2007年2月号
page1
page2
「ウィグル人」
何世紀もの間、ウイグル人として知られている人々が東方と西方の文化が交差する地に住み、中国各地域や他国に対しても中継地点としての重要な役割を果たしていました。
ウイグル人は中央アジアの東方部のオアシスや肥沃な谷などで穀物や果実を栽培しながら生活しています。砂漠地帯でのオアシスやそこで開かれるバザールは大変重要でそれによって、ウイグル人商人らは東洋とヨーロッパを結ぶシルク・ロードにおける重要な仲介人となったのです。彼らの集落は旅人らにとって渇きを癒せる貴重な場所でした。
中国国内に住むウイグル人の人口は九百三十万人以上で今では新疆ウイグル自治区として知られる中国最大の自治区に住んでいます。新疆は草原と砂漠と山地が広がる百六十五万平方キロメートルもの広大な土地で、ウイグル人はその地区の最多族で全体の人口の半数近くを占める部族です。
中国東部と南部の主要な都市にも少数ながらウイグル人が住んでいます。さらに何百何千人ものウイグル人達がカザフスタン、ウズベキスタン、トルコ、ヨーロッパ、北米、オーストラリアと各国に散らばって住んでいます。
言 語
ウイグル語はトルコ語、ウズベク語、カザフ語、キルギス語のようなアルタイ諸語のテュルク語群に属し、新疆のウイグル人は一九五〇年から一九八〇年の間はキリル語やラテン文字も用いていましたが、今は改良されたアラビア文字を用います。しかし学校や大学では北京語がとってかわり、めざましい中国の経済成長の波に乗りたいと願う者にとって北京語は必須条件となっています。
歴史と文化
かつてウイグル族はモンゴル高原を支配し、初めての要塞都市を築き、文字を用いた文明を築き上げました。しかし八四〇年、他のテュルク系民族のキルギス人の襲来によってウイグル帝国は崩壊し、人々は南下し、甘粛省北部に逃れました。
その後何回かの分裂の後、ウイグル勢力の一部はさらに西に移動して現在の新疆に定住し、王国を建国しました。その後、個々の王朝が現われては消え、ウイグル人のオアシスの町々はそれぞれ独立小国となりました。
十二世紀、ウイグル人はチンギス・ハーンと同盟を結びました。しかしその後モンゴル帝国の衰退に伴い地域は分裂し、その後も多くの勢力が異なった時代と地域に支配しては消えていきました。
民族の統一は清王朝が彼らの呼ぶところの「新疆」(「新たなる領土」の意)をその支配下に置く一八八四年まで待たなければなりませんでした。新疆は公的に中国の領土となりましたが、当時の西洋には中国のトルキスタンとして知られていました。
一九一一年以降戦乱の渦中にありながら、一九三三年に新疆は短期間ながら「共和国」を建国しました。一九四四年から一九四九年までは中国国民党の支配下に置かれ、その後新疆は新しい中国共産党の下において、新疆ウイグル自治区となりました。
一九四九年の共産革命まで、新疆の漢民族人口は、わずか十五パーセントでしたが、新政権の奨励により漢族移住者が増大していきました。その結果、今日の漢族人口は五十パーセントを越え、イスラム教徒住人との間に民族的緊張も生んでいます。
中国政府の方針によりイスラム教徒世帯の人数は制限され、宗教教育にも抑制がかけられ、ウイグル族と漢民族との間には摩擦が生じています。膨大なエネルギーを必要とする中国にとって、石油とガスといった資源が豊富な新疆は見逃せない価値があります。同時に新疆が中央アジア近隣諸国から獲得している政治的援助もあるために、中国は新疆内の反中国政府的な感情に対しては厳しく目を光らせています。それでもウイグル族と他のイスラム教部族の中には中央アジア的雰囲気がはっきりと残っています。
ウイグル人は漢人とも大きく異なった容姿をしています。民族的遺産とイスラム教徒としてのアイデンティティを誇りに思い、東アジア人というよりもテュルク語民族のように見えます。
新疆ウイグル地区とキリスト教
十九世紀末、スエーデン人宣教師達がカシュガル地域で働きを始めました。一九〇〇年以降、中国奥地伝道団(OMFの前身)が「トルキスタンへの使徒」と呼ばれたジョージ・ハンター宣教師を派遣し、その後にはパーシー・メイサー師が送られ、新疆の省都ウルムチで伝道しました。
一九三三年、カシュガルで大勢の信者が殉教しました。多くのクリスチャン男性は殺害され、女性はイスラム教徒と結婚するよう強要されました。一九四九年の中国共産党が政権政党になると、国内に残っていた宣教師は全て国外追放されてしまいました。
今日、新疆には少なくとも四百人のウイグル人クリスチャンがいます。しかし地理的に互いに離れていることと恐れのために、こうした小さな群同士のコンタクトはまばらです。こうした「イスラム教の背景を持つクリスチャン」達は省の当局者らによって疑われ、迫害され、投獄されることすらあります。それでも彼らは信仰を保っているのです!熱心に証しを続けている兄姉たちもいます。
隣の国カザフスタンで、いくつかのウイグル族クリスチャンの集会が開かれています。新疆では漢中国人のクリスチャンがその数を増し、町々で集会を持っています。しかしこれらの教会もそれぞれ制限がかけられています。
漢人クリスチャンの中にはウイグル人、カザフ人、フイ人やその他北西部に住むイスラム教徒への強い伝道のビジョンを持っていますが、彼らはまだ必要な訓練が欠けている状態です。
二〇〇二年に全巻ではありませんがウイグル語の聖書が出版されました。何年にもわたる労苦の末、ウイグル語の新約聖書、そして創世記と出エジプト記の翻訳が完了し、それまでの古典的な訳にとってかわりました。その後も働きは続いています。キリル語文字による翻訳版はカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタンに住むウイグル人クリスチャンに用いられています。ウイグル語による福音的ラジオ放送は30分番組として毎日放送されています。
宗 教
八世紀にイランからのマニ教が多くのウイグル人支配者層にもたらされましたが、ネストリウス派キリスト教もカシュガルやトゥルファンのような都市に足がかりを得ることができました。およそ紀元千年までは新疆人口のほとんどは仏教徒か精霊崇拝者でした。
十世紀、イスラム教が広く伝わりましたが、一四〇〇年代までイスラム教が入らなかった地域もあります。今日、ほとんど全てのウイグル人がスンニ派のイスラム教徒で、新疆に一万四千以上も存在するモスクで礼拝を守っています。イスラムの教えへの忠誠は、彼らのアイデンティティの一部となっています。
メッカの方向に向かって日に五度祈りをささげ、毎週金曜日には近くのモスクの礼拝に出て、ラマダン月には断食をし、宗教税を支払い、豚肉やイスラム教の慣習に従って処理されていない肉には手をつけず、もし可能ならメッカへ巡礼に行きます。
世界各地のイスラム教徒同様、ウイグル人もその土地固有のイスラム教を信じています。お守りを身につけて悪霊から身を守ることは日常的に行われています。
生 活
昔から農業と牧畜を営むウイグル人はタリム盆地やタクラマカン砂漠を囲むオアシス周辺、天山山脈の牧草地、パミール高原、クンラン山脈に住んでいます。アジアの奥地に生きる民として、ウイグル人は様々な国の人々が行き交う交易ルートに必要な技術や道具を編み出してきました。今、ウイグル人の多くは製造業、鉱業、油田開発、商業や輸送業にも従事していますが、かつての牧畜生活のおもかげは、今も彼らの食生活の中に見られます。
「新しい奉仕へ始動」
日本 木下理恵子
台湾活水泉のテラ師より素晴らしい祈りの答えが来ました。クリスマスの時に、風俗で働く女性たちの集まりを計画したところ、二十五人の方が来て下さいました。台北市で似たような女性たちの伝道をしておられる顔牧師ティームに来て頂いて、二人のそうした過去のある姉妹が証しし、顔牧師のメッセージでした。こうした女性たちにどの様に語るべきかよくご存知の牧師で、メッセージ後の招きに何人もの女性が主を受け入れたいと手を挙げたそうです。テラさんからも御祈り本当に感謝しますとの事です。今彼女はこの顔牧師たちにこれからどのようにフォロアップしていけばよいか相談しています。またこの顔牧師の奥様はアッセンブリー教団の日本人宣教師丸山陽子先生です。このご夫妻とそのティームが定期的に助けて下さればとても感謝です。続けて御祈り下さい。
私の方は、三月まで巡回をして、その後は引き続きOMF在日宣教師として、日本にいる中華系の人々への伝道をする事に決まりました。巡回していても中国人や台湾人、又とにかく日本に住む外国人の多さを実感しています。そうした中、巡回で伺ったある教会に来ておられる中国人シアオ・リーさんが主を受け入れました。福音を聞くのは初めてで、砂に水が吸い込まれるように御言葉が入っていくのがわかりました。週一回一緒に中国語で聖書研究をしています。救われた日、彼女に「日曜日はどこで礼拝しているの?」と聞かれました。与えられたコンタクトの人とまず聖書研究を始めて、と考えていたのですが、母国語で礼拝したい、メッセージを聞きたいと言う彼女の気持ちが痛いほど伝わりました。中国語礼拝を始めるべきなのだろうか、何時、どこでなど、共に主の導きをお祈り下さると感謝です。シアオ・リー姉の信仰の成長のため、そして主が準備していて下さる中華系の方々とのコンタクトが与えられる様にも御祈り下さい。
二月前半は関東、後半は沖縄、離島を巡回させて頂きます。良き時が与えられ、日本での中華系の人々への伝道のため重荷を持ち、共に祈り携わって下さる方々が起こされるよう願っています。御祈り、心より感謝しつつ主の祝福を御祈りします。
【祈りの課題】
1.台湾活水泉で風俗の女性のクリスマスの集いに25名参加者があり、主を受け入れたい方々が起こされ感謝。テラ師がこうした伝道の経験のある顔牧師、丸山陽子宣教師ご夫妻からいろいろ学べ、定期的に助けて頂けるように。よきフォロアップがなされるように。
2.木下師は巡回後4月より引き続きOMF宣教師として在日中華系の方々の伝道に携わります。まず中国人のシアオ・リーさんが救われ感謝。彼女の霊的成長のため、又こうした伝道で今具体的に何をすべきか、良きコンタクトが更に与えられるように御祈り下さい。
「2006年クリスマス・チーム伝道の喜び!」
カンボジア プノンペン 菅家庄一郎、容子
岡崎るつ記さんは大学生で、二〇〇六年八月から私たちと共に住み、芽生と結の日本語を教えながら、カンボジア人大学生にも日本語を教えてくれています。毎週火曜日と金曜日の午前に集まっています。セーン君は唯一の男子学生で、鶴岡徹也君がよき友人になってくれた人でした。彼は、もうすぐ日本の新聞社の奨学金で関東の大学に留学しますが、かつて熊本の高校に留学していたこともあり、一番よく日本語ができます。聖書をよく読んでいます。チャンターさんはセーン君の彼女で、るつ記さんは一番話しやすいと言っています。ヴィチェラーさんは、とても元気な明るい子で、将来はキャリア・ウーマンとなりお金をばっちり稼ぎたいと考えています。チュンナーさんはおとなしい性格で、モルモン教の教会に通っています。これらのメンバーと彼らの友人と共に、日本食を食べながら、クリスマス会を開きました。るつ記さんが、どのようにしてイエス様を信じるようになったか証しをしてくださり、庄一郎がメッセージをしました。皆、働きながら学んでいる忙しい学生たちですが、イエスキリストを信じることができるようにお祈りください。また、るつ記さんが四月から大学に戻るためのよい準備ができますようにお祈りください。(庄一郎)
十五日、ピース師とドロティア師(私たち三人は毎週会って祈り合う友)は、ご近所の人を招いたホームパーティでメッセージをして欲しいと招いてくれました。場所を整え、おやつを用意してくれたピース師、家族ぐるみで近所の人たちと交わりを深めていったドロティア師。一人一人賜物、役割は違いますが、心は一つとされ、クリスマスの喜びのメッセージが皆の心に伝わりました。
十七日、岡崎さんが日本語を教える学生達を招いてのパーティー。るつ記さんは、初めて自分がどのように神様に赦され、受け入れられたかを賛美を交えてカンボジアの学生達に証しました。とても緊張したようですが、その後、セーン君は、その証しにとても驚き、自分もイエス様を信じる、と言ってきました。
二十三日、女学生の聖書研究のクリスマス会は、最近加わってくれたドロティア師が、日本でよくした(彼女のご両親は日本への宣教師で、彼女は十八歳まで日本育ち)キャンドルサービスをリードしてくれ、それから一年を振り返っての分かち合い。皆が、問題、試練の中で、主に信頼することを教えられ、祈りとみことばをとうし、平安を経験している証しに、大いに励まされました。
その午後は、大学で地理学を教えるアラスター師が、学生を自宅に招き、地理について、先生について、クリスマスについて事前に集めた学生からの質問をもとに、ゲームや証し、メッセージという形で準備した集会。カンボジアに来てわずか二年目の彼が、溢れる情熱をもって、自分の人生がどのように神に救われ、神のものになり、カンボジアに遣わされてきたかを語り、カンボジア人牧師で友人のカメロン師がクリスマスメッセージをしました。スリエン君が英語で聖書を学びたいと応答してきました。蒔かれたみことばの種が、一人一人の心に深く根つき、成長しますようにフォローアップのためお祈り下さい。(容子)
【祈りの課題】
1.岡崎るつ記さんと日本語を学んでいるセーン君、チェンターさん、ヴィチェラーさん、チュンナーさんがイエスキリストを信じる信仰に導かれますように。チュンナーさんはモルモン教とキリスト教の違いを知ることができますように。
2.アラスター師の教えている学生スリエン君ほか数人の学生が英語で聖書を学びたいと言っています。この学びが導かれ、彼らが福音を理解し、信仰が与えられますように。
「逆風」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
「まず、方言こそが、日本語の活力の源泉であるということ。」これは司馬遼太郎さんとの対談で国語学者の徳川宗賢(むねまさ)氏が言ったこと。
北海道から始まり、東京を飛び越え、九四国の諸教会を巡回すると、この意味が分かります。
司馬「土語[方言]が滅ぼされつつある‥‥。」
徳川「この方言を、みんなが明治以来百年間、ばかにしてきた。母親をないがしろにする者には、かならず災いがふりかかってくるんじゃないでしょうか。」(『日本語の本質』)
タイ人がミェン族などの山岳民族を蔑視するのは、日本の中央志向者が方言を見下す以上のものがあります。なにしろ「方言」ではないのですから。チェンマイ市にミェン宣教教会ができたというのは、札幌市の真ん中にアイヌ語だけで礼拝する教会ができたも同然。逆風の中の教会です。少数民族と知られないようなタイ語を話すことが順風でカッコいいと見なされます。
ところで、二年間我が家に下宿していたナイツォイ姉の学位授与式をライヴで見たことは先月書きました。遡って十月、彼女からこんなメールをもらっていました。「ミェン宣教教会に通うのをやめました。ごめんなさい。うまく説明できないんです。今はタイ人教会に出席しています。ごめんなさい。」
「ごめんなさい」なんて言わなくても‥‥と思いながら返事を書きました。「とにかく教会に行っていればいい。あなたの決断がどのように神様から導かれたか、語れるようになったときに教えてくれれば。言語選択の問題があったのかい?宣教教会はミェン族伝道を強調しすぎて重荷だったかな?いよいよ卒業だね。おめでとう。」
十一月、卒業式の写真とともにメールが来ました。「タイ人教会で必死に祈り導きを求めました。ミェン族のために働きなさいというのが神様からの答えでした。ミェン宣教教会に帰って来て神様と約束したんです。どんな問題に直面しても決して逃げないと。私がこどもの信仰から脱皮できるように祈ってください。」ナイツォイは逆風を突き前進しています。
【祈りの課題】
1. 巡回を通してタイのミェン族に奉仕する宣教師候補が与えられるように。牧会の賜物のある人で長期の奉仕する神の選びの器に出会うことができるように。
2. 家族のために。達朗師の母上と弟家族、たまみ師のご両親と妹家族の中から、6月にタイに戻る前に、だれか一人でも救われますように。
2007年2月号
page1
page2
TOP PAGE
|
OMF@宣教師.come
|
宣教ニュース
|
東アジア宣教ノート
宣教祈祷カレンダー
|
OMFについて
|
リンク
|
e-mail
OMFインターナショナル日本委員会■〒272-0035 千葉県市川市新田1-16-14
TEL:047-324-3286 FAX:047-324-3213 郵便振替:00100-0-615052
© 1999-2007 OMF International JAPAN. All rights reserved. designed by HFJ.