2006年4月号
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「中国に吹く聖霊の風」
中国と西洋諸国との交流は二千年以上前、シルクロードがローマ帝国と漢王朝時代の中国を結んだ時代にまで遡ります。中国の西欧諸国に対する愛憎半ばする態度は今も根深いものがありますが、中国国内の知識層の多くはキリスト教を西欧の文化、思想、科学的進歩の基礎ととらえて関心を持っています。
中国のクリスチャン人口の驚異的な増加(プロテスタント人口は、一九四九年当時の約百万人であったのが、二〇〇五年現在では五千万人以上とみられる)は、この地で強く、地域にしっかりと根ざして、成熟へと成長を続けている真の中国の教会の存在を表しています。
国の発展にとって必要な専門職を持つクリスチャンが中国内で働くことも容易になっており(彼らはそこで神のお働きを見ることができるでしょう)、長期・短期にかかわらず、彼らが派遣先の地で地の塩、世の光となる機会は溢れています。そうした人々から福音を聞いた兄姉達の証しを二つご紹介しましょう。
ある共産党員の家族の証し
「画面に出ていたあの男性は誰だろう?彼のことを『人となった神』と考えている人もいるらしい。彼らの口ぶりでは、すごく彼のことを尊敬しているみたいだな。しかも彼を礼拝して、世界を救う救い主だとすら言っている‥‥。」
ジェット(仮名)が福音を聞いたのはその時が初めてでした。共産党員の父を持つ彼は、四川省で外国人のクリスチャンと出会い、彼のアパートに招かれてそこで初めて神についての話を聞き、『ジーザス』という映画を観て興味を持ちましたが、信仰には至りませんでした。
「ぼくは進化論を信じています。」 ジェットはその時その友人にそう答えたそうです。「でも彼は僕に新約聖書をくれました。それ以来、僕は信仰はなかったのですが、何か問題が起きた時には祈ってみるようになりました。」
ジェットは大学でも生きることの意味を問い続けていました。「満足のいく答が見つからなかったので、僕は酒を飲み始め、友人達と夜遊びにふけるようになりました。」
それでも、その疑問が彼から離れることはありませんでした。やがて ジェットは、かつてあの外国人クリスチャンの友人が話していたことを思い出し、キリスト教が彼に答を与えてくれるかどうか試してみよう、と思いたったのです。
初めて彼が大きな三自愛教会に足を踏み入れた時、彼を迎えたのは人々の気さくな笑顔でした。教会の人々は彼に会えたことを心から喜んでいるかのように見えました。まだキリストを信じることはできませんでしたが、ジェットはクリスチャン達からの暖かい歓迎と讃美歌を歌っている時に感じた平安な気持ちが気に入って、続けて教会へ行くようになりました。
ある日、ジェットは招待されて、ある家の教会の聖書の学び会に参加しました。そこの人々の暖かい歓迎ぶりにも彼は好感を持ちました。こうして他では得られないこのような愛に魅かれながらジェットの心は少しずつキリストに対して開かれていったのです。
今日、彼は「もう、僕は自分のためではなくて、神と周囲の人々のために生きているんだ」と証ししています。今、彼は将来外国で神学を学ぶことを夢見ながら、家の教会を導いています。わずか四、五人で始まった集会は今では百人近くになりました。
ある元仏教徒の証し
あの外国人の家族はどれもいい家族だけど、あの人達の宗教は自分には向かないわ」とリー夫人(仮名)は思っていました。
過去二、三年の間、リー夫人は自分の村から、都市部に住む幾世帯かのクリスチャン家庭まで、通いで家事手伝いをしていました。どの家族もリー夫人に福音を語りましたが、彼女は仏教の教えの中に固く閉じこもり続けていました。
ある日リー夫人は、外国人のクリスチャンの友人と同じアパートに住んでいる一人の中国人クリスチャンに出会いました。最近主を信じたばかりというその人は、生まれながらの伝道者ともいえる人で、その人を通してリー夫人はキリストを信じる決心をしたのです。
「彼女の心はまさに受け入れる用意がされていたんです。」 彼女を知るクリスチャン家庭の主人はこう振り返ります。「外国人ではなく、中国人のクリスチャンが彼女を導くのを目の当たりにして、本当に心が躍る思いでしたよ。」
それでも最初は、彼女の信仰告白がどれほど真剣なものかわからないまま、再び彼女が村の伝統ともいえる精霊崇拝や仏教の教えに屈服してしまうのでは、と彼らは心配したそうです。
「リー夫人にとって真の試練は村に戻って、家族に自分の信仰を話すことでした。誰かがキリストを信じても、その信仰がどこまで続くのかと思うのです。」
感謝なことに、彼らの心配は杞憂に終わりました。リー夫人は家族や友人達に熱心に福音を分かち合ったのです。その結果、彼女の夫と二人の姉妹、そして村人達数人がキリストを信じました。そればかりか、リー夫人は友人達数名と家族と共に都市部の教会を訪ねて多くの信者達を彼らに見せ、自分達のようなクリスチャンは何千人もいること、だから彼らは一人ぼっちではないのだということも伝えたのです。
「ケンブリッジから最終報告」
横山基生、好江
引越し荷造りの真只中で書きつつ、振り返るたびに主への感謝が溢れます。皆様のお祈り・ご支援を心から感謝し、ケンブリッジから最後の報告をさせていただきます。
二月十一日シンガポールで行なわれたパトリック・フン新総裁就任式に出席しました。初のアジア人総裁を祝い喜ぶ就任式、ジェームズ・ハドソン・テイラー四世の司会・賛美指導、同三世の奨励もあり、OMFの豊かな信仰の遺産に感動しました。十三−十六日と東アジア各国総主事会議に出席。先輩総主事や国際本部の関係者に暖かく迎えていただき、四月以降の奉仕について多くを学ばせていただきました。カンボジアから参加の菅谷庄一郎宣教師とも良い交わりができ感謝です。
十七日朝に戻り、同日夕方からケンブリッジ・青年リトリートがスタート。「次回、私達はいません、誰かやりませんか」との昨年のアピールに応える器、横田栄・ヘーゼル夫妻を主は起こして下さり、お二人が大変よく準備を進め、四八名の参加となりました。リピーターの兄姉も何人かおり、さらに奉仕を担う思いをもつ者も与えられているようです。参加者の信仰が育ち、主の弟子としても育っていると私達は主に感謝しました。
二月二十八日、日本で奉仕したOMF宣教師が集まって日本のために祈る会を開きました。前回は三年前、牧野先生ご夫妻が英国滞在中に先生方の住まいで行なわれました。今回は基生が呼び掛け人となって日程・場所の調整を進め、横田・吉澤両宣教師夫妻を皆さんに紹介するためケンブリッジを希望したのですが、加齢の進む人にとって場所的に不便との意見があり、ロンドン北部にある英国OMF東地区のオフィスに決まりました。横田・吉澤両宣教師夫妻は子供達を学校に迎えに行く時間までに戻らねばならず一時に退席しましたが、参加されたアブラハム、グリフィス、フェニホフ、メテカフ、ハイウッド、エイリング、ヤング、ダルマン各夫妻、ウィッグならびにジョーンズ宣教師と顔合わせができ感謝しています。互いに祈りの課題を祈り合い、日本のため、日本の教会のため、日本OMF・牧野先生ご夫妻のために心を合わせて祈りました。集まった一室、そして限られた時間の中に、何十年もの日本伝道経験と愛が人数分かけ合わされ、大変濃い交わり・祈りの時でした。「このような祈りに送り出されて私達は英国から日本に向かう」と、私達は主に従う思いを新たにしました。
【祈りの課題】
1.シンガポール(OMF国際本部)でのオリエンテーション・コースに、3月23日〜4月14日と出席しています。参加者・主催者が祝され、よき研修の時となるように。
2.4月15日朝に帰国し市川に住み始めます。逆カルチャーショックも予想されますが、新生活・総主事代行の歩みに主の豊かな助け・守り・導き・恵みがあるように。
「さようなら日本」
日本 木下理恵子
活水泉、最後の集会の時、一人の 姉妹が聞いてきました。「日本ってすごく寒いの?」「そうだよ。寒いよ。」と返事した後でその人、いなくなりました。数分後、彼女がコー トを持って現れました。「これ、日本で着て。私、古着しか買わないから、これも古着だけど。」胸の詰まるプレゼントでした。
帰国を前にこの二十一年間を振り返ってみた時、大変だったというより、感謝でいっぱいです。主はなんとたくさんの祝福を与えて下さった事でしょうか。
宣教師第一期、台湾人の同労者から「日本人は何を考えているかわからなくて、一緒に奉仕していて大変だ」と言われました。逆に日本人の私ははっきりとものを言う台湾人に傷ついたり。でも建前でなく、はっきりと自分の考えている事、感じている事、傷ついた事、意見を言うように 自分を訓練してきてから、思い掛けないほど自由になりました。そして こんなに人間関係が築けるのだと驚かされたのを覚えています。
台湾の教会、クリスチャンたちからも多くを学びました。主のためなら、伝道のためなら、いろんな新しい試みをどんどんする。失敗しても皆責めず、あきらめず、次のステップへ進む。超教派で何度もマーチ・フォア・ジーザスに参加させて頂きました。派手なクリスチャン丸出しのベストを皆着て、クリスチャンである事を堂々と社会で表していく。主のために私はどれだけ旗印を明らかにしてきただろうかと思った事です。国家のため、政府、政治家のために祈る事も台湾で体験し、学びました。超教派で国家のためのリバイバルを祈り、断食や悔い改めの集会も貴重な体験でした。ある教会は、「ここはあなたの台湾の母教会だと思いなさい。奉仕とか期待しないから、疲れた時、甘えに来なさい。」と言って下 さり、そしてその通りにして下さいました。活水泉ではいつも「神様の家族」と言ってきましたが、独身の私にとっても文字通り主が与えて下さった「家族」になりました。そこで何度大声で叱った事でしょうか。(幸い台湾人は叱られるのは愛されているからと解釈し、「まだあなたに叱られた事が無い」と寂しそうに言う人もいる)一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に食べ、一緒に祈り、一緒に伝道しました。また私が間違い、相手を傷つけ、謝った事も多々ありました。そしてその度許され、受け入れられました。台湾人を愛し、主を伝えるために来たと思っていたのですが、実際は私が愛され、主を更に知り、体験させていただく事となりました。そしてそうされる事により、台湾人を尊重し、愛する事を学んできたようです。なんと貴重な恵みでしょうか。感謝でいっぱいです。そしてこの二十一年間、日本でお祈り、お支え下さった皆様、本当にありがとうございました。
【祈りの課題】
1.5月のゴールデンウィークまで休みとなります。両親と共の生活によき適応ができるように。ゴールデンウィーク後からの 巡回の計画に主の導きがあるように。
2.台湾で主が与えて下さったすべての祝福を 感謝。台湾でも日本でも、人々を尊重し、愛して主を伝えていけるように。木下師自身がいつまでも主にあって成長し続けるクリスチャンでいられるように。
「不思議な主の導き」
一時帰国中 佐味湖幸
「これをご縁と言うのでしょうかね?」と、ツアーグループのある人がミーティングの中で言いました。普通の日本人なら、何か目に見えない不思議な力のようなものに導かれて良い出会いをしたときに、このように言うのだと思いますが、私たちクリスチャンは、その「不思議な力」が、神様の摂理であることを知っています。
二月、あるアジアの国へボランティアのためにある市民団体が企画したツアーに参加しました。総勢二十三名。このグループは別にクリスチャンではないのですが、さすが途上国へ行ってボランティアをしようという人たちだけあって、何か生きる姿勢が違う人たちで、この大人数、年齢やバックグラウンドの違いを乗り越えて、お互いにすぐに打ち解け仲良くなり、上記の「ご縁」の言葉が何人かの人の口から出ました。
ボランティアの仕事そのものやその国の人々との出会いなど、たくさんの良い思い出や勉強になったことはありましたが、私がこの旅で、「あぁ、主が確かに導いてくださったのだ」と感じたのは、このツアーに参加したある人との出会いでした。彼女は三十代半ばですが、今まで決して平坦ではなかった人生を通して、自分を導いている何かを追い求めていました。幼いとき、教会の牧師の子供と仲良しで、時々礼拝室に一人座り、なんとも不思議な静寂を楽しんだと言う彼女は、今、また、その静寂の中に静まりたいと、このツアーの最後の日、ある教会へ行くことを決めました。私もその日、同じ教会へ行って、静まりのときを持ちたいと考えていて、朝食の席で「今日何するの?」の問いにお互い同じことを考えていたことを発見し、彼女の顔がぱっと明るくなったのを少し不思議に思いました。そして、その教会の中で、彼女は自分の今までの歩み、幼いときの教会経験、そして、このツアーに参加する前の月、夢で今私たちが座っているこの教会堂を見、「これに進め」という不思議な声を聞いたことなどを話してくれました。「その教会に宣教師さんと来ることが出来たなんて‥‥」と喜ぶ彼女。その教会の中で、彼女は私から聖書の教えるまことの神について、天地創造からキリストの誕生、死と復活について、福音を初めて聞いたのです。「あぁ、やっと自分の求めていたものがわかった」と涙を流す彼女。主のなさることは本当に不思議で、素晴らしいです。栄光在主
【祈りの課題】
1.フィリピンでは4、5月は夏休みです。夏季学校やキャンプなどがあります。休み中の子供たちや学生たちの守りと成長のために。
2.主の導きの確認と、健康の守りのために。
「この世の激しい流れの中で」
カンボジア プノンペン 菅家庄一郎、容子
ピサットという卒業生は、教職課程で一年間学んだ後、コンポンチャム県で高校の教師をしています。月曜日から金曜日までは高校で教え、土・日はプノンペンに戻り、大学の修士課程で勉強をしている(注:プノンペンでは忙しい人のために、土・日だけ大学のコースがあります。彼のような生活スタイルは例外ではありません。)ので、教会に行く時間がありません。それで、土曜日の午前中に私と会って御言葉を学び祈るときをもっていますが、それすらも毎回もてるわけではありません。酒の誘惑に負け、学生がカンニングすることについても問題を感じながら、何もできない自分を見て落ち込んでいます。ノンクリスチャンの彼女がいることも、信仰がゆらぐ原因となっています。かつては、「修士課程を終えたら、大学生伝道を手伝いたい。」と言っていた彼ですが、今は信仰を保つことすら難しい状態です。せめてもの救いは、彼が自分の霊的な状態について憂う気持ちがあり、それを正直に私に話してくれることでしょうか。どうか、彼の信仰がなくならないように、毎日ひとりでも聖書を開くことができるように、また、土曜日の聖書研究に必ず足を運ぶことができるようにお祈りください。(庄一郎)
「もうける(持っている)者にはさらに与えられ、もうけない(持っていない)者からは持っているものまで取り上げられる」ルカ一九・二六(詳訳聖書)のみことばに(関西人の私は)はっとしました。私はもうけているだろうか。主人から与えられた時間、能力、財力、体力、思考力、コネを賢く使って、神の国のため、一人でも多くの人をぶん取るため労しているだろうか。世に流されている若者を神の国の兵士へと、子供たちをまことの良き羊飼いのもとへと、婦人たちを救いの岩、隠れがなる主のみもとへと案内するため力を尽くしているかと問われました。
隣の子供たちが私達と一緒に教会に来るようになりました。けれど、最近日曜学校は教師たちが重荷を失っており、聖書を教えていません。先日教師たちを励まし、会って祈る時を持ちました。皆忙しくて準備をする暇がない、誰も自分たちの働きを認め、励ましてくれない、等の声を聞きました。CS教師の働きがどんなに大切であるか、また、自分自身の成長のためにもどんなに価値ある奉仕か話し、励まし、祈り合いました。次の日曜、チャリヤは素晴らしいリードをしました。
その翌週の教会学校の最中、隣に座った女の子が「おばさん、養子もらう気ない?私、孤児院にはいたくないの。」と言ってきました。教会学校に来ている子供たちの半数以上は近くの孤児院からの子供です。彼女の悲しそうな顔を見ながら、私に何ができるだろうか、と考え祈らされました。(容子)
【祈りの課題】
1.ピセット兄の信仰がなくなってしまわないように。菅家師との御言葉の交わりを通して霊的な力が与えられますように。
2.2006年、菅家師は新エルサレム教会で、一ヶ月に一回説教をするように依頼されました。また、ビン・ダビィ牧師と「説教の作り方」について共に学ぶ約束をしました。原則を尊重しながらも、カンボジア人の理解力にあった説教ができるように、牧師を励ましていくことができるようにお祈り下さい。
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