2006年2月号
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「弱く小さい器をも(後編)」
信頼できる人物に重責を任せたテーラー師はスイスへ引退し、愛する妻ジェニーとの休息を得ました。そのジェニー師は一九〇四年に癌で天に召されました。死の床で彼女は「主は私をゆっくりとやさしく連れて行こうとして下さっているわ。」と言い、さらに穏やかにテーラー師に彼女に痛みはないことを告げた上で、彼にこう頼みました。「主に私を早く連れて行って下さるようお願いして下さい。」
愛する妻が召された悲しみにもかかわらず、テーラー師はなおも前進を続けます。そして一九〇五年二月、七十三歳のテーラー師は、息子のハワードと義理の娘ジェラルディンと共に、再びこれが最後となるであろうことを承知で、十一回目の中国への旅を決行しました。
一行は四月十七日に上海へ到着。復活祭を揚州で過ごし、鎮江へ向かい、テーラー師の最初の妻であるマリアと四人の子供達が眠っている墓を訪れました。又、漢口(ハンコー)の古い宣教師仲間であるジョン・グリフィス師とウィリアム・マーティン師に会い、さらに河南省の七つのCIMの拠点を訪れ、最終的に湖南省に到着しました。ここには十七の拠点があり、十三団体から派遣された百十一人の宣教師らが、中国人のクリスチャン達と共に働いていましたそこは福音が伝えられるべき奥地の省として最後の地であり、又同時にもっとも抵抗の厳しい場所でもありました。一九〇二年にはさらに二名の宣教師がそこで殉教の死を遂げています。
テーラー師が地上での生涯を終えたのは、この省の首都長沙でした。一九〇五年六月三日、彼を主賓として開かれたお茶会の後に、横になり、手紙を読み「ミショナリー・レビュー」に目を通していた彼は、突然くしゃみをするかのように息を吸い込み、その後、静かに息を引き取ったのです。
「それは死とはいえないようなものでした。」と、その時同じ部屋にいた義理の娘のジェラルディン師は書き残しています。「よろこばしい、すみやかなえいえんのいのちへの移行とでもいえばよいでしょうか。その顔にあらわれていた平安と静けさは、本当に素晴らしいものでした!」
「長年にわたる労苦はほんの数瞬で過ぎ去ったようでした。テーラー師はまるで安らかに眠っている幼子のようでした。全ての苦難は過ぎ去り、全ての旅路は終わった。ついに、ついに故郷へ戻ったのです!」中国へ福音をもたらすために、五十年以上もの長きに亘って労苦した器は、こうして天に帰っていったのです。
宣教学者や歴史家たちはテーラー師を「歴史上最も深いクリスチャン思索家の一人」、「時代を見通した開拓者」、「十九世紀の中国に最も深い影響を及ぼした四人もしくは五人の外国人の一人」と称しています。しかし、テーラー師本人の自己評価は異なっています。彼はかつてこう述べました。「よく私はこう思うのです。『神はご自身が用いるに充分なほど、小さく、弱い人を探しておられた。そして神は私を見出されたのだ』、と。」
しかし、血と涙と共に蒔かれた種は豊かな収穫をもたらし、その意味で彼の功績は素晴らしいものでした。一八六五年、中国奥地にはただの一つも教会は存在しませんでした。そしてテーラー師の召天後、五年たった一九一〇年、CIMは中国全土に総人数二万人以上の陪餐会員が集う六百十一の教会を建て上げていました。一九一五年までに満州、モンゴル、トルキスタンを含む全ての省に存在する様々な宣教団体によって、各地に教会が建てられました。何百、何千人もの子供達や学生達がミッション・スクールや大学で学び、多くのキリスト教系病院が中国の病める人々に仕え、多くの若い中国人クリスチャン達が働き人となるべく訓練を受けました。
一八六五年には一年間の受洗者はわずか四百人でしたが、一八九五年には七百人となり、一九〇五年には二千五百人に達し、その後もその人数は増え続けました。
教会成長にも目をみはるものがありました。一九〇九年から一九一八年の激動の期間にも、CIMの宣教師は四万人の人々に洗礼を授け、一九一五年から一九二五年には五万四千人の受洗者が起こされました。(千人を超す礼拝者のゆえに、増築を余儀なくされた教会もありました)。その時には教会数は千二百三十八で、三千八百四十三人の中国人の働き人たちが労していましたが、その多くは無償の働きでした。
一九二六年以降の十年間には、六万人以上の受洗者が起こされ、CIM創設による諸教会の教会員数は九万五千人に達しています。一九三九年には一万人近くの受洗者が与えられ、当時の宣教師数もそのピークに達して千三百六十八人となっていました。
今日、このビクトリア時代の器が天に帰ってから百年が経ちました。
一八六五年に「十ポンドと神のすべての約束」をもって設立した団体は、今も前進を続けています。
団体の名称はCIMからOMFインターナショナルとなり、三十か国から千二百人余の宣教師達が東アジア各国で、又、東アジア人が働き、もしくは学んでいる欧米諸国で、主の働きを続けています。テーラー師の子孫達も又、主に献身し、OMFの中で主に仕えています。
福音は、かつてテーラー師が夢にしか思い描けなかったであろうほどの速さと規模をもって、中国全土に広がり続けています。かつては閉ざされていた国々でも、その国々の必要に見合った専門知識を持つクリスチャン達に対し、その扉を開いています。
百四十年前にジェームス・ハドソン・テーラーを通して始められた働きは続きます。「中国奥地のための『小さく弱い』恩人の生涯と遺産は、今も生き続けているのです。
「主に向くなら‥‥( II コリント3:16)」
フィリピン・ミンダナオ島 マノーボ族伝道 合田希保
十二月中旬、クリスマス休暇で子供達がそれぞれの村々に帰る前に、クリスマスプレゼントとして、セブアノ語の旧新約揃った聖書を、子供達一人ひとりに渡す事ができました。十月から、共に旧新約聖書全巻や救いの教理に関する聖書箇所を暗証したり、掛け算九九(フィリピンは十二段まである)を覚えたりしました。
セブアノ語は、マノーボ族にとっては、第二言語なので、本来ならばマノーボ語の聖書を新旧揃ってプレゼント出来たら良いのですが‥‥(只今、OMF宣教師のパウエル師夫妻が旧約聖書を翻訳中です。是非、お祈りください。)今まで、子供達は五〜六人で一冊の聖書を、肩を寄せ合って奪い合うように?読んでいたので、「自分だけの聖書だ!」というような喜ばしい笑顔で、本当に嬉しそうでした。
聖書を渡した後は、聖書の開け方を説明し、練習したりしました。また、大切な聖句は、線を引いて何度も読むように等、当たり前の事ですが、大切な事を教えました。私が中学生の時に、当時神学生だった恩師が教えて下さった事を、そのまま、マノーボの子供達に教えました。将来、この寮の子供達も、次世代の子供達に教えていってくれる事を主に祈りつつ、山に帰る子供達を見送りました。
さて、年が明けて、今、パソコンを前に、外で囀り鳴いている小鳥の声がします。最近雨が続き、あの眩い位の日差しが恋しくなってきました。日々寒くて(体感気温による)長袖を着て寝ています。夜の室内温度は二十五度程。お湯を沸かして「水浴び」をしています。
年末年始には、ダバオにあるOMF宣教師館で静まりと祈りの時を持たせて頂きました。特に良書を読んだり、一昨年・昨年の日記を読み返しながら、神様が御言葉や様々な出来事・人との出会いや交わりを通してどのように導き、教えて下さっておられるのか?色々とじっくり考えたりする感謝な時でした。
今年の個人的な聖句は、第二コリント三・一六aの御言葉「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」にさせて頂きました。日々、主に向かせて頂く、主に立ち返らせて頂く歩みに導かれたいと思います。心から感謝しつつ‥‥。
【祈りの課題】
1.子供寮の子供達が、御言葉に日々触れ、親しみ、御言葉から教えられ続ける、「信仰の成長の為」お祈りください。
2.合田師自身の霊的成長の歩みの為に、日々「主に向かせて頂く歩み」に導かれていきます様に。健康管理の為に。(最近、寒さが応えるようになりました。)
「日本に帰ってから」
一時帰国中 西村信恵
日本に帰ってきてから一ヶ月半がたちました。家族や教会の皆様との再会、クリスマス、年末、と、あっという間に終わった気がします。この間、暖冬だと言われていたにもかかわらず急に寒くなって雪が降ったり、暴風注意報が出たりと、冬の寒さは私にとっては格別で、風邪をひいたり止んだりでいつもホッカイロが離せない状態です。少しずつデピュテーションも始まりました。ずっとお会いしていないのに、「よく帰ってきたねー。会いたかったよ。祈っていたのよ。」と迎えてくださり、この方々の祈りの支えが常にあったことを覚え、心が熱くなりました。母教会の皆様との交わり、家族との時間、休養、デピュテーション先での主にある兄弟姉妹との交わり、ひとつひとつ神様は祝福してくださり感謝でした。
十二月二十八日から三十日は、「すっとKANTO」という青年宣教大会でご奉仕させていただく機会があり、東京に行ってきました。日本に帰ってきてさほどの逆カルチャーショックを感じていなかったのですが、東京に出てたくさんのビルを見、またどこに行ってもいる人の波にのまれ、少なからず逆カルチャーショック(それとも田舎から出てきたから?)を受けました。二十八日は夜の宣教集会に集っている多くの若者を見て、年末にこれだけの人を集めてくださった主の業を賛美しました。分科会での分かち合いの後には、主に仕えたい思いを語ってくれた姉妹もあり、この会に集ったひとりひとりの人生に主が触れてくださり、一人でも多く宣教の技に仕えていくものとして用いられたら素晴らしいなあと思わされました。また、別の宣教地に、同じように単身女性で宣教師として仕えておられる方ともお会いすることができ、大変なことや、神様の恵みを分かち合う機会が与えられたことも感謝なことでした。
この宣教大会のためにいろいろなところでご奉仕されている方々の姿も多く見ました。この集会の準備や進行のために一生懸命仕えている姿にも、とても励まされました。
新しい年二〇〇六年、私も「喜んで仕える霊が私を支えますように」(聖書)と、祈りつつスタートしました。主に忠実でいられるように、私の導きと歩みのためにお祈りください。
【祈りの課題】
1.2月6、7日はOMFの日本委員会があります。それぞれの話し合いが主によって導かれますようにお祈りください。
2.関東地区のデピュテーションをしています。寒さの中で健康が守られ、各教会での交わりが祝福されますようにお祈りください。
「イギリス最後のクリスマス」
在英邦人伝道 横山基生、好江
英国で最後のクリスマスの季節を主の恵みの内に全うすることができました。お祈りを心から感謝いたします。
十二月一日はロンドンJCF合同婦人クリスマス会に、基生が御言葉の奉仕に招かれました。久し振りに伺ったJCFハウスに約四十名、各地婦人会から、また初来会の未信者も多く集まりました。盛永先生ご夫妻、副牧師の小川先生、またメテカフ先生ご夫妻のお元気な様子に感謝しました。
三日はケンブリッジJCFの毎年恒例クリスマス礼拝・祝会。ヘルパー、子供を含む計九十三名が主のご降誕を覚えて礼拝し、交わりを楽しみました。例年より少ない人数で準備しましたが、神様が豊かに必要を満たして下さり、御名を崇めます。
六日のレディング集会、十一日のロンドン北部セント・バーナバス教会日本語部礼拝といったロンドン近郊に加え、英国イングランド北東部のダラムでも御言葉の奉仕。帝京大学の学生が第一学年をダラム大学で過ごすというプログラムがあり、毎年約七十名来ます。ダラム大学のクリスチャン学生がキリストの愛をもって関わっており、クリスマス・パーティー(伝道会)を企画。日本語メッセージを頼まれました。メッセージの後、私達が持参した日本語新約聖書をほとんどの人が持って行きました。学生二名が基生に質問に来てくれ、個人的に話す機会を与えられました。片道三時間半、日帰りの旅も守られました。
十五〜十九日とスペインへ。十七日土曜のマドリッドと、十八日日曜のバルセロナの日本語キリスト者集会のクリスマス集会で基生が説教奉仕をしました。それぞれ、重荷を与えられた姉妹方を中心に月一回日本語礼拝がもたれています。いつもニュースをいただき祈っていた集会と直接の交わりが与えられ恵みをいただきました。スペインには初めての旅でしたが、カトリック文化の中で歩むクリスチャンの戦い、またスペインならではの文化的な特徴と豊かさに触れることができ、有意義な旅となりました。マドリッドとバルセロナにそれぞれ邦人約二千人が住んでいるそうです。御言葉が豊かに正しく語られるところに主の宣教が進むことを思わされました。これらの奉仕も、後継者の横田さんに留守を任せて出かけることができました。感謝です。
冬休み恒例、家族ぐるみの集まりで、大人十人・子供七人が我が家に集まりました。子供達にゲストルームが使えるようにガランと用意したところ、狭い部屋なのに想像力を駆使して思いっきり遊べて大変楽しそうでした。英語の生活の中、日本語で日本人のお友達と思いっきり遊ぶ大切さを改めて思わされました。
【祈りの課題】
1.OMF日本委員会総主事代行としてOMF新総裁就任式(2月11日)と東アジア各国のOMFのリーダーが集まる会議(2月13〜16日)に出席します。新しい務めを御心に沿って豊かに全うできるようお祈り下さい。
2.ケンブリッジ・リトリートが2月17〜19日に行なわれます。20〜30代の日本人青年(信者・求道者)が集まります。準備責任の横田栄宣教師のため、集う一人一人が主の恵みを豊かに受けられるようにお祈り下さい。
「福音遍伝の喜び」
台湾・活水泉 木下理恵子
極寒の日本、皆様はお元気でお過ごしでしょうか。いつものお祈り、ご献金を、またクリスマスカードや年賀状、メールをどうもありがとうございました。いろいろな具体的な祈りを読ませていただき、こんなに祈られて、ここまで支えられてきているのだなあと、しみじみ思わせられました。本当にありがとうございます。
昨年十二月初めに父が心筋梗塞による心不全で入院し、私も一時帰国しました。皆様のお祈りと主の憐れみにより父は随分良くなり、十二日後に退院できました。この四月に台湾を引き上げ日本に戻る事が、まさに御心なのだと主が確認して下さったと思いました。そして同時に最後の台湾でのクリスマスをまっとう出来る様、主は十六日に台湾に戻してくださいました。
翌十七日、萬華地区での連合クリスマス「福音遍伝」の始まり。まずクリスチャンのお祭りが龍山寺の前の公園で持たれました。三十の屋台、三時間に渡る舞台での出し物。千五百人以上の人が来たことでしょうか。その翌日から、屋台で得た住所を全部で五百軒、三人一組で訪問しました。香港からも二十五人が自費で来て助けてくれました。彼らの福音を伝える熱意と喜びが萬華の私たちクリスチャンに感染し始めました。住所が不完全だったりして、見つけられない人も多かったのですが、これだけ多くの萬華の人が門を開き、実際に私たちクリスチャンを家に迎え入れてくださった事に、皆驚きました。既に友人や家族から伝道されていた人も少なからずいました。神様が私たちを通して、もう一度声をかけて下さったと感動する人。大きな困難に直面している 真最中で、直接主を信じ、教会の具体的な祈りと助けを受けた人。食い入るように福音を聞く人、主を受け入れる人。悲しみや苦しみの中、祈られ涙する人。毎日驚くような証が幾つも出ました。香港のあるクリスチャンのコメント、「萬華という字の中、幾つ十字架があるか数えられますか?萬華、この街は十字架に満ちた、その名の通りの街になる。」
皆様のお祈り、本当にどうもありがとうございました。萬華の教会、クリスチャンたちが更に喜んで熱心にこうしたコンタクトをフォロアップしていけるよう、そして萬華が十字架に満ちた街となっていけるよう、続いてお祈りくださると感謝です。
【祈りの課題】
1.父上が退院でき感謝。木下師が帰国するまでご両親の健康が支えられるように。 いろいろな面でご両親を助けているお姉様が守られ、ご家族とも主に祝されるように。
2.萬華の連合クリスマス「福音遍伝」で多くの家を訪問でき、福音を語ったり、祈れたりでき感謝。福音を伝える喜びと熱心が萬華のクリスチャンに起こり始め感謝。こうしたコンタクトを教会、クリスチャンが更にフォロアップしていけるように。
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