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2011年6月号  page1  page2


「直接会って話せたら‥‥」

中国の街角にて(本文と写真の人物とは関係ありません) 被災地のグレイス(恵み)
 気温が急に下がり始めました。そのような中、グレイス・ウォング姉は最も近い商店街へ行くバスに乗るため、徒歩三十分の所にある橋のたもとのバス停留所まで、さびれた道を歩いていました。
 グレイス姉は暖かい服と冬用オーバーを主に感謝しました。この地域で働いていると、時に神に感謝する理由を見つけるのが難しいこともあります。あの大地震から既に二年経っていますが、彼女が教えるクラスは今も孤児や手足を失った子供達でいっぱいです。そして彼女と共に震えながらバスを待つ友人達も又、たった一人の子供や両親、家や生活そのものを失った人達なのです。
 人々の必要は対応するには余りに膨大過ぎるように思えます。それでも政府は家々を再建し、家も夫も失った未亡人や孤児達に住む所を与えるなどのよい働きをしている、とグレイス姉は思い、神もこれらの働きについては喜んでおられるに違いない、と確信しています。
 しかし同時に、彼女は新しい家が人々の精神的な痛みを癒すわけではないこともわかっています。イエス・キリストのみが与えることができる、愛に満ちた慰めだけが真の癒しをもたらすことができるのです。
 彼女が勤める学校で、一人の少年がそのような癒しを見出すことができました。「ウォング先生、僕、やらなきゃいけない仕事ができたよ。友達にイエス様のことを知らせなきゃ。」グレイス姉はこの少年や彼に続くであろう主を信じる子供達を霊的に訓練し、導くことのできる男性の働き人が与えられることを切望しています。
愛を求めて
 中国の他の地では、ウーヤンが再び恋に落ちていました。彼女は毎週のように新しい恋をしているようです。ある時はデービッド、そしてクイン、そして今週はエリックというように。
 彼らはアメリカ人のピート医師が作った、エイズ防止を訴える劇を演じるグループのメンバーで、特に麻薬が横行している地域の村々を巡回しています。家族を亡くして以来、ウーヤンにとってこの総勢十五人のチームは新しい家族も同然です。ウーヤンはダイ族出身です。ダイ族にとって仏教以外を信奉することは論外で、ウーヤンと彼女の妹がキリストを信じたと知った両親は娘達を勘当した上、家から追い出してしまったのでした。余りのつらさから妹の方は信仰を取り消してしまいました。ウーヤンの方はピート医師夫妻があらゆるサポートをし、今も信仰を保っています。
 最近ウーヤンは同じチームのメンバーのリス族の男性と真剣に付き合い始めました。彼は十代の頃はほとんどいつもインターネットカフェでネットゲームに没頭していましたが、やがて主に出会い信じました。今二人は共にキリストを中心とした人生を歩もうとしています。
夏休み
 中国北部に住むマ・シンは一風変わった夏休みのことを思い出していました。家族との休暇をあきらめて、気が進まないまま欧米人たちと教師訓練プログラムに参加しました。奇妙なスコティッシュ・ダンスを習ったりして三日間は過ぎましたが、その間特に彼の考えが変わることはありませんでした。
 しかし振り返ってみて、あの経験は無駄ではなかったと彼は感じています。彼はイスラム教徒ですが、そうではない生徒たちも含めて、学生たちを理解し尊敬するよう努力するようになりました。あの数日間、外国人たちが彼に示してくれた愛に彼も影響を受けたのでしょうか?
 プログラム参加中に、マ・シンは外国人たちが皆クリスチャンであることに気づきました。それでも彼らはイスラム教を尊重し、イスラム教徒を愛してさえいるようでした。それはイスラム教の教師がクリスチャンについて自分に教えていたこととは大きく違っていました。「なぜここへ来たんですか?」「あの九・一一事件の後でなぜイスラム教徒を愛せるのですか?」「どうしてそんなに服装に気をつけているんですか?」外国人たちに対して彼はいろんな質問を浴びせました。
 現在イギリスの学校で教えているその内の一人のメールアドレスを今も彼は持ち歩いています。イギリスにメールをすることもできますが、むしろ直接誰かと話ができたら、とマ・シンは思っています。
二人でお茶を
 ある省都に住むルカ兄は八宝茶を一口すすりました。まだ時間は早いのですが、マイケル兄がもうすぐやって来るはずです。待つ間、ルカ兄はこう祈っていました。「イエス様。マイケル兄を感謝します。彼をイギリスから送って下さり、彼から学べることを感謝します。私の教会のメンバーを感謝します。もっと良い牧師となり、あなたのみことばを人々に忠実に教えることができるよう助けて下さい。」ルカ兄は主を信じてまだ二年ですが、既に四十人程の小さな教会を導いています。自分がこの務めにふさわしいとは感じられず、もしマイケル兄がいなかったら、とうに自分は教会から解任されていただろうと彼は思っています。
 彼が始めてマイケル兄に会った時、彼はマイケル兄がずっと一信徒であったにもかかわらず、聖書の知識がすばらしく豊かであることに驚きました。マイケル兄はどうしたら紀元一世紀のパレスチナでの出来事を二十一世紀の中国につなげられるかがわかっているようでした。マイケル兄はロンドンの職場で昼休みに祈祷会を開いていたそうです。「あの時の祈祷会のメンバーも、会計士やビジネスマンがいる君の教会とそんなに変わらないよ。」と彼は言いました。「無神論の社会で神を第一にして生きようとする時、皆いろんな葛藤にぶつかるんだ。」
 二、三カ月後にマイケル兄は一年間母国へ帰ります。「家族に会わなくちゃいけないし、母教会でもっと多くの人が君達のために祈ったり、実際に中国に来てくれるように、中国のことを伝えに帰らなきゃ。」
 ルカ兄はマイケル兄がいない間、どうしたらよいかと不安になっています。スカイプで互いに話はできますが、今までと同じようにはいかないでしょう。
あなたがここにいてくれれば
 中国の教会は急成長しています!正確な数の把握は不可能ですが、おおよそ毎日八七五〇人の中国人がクリスチャンになっていると言われており、全国では一億人近くになっていると考えられます。かつて、OMFの創立者ハドソン・テーラーが全世界に突きつけたように、中国は今も「霊的な必要と要求」を訴えているのでしょうか?
 確かに欧米教会への依存体質はずっと以前に過ぎ去りました。今、海外からのクリスチャンは中国でパートナーシップと従順の精神をもって労しています。しかし中国教会はまだ若く様々な必要があり、同時に外国人クリスチャンが担える役割も多く残っています。外国人は地元中国人が入りにくい場所に行くことができます。又、外国人は教育や専門家の交流を通して社会のエリート層に届くことができます。そして地域開発プロジェクトを通し、資金を得て都市や地方の貧困層のもとへ行くこともできます。
 中国の驚異的な教会成長は、多数派である漢中国人や二、三の少数民族の教会に限られています。そして多くの少数民族の地域では恐らく外国人の方が中国人よりも受け入れられ易いことでしょう。教育・研究・開発・公衆衛生などの分野の専門家で神に仕える心を持つ働き人を派遣することができないでしょうか。地域産業のビジネスを起こすことのできるクリスチャン・ビジネスマンもすぐにでも必要です。
 遣わされる人々の生活が安楽なものという保障はありませんが、もし読者の皆さんの中で進んで中国教会と手をたずさえ、この国にどのように神の御国をもたらすかについて中国人クリスチャンと共に学ぼうと思われる方がおられるならば、ぜひご連絡下さい。
 グレイス姉、ウーヤン姉、マ・シンさん、ルーク牧師そしてその他多くの人達があなたを待っています。もしふさわしい技術をお持ちで、神が自分を召しておられると思われるならば、ぜひ来て下さい。共に働きましょう!


「回復」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

ミェン族青年キャンプ。来年は300人集まりますように  三月のミェン族教会大人の聖会、四月の青年キャンプのためお祈りくださりありがとうございました。両方とも祝福され、各地区、各教団の諸教会で新たな決意で新年度の歩みが始まりました。
 さて、貴(たかし)のことですが、懲戒処分が解けました。今年四月十五日付で神学校のインターン資格が再交付されました。つい先日彼とともに出身の村を訪れ、クリスチャンではないご両親と母教会の代表役員にインターン再開の報告をしました。彼の回復のためにお祈りくださり心から感謝します。
 タイ教会でもミェン族の教会でも戒規に触れて懲戒処分を受けた人が悔い改めて回復する例はとても稀です。ありがちな結果は、逃亡か破壊。前者は教会を渡り歩き、聖書的再教育と回復の過程をきちんと踏むことなく、逃げた先の教会で何食わぬ顔で役職についていたりすることです。後者は、回復の教育過程に愛の配慮が無く、恥と懲らしめだけを受けて人生がつぶされてしまう場合。
 貴は逃げませんでした。文字通り胸ぐらを捕まえて壁に押さえ込み逃げられなくしたこともありました。私たちの一時帰国中、預かっていただいた牧師宅でも、ほとんど召使のように仕え謙遜を学びました。貴は多くの人からの愛を受けました。仲間の神学生たちから絶えず励ましを受け、タンマジャーリク教会の兄姉から愛されました。彼の内に悔い改めと聖霊の実が実ってきたことが確認でき、神学校とミェン族教会協議会運営委員の話し合いで、二年の予定であった謹慎期間が一年に短縮されたのです。
 現在は正式な研修神学生として、我が家で「ミェン語―タイ語小型辞書」のデータ収集を三日、タンマジャーリク教会に二泊し三日間の奉仕をしています。私たち夫婦は来年の二月までアドバイザーとして奉仕しますので、愛をもって彼の賜物を伸ばす助けをすることができるようお祈りください。「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈芯を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす」我らの主に感謝します。(達朗)
 四月最後の日曜日、下宿人の貴兄は懲戒処分が解けて初めての聖餐式に臨みました。赦された喜びで、活き活きと教会学校の小・中・高生・青年達を教え導いています。その姿に、赦されるって、周囲の人まで嬉しくなると感じました。
 日本からメーチャンに戻ってきて丁度一ヶ月の時、我家のオス猫ニックがペットの猫としての使命を全うし生涯を閉じました。
 十二年間、私達を笑いに誘い、ストレスを解消させてくれた愉快な、ユニークな猫でした。休暇が取れなくても、自宅でニックを眺めているだけでリラックスできました。蛇よけのはずだった猫がそれ以上の活躍をしてくれました。
 ストレス管理の失敗が宣教師生活を脅かすものですが、皆様のお祈りによって、神様が私たちを守ってくださるため備えてくださった猫の存在でした。(たまみ)


「聖書翻訳の現場」
日本 佐味湖幸

ラカタン師と私  二〇〇〇年一月、フィリピン、ミンドロ島の先住民族マンヤン族(六つの言語グループからなる)の内の一つ、西タブイッド語の新約聖書が完成し、奉献式が行われた。翻訳に携わったOMF宣教師ダニエル師一家は、その後英国に帰国し、聖書翻訳の働きは途絶えた。それから約十年の年月が経ち、昨年初め、西タブイッド語だけでなく東タブイッド語、そしてハノノオ語の三つのマンヤン族のグループに旧約聖書の翻訳をしたいという願いが与えられ、OMFのフィリピン人宣教師ラカタン師がコーディネーターとして立てられた。SIL(聖書翻訳の宣教団体)の協力も得られることになり、二〇二〇年までに上記の三つの言語の旧新約聖書完訳を目指すこととなった。
翻訳した聖句を入力中  コーディネーターのラカタン師は、私がミンドロ神学校で教えていた頃の教え子の一人。一九九五年に神学校を卒業して以来、マンヤン族の教会学校教師育成のために働いてきたが、一昨年あたりから違う働きを祈り始めていた。私も祈りのレターでそのことを知っていたので、神様が彼女をどのように導かれるか楽しみに祈っていたが、聖書翻訳の働きに導かれたのはちょっとした驚きであった。
どのように訳すべきか、討論中  私は三月末にミンドロ島を訪問した時、マンヤン部族キリスト教会連合のセンターで行われている聖書翻訳の現場を訪ねることができた。この聖句はどういう意味か、どう訳せばいいのか話し合っているグループ。コンピューターに入力している人たち。どの顔も真剣だ。そこに、SILのトレーナーからインターネットのテレビ電話が入った。みんな、ワーッとその画面の前に集まり、はるか彼方アメリカにいる人と話し合っている。ほんの数年前まで誰も考えられなかった光景だ。ここもまた神様の働きの最前線。感動して身震いがした。


「御手のなかで」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

 今年のカンボジアは四月だというのに朝夕が涼しい日が続く変な気候です。例年は暑くて暑くて頭がボーっとしてくる季節です。下旬になって少し暑くなってきました。カンボジアの産業の八割は農業なので、農作物に影響のないように、天候が守られるようにと思います。
 先月号に書きました外務省との合意書更新に必要な書類を、四月中にすべて提出することができました。来週、その更新手続きがどうなっているか外務省に様子を見に行くことになっています。この必要書類を外務省に受け取ってもらうのに、約二年間かかりました。あとは、主の御手の中…神様に期待しています。
 気がつけば、OMFカンボジアの総主事代行の奉仕もあと二ヶ月半になりました。最初は、このような重責を負うことができるのだろうかと思いました。必要な助け手が与えられ、よい同僚に恵まれています。何よりも真実な神様が責任を取って下さいました。OMFカンボジアに留まらず、カンボジア全土への宣教に目が開かれた貴重な奉仕でした。残り少しの奉仕も忠実になすことができるようにお祈り下さい。(裕三)
 「教会を出ようと思う。ひとみ、どう思う?」とクンティーア姉から突然言われました。彼女は教会のリーダーである夫と四歳の娘と教会に住み二年が経ちます。無料で教会に住む代わりに、掃除・留守番を任されています。
 最初の頃は時間があり、念入りに掃除をし、神様に仕えられると喜んでいました。しかし、家計の助けの為始めた工場勤めを病気で辞め、その後は予定外の妊娠・流産と続きます。思いも新たに教会の横で始めた小売店は繁盛せず、そんな頃に教会の先輩婦人から「掃除が出来ていない」と苦情を言われます。
 多人数が使う教会を綺麗に保つのは大変です。雨季には重労働の洪水の掃除が何回も、また毎週のように教会の掃除奉仕を休んだ人の代わりなど、教会に住んでみないと分からない苦労があります。
 ここ半年間彼女の話を聴き、その度に彼女は「もう少し頑張ってみようと思う。私は人に仕えているのではなく神様に仕えているのだから」と言っていました。しかし、とうとう限界のようです。
 私も日本で教会に住んでいたことがあるので、彼女の気持ちが少しは分かります。私は突然の質問に頭がぐるぐるしながら、彼女と「一番大切なことは何だろう?」と話し合いました。その過程で彼女の父親は、「教会に住まなくなったら教会から離れやすくなる」と心配してくれていると話してくれました。教会に住むか住まないか、また他の人がどう思うかが問題ではなく、彼女が神様とどう繋がっていくかが大切と話し合いました。彼女が夫と共にこれからどう行動するのか?分かりません。他にもこれからどうなるのか分からない人が沢山いますが、私も含め、「それでも」先に進む信仰が与えられるようにお祈りください。(ひとみ)

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