わい、御言葉の解き明かしから悔い改めとチャレンジを与えられました。体力的にはきつい五日間でしたが、霊的には大きな祝福をいただきました。自分を含めてOMFには問題や課題があるが、それを遙かに超えた神様ご自身の豊かさを、ハドソン・テーラーから始まったOMFの歴史を通して、もう一度学ばされました。宣教の現場でも、ついつい人間的な弱さや否定的な部分につまずき、自分の正義を求めようとしますが、もっと神様に信頼して、神様の正義を待つことを教えられました。
もっと神様を愛し、もっと深く聖書を学んでいきたいと思いました。集会中に何度も耳にした「謙遜に、謙遜に、ひたすら謙遜に」という言葉を神様からの教えとして、謙遜に神様と人に仕えていきたいと願います。(裕三)
OMFニュースは編集の関係上、一ヶ月以上前に書きますので、不定期ですが、緊急の祈りの課題を電子メールで配信し、多くの方に祈っていただいています。この祈りに参戦してくださる方がおられましたら、私まで御連絡くだされば感謝です。
先日、教会学校教師不足の事で緊急に祈っていただきました。ストゥントラエン州都の教会で、三ヶ所行っている教会学校で十三名の教師がいます。数は多いですが、教師のうち九名が高校生、一名が中学生、そして信仰をもって二年未満が七名です。進学等で六名が八月末に、一名が十二月末に教師を辞めます。礼拝後に教師不足に備え教会員に緊急に祈っていただきました。
神様は祈りに応え、男子一名(高一)、女子二名(中一、中二)を与えて下さいました。去年まで教会学校に来ていた女子二人は若すぎないか?と思いましたが、「いや、今から訓練すると思えば」と不信仰な自分を反省し、神様に感謝しました。
その日は今月教えるルツ記の「神様の御計画」について、共に考え学びました。その直後、突然ヨーン姉が来年に引っ越し、教師を辞めるかもしれないので祈ってほしいと話し、私の頭の中は「神様!あなたの御計画は?」と混乱しました。ヨーン姉はまだ十九歳ですが、期待の星です。ほとんどの教師は、高校が終わると地元に残りません。その中でヨーン姉は教会付属の幼稚園に教師として今年から就職しました。教会の役員の娘、教えるのも上手で将来のリーダー候補でした。
私の目標は「宣教師から自立した教会学校」で、リーダーとなる人を育てる事でした。その筆頭であった三十代のボン姉も他の奉仕の為、多忙で教会学校をしばらく休む事になり、その上、先月話した時に「やりたい奉仕は青年会である。教会学校は辞めたい」という希望でした。
宣教師からの自立は?神様の御計画は?私は次にどうすれば良いのか?「私の」ではなく、「神様の」目標を知り従えるように、どうか祈り助けてください。(ひとみ)
【祈りの課題】
1.ストゥントラエン州都の教会学校の祝福のために。子供たちがイエス様を救い主として信じることができるようにお祈りください。また、教会学校の教師が整えられますように。
2.サムクイ村のソリサーくん一家が主を信じることができるようにお祈りください。
「この世に残るもの」
日 本 主事 西村信恵
毎日暑い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?
七月の初旬はタイで行われたインターナショナルの集いに参加してきました。各地で働いている宣教師達が、ひとところに集う初めての試みでした。子供や子供達をお世話される方々を含め千七百名集う大きな集いでした。集会の中で先輩宣教師たちの証が語られました。救われる魂が起こされない、という現実にではなく、先に歩まれている主を見て忠実に祈って仕え、彼らの亡くなった後に、多くの魂が救われた話。また、宣教地に着いてすぐにご主人を亡くされ、その後も子供と宣教地に戻り多くの主の働きを見て来られた方のお証しもありました。先に歩まれた信仰者の生き方から真実な主を、また一人でも救おうとされる主の情熱を思わされました。どうしても周りで起きていること、自分の目に見える現実に目を留め、自分の力で何とかしようと思ったり、がっかりしたり、先が見えず、あきらめそうになったりしがちな自分にとって、大きな励ましとなりました。そして語られることを聞きながら、この世に確実に残るものは何だろうか?それは祈りを通して働かれる主の働き、そして祈りの中で始められ進められてきた主の働きである、ということを改めて教えられました。将来宣教師となることを思い歩まれている方々や、宣教祈祷会に関わろうとされている方々とコンタクトをとり、祈り、共に歩んでいますが、私たちひとりひとり、目に見えることではなく、全能であられる主、備え主である主に目を留め期待し、祈りつつ歩んでいくことができますようにお祈りください。
このタイの集まりではカンボジアで共に仕えた同僚とも会えました。ニャックルアン教会の様子を聞き、お互いのことを分かち合い祈るときは、主に与えられた特別な時間でした。そのニャックルアン教会のワチャナー牧師のお父様は、今月がんのため亡くなられました。八月に生まれてくるお孫さんを見ずに天国に行かれましたが、その村の医者として生きてこられ、救われてからは教会の信仰者としてよいモデルとなって生きられました。救われて天に召されるまで主が彼の人生を導き、その人生を通して主が現れてくださったことに感謝しました。ニャックルアン教会にも目に見えるチャレンジは山のようにありますが、牧師の奥様のセーラーさんは「神様は備えてくださるから心配ない」と全面的に神様に信頼し歩んでいます。ワチャナー牧師夫妻とその家族に主の慰めがありますように、八月の出産が守られますように、また牧師夫妻が主に祈り仕え、主がニャックルアン教会を建てあげてくださるようにお祈りください。
【祈りの課題】
1.OMF150周年宣教大会後のフォローアップのために。フォローアップしていく知恵が与えられ、よいサポートをしていくことができますように。
2.9月20日~23日、グローバル・リターニーズ・カンファレンスという帰国者の集いがあり、21日の分科会において「世界宣教」について話をします。主が語る言葉を与えてくださり、集った人々が世界宣教について目が開かれる時となりますように。宣教師として召されている方との出会いがありますように。
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