2011年7月号
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「シャン族」
「タイ人は俺をビルマ人だと言うし、ビルマ人に言わせれば俺はシャン族だって言うんだ。いったい俺のいられる場所はどこなんだ?」
ビルマ(ミャンマー)軍政府によって土地を取り上げられ、水牛も殺されてしまったシャン族のサオさんはこう訴えます。
シャン族はその人口五百〜七百万人の中に、クリスチャンは一パーセント以下しかおらず、東アジアの未伝のグループの中でも最大のグループの一つと言われます。シャン州という名称はこのシャン族から来ています。シャン州は北は中国、東はラオス、南はタイに、そして西はビルマの五つの州や管区に接しています。シャン州の面積は約十六万平方キロメートルあり、十四の行政区画の中で最も大きく、ほぼビルマ全域の四分の一近くを占めています。
シャン州はいくつかの部族軍の発祥の地です。ビルマ軍は既にほとんどの部族軍との停戦に合意・調印しているのですが、実際は州のかなりの地域が政府の管理が届かない状態のまま残っています。紛争の結果、約二百万人ものシャン族人がタイ国へ逃れました。
多くのシャン族は厳しい生活を送っています。マラリヤや下痢は日常茶飯事で、治療を受けるにも病院は遠く、治療費を払う余裕もありません。文盲、アルコールや薬物中毒、暴力、売春、貧困、ホームレス、迫害、そして悪霊の恐怖も蔓延しており、多くの人が仕事を得られずにいます。
避難民
こんなことは初めての経験でした。なじみのあるもの全てから切り離されて、武装した兵士とともに敵陣のジャングルを歩いていたのです。もう帰る道もわからなければ、自分がどこに向かっているかもわかりません。「もうすぐですよ。」連れの兵士は小声でそう言いました。
四時間の道のりの後、道が折れ曲がり、目指す場所が前方に見えてきました。そこは二つの国のはざまで避難民となった千五百人のシャン族が住むキャンプでした。ビルマから追い出され、タイ国への入国も拒否された彼らに行く所はありません。
その後二、三日間、私は多くの人たちと話をしました。ある青年は村が攻撃された時、両親と離ればなれになってしまったいきさつを語ってくれました。今この青年は他の仲間たちとキャンプ内の工芸クラスで技術を取得しようとしています。兵士だという青年にも会いました。反政府の小部隊に所属して連日訓練を受け、キャンプを守る任務についています。彼の両親は亡くなっており、彼にとってはこのキャンプの仲間が新しい家族なのでした。
家や愛する人を失った人々が慰め、希望、キリストにある新たな家族を見出せますようお祈り下さい。
唯一の友
サイ・カムはシャン族の中では大変有名な歌手で、ビルマやその他の国でもコンサートを開き、多くの人たちが彼のようになりたい、と思うような存在でした。
しかしファンたちはサイ・カムが元気がないことに気づきました。コンサートの回数も減り、生気を失っているようでした。最後のコンサートの時には息も絶え絶えな様子で、ほとんど声も出ず、かろうじてギターを抱えているという状態でした。
そしてそれから数週間後、サイ・カムは息を引き取ったのです。死因は肝臓系の病でした。誰もがサイ・カムは全てを手に入れたスターだと思っていましたが、実は彼はアルコール中毒者だったのです。
その仲間のサイ・ラオも週に何回も飲みに行き、こう言います。「さみしいさ。でもこいつ、このビールのグラスが友達なんだ。」
サイ・カムは飲酒によって何とか孤独とさみしさから逃れようとしました。しかしこの「友」は彼の生涯を破壊してしまったのです。
アルコールや麻薬中毒になっている多くのシャン族の人々のためお祈り下さい。
悪霊の支配の中で
その霊が彼女の中にいる時、彼女は周囲が全くわからなくなり、自分の身体をコントロールすることもできなくなります。心臓は激しく脈打ち、霊が出入りする時には死にそうな感覚を覚えます。
セン・メンの物語は、ある霊がやって来て、彼女が霊媒になるよう召されるところから始まります。その当時の彼女はごく平凡な健康な女性で、悪霊に自分の身体をあけわたすことなど望んでいませんでした。
試しに彼女は悪霊に向かって彼女の車を取り去ってみろと言いました。するとその二、三日後に自動車事故によって車は大破、セン・メンの身体も一時的に麻痺してしまいました。何とか回復した時、セン・メンは悪霊に身も心もゆだねてしまったのです。
シャン族は健康問題や将来についてしばしば霊媒に頼るため、セン・メンは収入を得ることができ、霊媒として地域でも恐れられ、尊敬を受けていました。しかし村で彼女の影響力を保つ代償として、悪霊は自分を崇拝するよう要求してきました。霊媒の健康と安全は、悪霊をなだめ、麻薬・セックス、嘘や盗みをしないことにかかっているのです。
ますます悪霊に頼る中、セン・メンは悪霊の助けなしには生きられないと感じています。
シャン族が悪霊から守られ、悪霊ではなく神の聖霊に自らをゆだねることができるようお祈り下さい。
エイズ問題
今やサイ・アンは死の瀬戸際にありました。「もしあの時、あの注射針を使ってさえいなかったら」と彼は思っています。
シャン族は勤勉で、仕事のえり好みをせず働きます。しかしそれは多くの場合、長期間家族と別れて出稼ぎに行くことを意味します。若い既婚者のサイ・アンはある日、出稼ぎ先でヘロインを回し打ちし、その時の注射針がもとでエイズに感染してしまったのです。そのことを知らずに家に戻ったサイ・アンは妻にも感染させてしまい、その一年後に彼女は初めての子、男の子を出産しました。
エイズに感染した三年後、サイ・アンは肺炎により亡くなりました。彼の死後間もなく、妻も激しい下痢の後息を引き取りました。エイズで体力を失っていた彼女はこの比較的よくある症状にも耐えることができなかったのです。住む地域によってはシャン族のエイズ患者にとって場所的にも経済的にも薬を得ることが難しいため、三年もしくは四年で亡くなるケースが多いのです。
サイ・アンの住んでいた村には、出稼ぎ中にエイズ感染した身内が一人以上いる世帯が少なくとも六世帯はあります。サイ・アンとその妻が亡くなり、残された息子は、サイ・アンの親戚が世話をしていますが、三才になったその子も最近エイズと診断されました。
エイズに感染してしまった人々のため、そして患者たちを助けようとしている人々のため、お祈り下さい。
「北九州、山口訪問」
日本 佐味湖幸
五月の大型連休中、北九州市と福岡市、そして下関市の幾つかの教会を訪問することが許され、感謝でした。
行く先々で東アジアでの宣教のことをお分かちさせていただきましたが、集会の合間に話題となって皆さんと語り合ったのは、日本宣教についてでした。特に東日本大震災を受けて、この国のために心を痛め、今教会は何をすべきかを考え、何とか宣教の業が進むようにと祈っておられる先生方、信徒の方々との語らいは、とても有意義なものでした。
一人の人が救いに導かれることを大切にし、家庭を開放して礼拝を捧げ、地道に地域に証をされている信徒の方。日本における全人的、包括的宣教とはどのような形をとり、どのような可能性があるのかを課題として受け止めておられる牧師。世界宣教、日本宣教に大きなヴィジョンをもって、主に期待しつつ進んでいる教会。引退後農業を始められ、それを通して地域と関わり、教会形成について考えておられる方。定年まで後X年Yか月Z日と文字通り指折り日を数えながら、その後は東アジアで主に仕える願いをもっておられる方。三十年以上牧会した教会を離れ、新たな土地で一からの開拓を始められたベテラン牧師。その働きを共に担うべく、日本語はまだ心もとないが、チラシ配布に特別集会企画に一生懸命働く新人宣教師たち。
主の再臨の日を望みつつ、それぞれの所で与えられた働きを忠実に進めておられる姿に励まされました。また、世界宣教、東アジア宣教のためにも、熱い祈りが捧げられていることを感謝しました。
「福音宣教と自立した教会」
カンボジア 今村裕三、ひとみ
今年のカンボジアは四超教派での働きの中に、ミッション・カンプチア(カンボジアの意味)二〇二一というものがあります。略してMK二〇二一と言います(京都のタクシーの名前のようですね)。これは、二〇二一年までに、カンボジアのすべての村々にクリスチャンの存在をみたいという幻のもとに始められている働きです。まず、どこに教会があり、どこに教会がないのかということを調べなければなりません。昨年までに、カンボジア全土の調査結果が出ました。その結果によると、約一万四千ある村のうち、約一万二千の村々には教会がないというものでした。クリスチャンの数は人口の約一%。政府からの迫害を恐れて、この調査には協力しない教会も半数近くあり、実際のクリスチャンの数は人口の約二%と言われています。
今、教派・団体を超えて、いち早く福音をカンボジアのすべての人にということが祈られ、また、そうなるようにどのような協力がよいのか話し合いをしている途中です。人間の集まりの教派・団体を超えるということは、実際にはなかなか難しいです。いずれにしても、この調査で分かった最も福音が届いていない地域に、これから出て行きたいと願っています。この働きは外国人の宣教師だけでなく、カンボジアの諸教会と協力しつつ進めて行く段階に来ていると思っています。(裕三)
「牧師給が安くて生活するのがやっと。子供が病気になったらどうしたらいいのか?妻が心配している。神学校のときの同級生は牧師になって沢山の安定した給料があるのに‥‥。」目の前でこう言われると、その牧師の霊的状態が下がっていることも感じ辛いです。
カンボジアの教会が自立した会計でやっていくのは、教会員みんなが貧しいのでかなり大変です。宣教師がそれに対応する方法が二つあります。(一)お金を出して助けてあげる(二)神様が満たしてくださることを励ましつつ祈る。カンボジアの大半の教会は前者の状況です。宣教師からのお金でなくとも外国からの献金です。(一)は手っ取り早いですが、経済的援助が無くなった時に牧師を辞めてしまう人を過去に沢山見てきました。また外国からのお金を、自分が獲得したお金のように使う「成金牧師」も見かけます。なによりもこの方法では、経済的自立が出来ません。
(二)は「外人のくせにケチ!」と思われるのを耐えることは容易ですが、耐え切れずに辞めたり、給料の良い教会に移ったりする牧師を見る事は心が痛みます。しかし、神様が満たして下さる事を実体験した牧師は自信に満ち明るい顔になります。宣教師ではなく、神様がその牧師と個人的に関わり満たして下さることを知ります。
カンボジアの牧師が、神様の働きを満たしてくださるのは、宣教師ではなく神様であることを知り、私がそれを邪魔しないように知恵が与えられるようにお祈りください。(ひとみ)
「世界と日本のために祈ろう」
日本 菅家庄一郎、容子
五月末、「年の半ばの祈りの日」ということで、関東で働くOMF宣教師が集いました。十三の宣教地と十四の派遣国、そしてシンガポール本部から寄せられた祈祷課題にそって皆で心を合わせ祈りました。都会での教会開拓から辺境の部族伝道、イスラム圏伝道、子供・青年への働き、専門職を通しての働きなど、本当に多岐にわたる方面で、様々な技能、賜物をもった働き人がただ一つの目的、「東アジアの人々に緊急に福音を伝えることによって神の栄光を現す」ために労しています。
しかし、それぞれに直面する壁や困難があります。イスラム圏や共産国はもちろん、西欧諸国においても迫害・反対が強まっています。経済的問題、長く働いても実が見えない、病気、子供の教育、年老いた両親への責任など働き人が母国に帰らざるを得ない状況もあります。カンボジアでも世俗主義・物質主義が信仰者の歩みへのわなとなっています。また、宣教の働きはパートナーシップの時代ですが、現地の教会、他の宣教団体との協力・一致はたやすくはありません。
毎日の生活で目の前のことに終始しやすい中、一歩下がって神様がなされている大きな働きの全体に心を向けることは助けになります。その中に私たち一人一人の持ち場もあります。全世界で今日も主を仰いで忠実に労している兄弟姉妹を覚え、感謝をもって祈りつつ、私達それぞれに委ねられている分を、たとえ結果がすぐに出なくても、喜びをもって担っていきたいです。皆様のお祈りとお支えを心から感謝しつつ。(容子)
東日本大震災のための献金が世界各国からだけでなく、日本国内からも多く捧げられています。捧げてくださった皆様に心から感謝します。
OMF日本フィールドは岩手県・宮古市での二年間の援助活動のため準備を進めています。英国からメアス師御一家が三か月の短期宣教師として来られ、マギンティ師夫妻と共に活動を始めます。
五月二十四〜二十七日まで、OMF日本フィールドの企画したボランティア活動に参加してきました。OMFの休暇施設が宮城県・七ヶ浜の高山にあるのですが、そこから見下ろす浜には流れ着いた巨大なコンテナが横たわり、浜はがれきであふれている状態でした。
作業内容は、津波で流された家屋用の材木の洗浄と移動、仮設住宅への必要物品の仕分けと搬入、古着の整理、トラクト配布でした。共に参加した求道者のHさんが救いの確信を強めることができ感謝でした。
OMFのトーマス師夫妻は、JECA仙台福音キリスト教会での働きの傍ら、ボランティア活動にも関わり、福音を伝えています。時間があれば、被災地の教会を訪問させていただきたいと思いましたが、それはかないませんでした。被災地の教会と宣教師の働きを格別に覚えてくださり、困難な中にあっても牧会と宣教のわざが進みますようにどうかお祈りください。(庄一郎)
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