2011年7月号
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「黄金の石」
タイ 坂本朋子
タイは年中暑いので、日本の四季のように明確な季節の変化はないですが、市場に出回っている果物を見ることで季節の変化を感じることができます。今は雨季の間出回るドリアンを良く見かけます。果物の王様と呼ばれタイ人が好む果物の一つですが、私はどうしてもあの独特の匂いとねっとりした食感が苦手です。何年も居れば「おいしい」と思える日が来るのでしょうか‥‥。
皆さまのお祈りに心から感謝いたします。以前にお祈り頂いたことですが、キッズクラブを行っているお寺のある村の小学校で、六月から週に一度マンディサ師と一緒に英語を教える機会が開かれました。全校生徒五十人弱しかいない、小さな田舎の貧しい小学校です。お寺のキッズクラブに来ているおなじみの子どもたちも含め、ほとんどの子どもたちは貧しい家庭から来ています。親が出稼ぎに出ている子どもたち、母親が売春で稼いでいる姉弟、近くの孤児院から来ている孤児たちなどです。ランパーンの市内には私立の小学校が増え、経済的に余裕のある家庭の子どもたちは皆市内の私立に行ってしまうので、このバーンライ小学校のような小規模の学校は、先生を確保することも困難な状態のようです。そのため小学校の先生方は、私たちのようなボランティアでも大歓迎してくれました。ちなみにこの村の名前はバーンライシラトーン、直訳すれば黄金の石のある畑という意味です。この村の「黄金の石」はこの村の子どもたちだと思います。子どもたちが自分に与えられている価値と能力を見出し、親からの愛は受けられなくても天の父なる神様に愛されていることを知ってもらいたいのです。私たちが出来ることは僅かかもしれませんが、それでも主が私たちを用いて下さるようにと願っています。私たちのチームは「ライトハウス」の中での諸活動だけでなく、チームがこのように外に出ていって活動をすることもありますし、ライトハウスに色々な事情で来られない人たちの所へこちらから訪問することもあります。
五月半ばから新年度が始まり、長い休みの間少し停滞していた人の流れも徐々に元に戻りつつあります。夏休み中子どもの世話と家庭のことで忙しかったゲーさんも、今は時間が出来て六月からやっと聖書の学びが始まります。新学期の開始と同時に忙しくなり、自分の力では出来ないこともしなければいけない状況の中で、個人としてもチームとしても、いつも全能なるお方に頼りつつ歩むことが出来ますようにお祈りくだされば幸いです。
「こういう年の取り方」
日本 木下理恵子
今年はいつもより早い入梅で、長い夏になるのでしょうか。いつもの皆様のお祈り、ご献金をどうもありがとうございます。
私事ですが、四月一日に母が庭で転倒し大腿骨頸部骨折をし入院、手術をしました。感謝な事にとてもよいリハビリの先生にも恵まれ、痛みはあるもののしっかり歩け、庭仕事も出来、お風呂も自分で入れるまでになり六月一日に退院しました。お祈り、どうもありがとうございました。
母はずっと中国語集会に出席しており、みんなから「ママ、ママ」と呼ばれ、仲間に入れてもらっていました。その中国人たちも母の骨折、入院を聞き、お祈りしてくれたり病院にお見舞いに来てくれたりしました。思いもかけないお見舞いを下さった姉妹もおられます。一生懸命働いての収入を知っているだけに、その額の多さに驚くと共に、こんなに惜しみなく与えられる姉妹に主を崇め、感謝した事です。
この中国人たちの愛を受けると共に、他にも主の恵みを受けました。多くの方々がお見舞いに来て下さいました。何度も来て下さった方もおられます。お見舞いカードや葉書も病床の壁に張り、見る度慰めとなりました。病院で賛美をしている声を聞き、一人の看護婦さんが自分もクリスチャンと話して下さったり、移った病室でも隣の病床の方がクリスチャンと分かったりしました。どこに行っても主の愛に囲まれているようでした。
お世話になったリハビリの先生に、お礼としてトラクトとギデオンの聖書を渡そうねと、感謝の一言を私も書こうとした時、母の書いた部分が目に入りました。「是非この本を読んで頂きたいです。」なんてストレートな言葉だろうと、本当はそれが言いたいのに言えない自分を思いました。話を聞いているとリハビリの時にも「先生、教会に行くといいのに。」とお誘いしていたようです。
そして退院の日、母が寄せ書きしたページを見せながらリハビリの若い先生に感謝と共に、「是非この本を読んで下さい。」と聖書を渡しました。先生も「嬉しいです。僕はまだここにいるので、再診の時にはまた会いに来て下さい。」と仰って受け取って下さいました。
年を取り転んだだけで骨折してしまう、弱くなっていく体。でもその中で何が大切かしっかり残り、まっすぐにそれを言える強さ。何だか年を取る中で、余分なものが無くなっていった様なそんな気がしました。そしてまだまだ雑なものがいっぱいある自分、本当に必要な事、言いたい事をスッと言えない自分を思いました。そこまで年を取らなくても言える様になりたいと祈らされている事です。皆様のお祈りに感謝しつつ。
「アフリカにおける中国人伝道 ― お祈り下さい」
日本 ディアスポラ伝道 横山好江
ディアスポラ伝道部リーダーシップチーム(私も一員)でこの件を検討し進めています。さらに祈っていただくために、これまでの経過を報告させていただきます。
アフリカにおける中国人伝道の必要を知り、OMFとして何かできるのではないかと、一九九八年に既に声があげられていました。十一年後の二〇〇九年、OMF国際本部から在外東アジア伝道を担当するディアスポラ伝道部に、この件が持ちかけられ、二〇一〇年一月に、ディアスポラ伝道部の働き人を中心とした六名が、アフリカ大陸の八カ国に視察旅行を行いました。現地で長年伝道しているSIMのベテラン宣教師はじめ、アフリカで中国人伝道を行うにあたってOMFと協力して進めていきたいという意見を持つ主要な方々との出会いも与えられました。
◆背景 一九九〇年から十年間で、中国とアフリカの貿易は七倍になりました。二〇〇八年の総貿易額は、二〇〇〇年と比べて十倍に膨れ上がりました。アフリカ大陸には中国人が少なくとも七十五万人住んでいます。アフリカ大陸の四十九カ国に、九百の企業が中国から進出しています。
中国政府や中国大手企業が求めるのは、アフリカ大陸の豊かな天然資源です。そして、アフリカが必要とする道路、高速道路、ダム、学校や病院、鉄道、ITインフラなどを中国がアフリカ大陸の各地で建設しています。
中国人の多くが願う起業と金儲けが、アフリカ大陸にあります。様々な成功話が、さらに多くの中国人を、中国からアフリカへと誘い出します。
◆OMF視察チームは、まさにこの現状を目の当たりにしました。中国人経営の店を次から次へと目にします。売っているのは、ハードウェア、ソフトウェア、パソコン、衣類、食料品。またインターネットカフェやレストラン。中国人が商売にしようとするものに制限は無いように見えます。
視察チームは、現地教会が中国人に伝道している様子も見ることができました。中国人経営の店々を回り、片言の中国語を口にしながら福音を語るナイジェリア人牧師。また、ある中国人姉妹は靴屋を営みながら、同胞に伝えるべく励んでいます。この姉妹のビザ取得を現地牧師が助けてくれました。
◆現在 ディアスポラ伝道部は、アフリカ在住のコーディネーターを設け、本件専任の調査担当者を任命し、さらに働きを進めようとしています。どうぞ共に祈って下さい。
(1)アフリカにおける中国人伝道の現状を把握し、OMFとして何を担うべきか、さらに明らかにされるように。
(2)主要な地域で、現地教会に役立つ在外中国人伝道のトレーニングを、年二回計画しています。この中でアフリカの現状を学びつつ、良い出会いが与えられ、現地教会に仕えることができるように。
(3)全てにおいて主の導きが明らかにされ、ディアスポラ伝道部としてよく主に聴き従えるように。
「母語は人権」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
先月号で報告しました我家のインターン神学生、貴君のためのお祈りを感謝いたします。積極的に中高生達を大人の礼拝に出席させ、ミェン語での暗誦聖句とミェン語での特別賛美を毎週させています。今まで適当にしか礼拝に来なかった親達の一部が自分の子供、孫達が出演する?ので毎週礼拝に来る様になってきています。何よりも、わが子がミェン語で聖書のことばを暗誦し、ミェン語で朗々と賛美している姿に大人たちが喜んでいます。このことが子供達にとっても信仰の励みと成長になっていきますようにと祈ります。(たまみ)
五月の言語学会での発表のためにお祈りくださりありがとうございました。タイ国言語政策草案委員の数人にもお会いし最新情報を得、意見交換をすることができました。タイの歴史上初めての言語政策を作ろうとしているところで、きわめて画期的です。(ちなみに日本にも未だ明確な言語政策はありません。)
一九四〇年、当時の陸軍元帥ピブーンソンクラームは「タイ国の国語はタイ語であり、タイ人はタイ語を学ばなければならず、他の言語の学校を開くことを禁ずる」と国の慣行を発表しました。その後一九四六年に最初の民主憲法が制定されても、明確な言語政策はありませんでした。一九六〇年代、少数民族の言語が宣教師によって分析・記述されローマ字で表記されたころ、政府は国境を跨いで分布する少数民族が共産主義ゲリラ活動と関わることを警戒し、ローマ字を禁止。タイ文字で少数民族言語を表すように指導しました。
こういう背景の中で、二〇一〇年二月、アピスィト首相は王立研究所に言語政策案を草稿するよう指示しました。六本の柱からなる政策案の一部を紹介しますと、(二)ダイ語族に属するタイ諸語と他の少数民族言語を含む地方言語および消滅の危機に瀕した言語に関する政策、(四)仕事を求めてタイに来る移民の民族言語による教育に関する政策、(五)点字、手話に関する政策、(六)翻訳、通訳、手話通訳に関する政策。
点字使用者、手話使用者、少数民族言語話者、さらに移民の言語の権利を基本的人権として尊重する国づくりを目指し、瀕死言語(十五言語が危機状態)の保存と再生を人類遺産の保護活動と位置づけ、さらに言語・文化の多様性を尊重することが安定感のある強い社会を作る、という崇高な理念の言語政策を作ろうとしています。現実性を感じる部分は、劣等感を持ちやすい少数民族の青少年に自分の言語で教育を受けさせ、誇りを持たせるという具体案を示しているところです。
これを宣教学的に見ると、ペンテコステ以降の多言語主義を神様が祝福してくださったという事実に共鳴する哲学である、と言えないでしょうか?歴史を支配される神様がこれをご自分の目的のために用いてくださいますように。(達朗)
「婚約しました」
カンボジア 小川文子
突然の報告で驚かせてしまうこととは存じますが、この度、人知を超えた主の御計らいにより、結婚の恵みに導かれることになりました。相手はフィリピン人の伝道者(ガマリエル・ベルトラン・ジュニア師)で、同じ志や価値観を共有する信仰の人です。ニャックルアンで出会い、この十一ヶ月ほど真剣に祈りあってきた結果、先月婚約の運びとなりました。ニャックルアンに来るまで全く予想もしなかった展開で、大きな葛藤もありましたが、このことが主の導き、恵み、さらに召しであることを確信するに至り、今は平安の内に心備えをしています。結婚後はフィリピンに居を移し、宣教師という立場から伝道者の妻という立場になりますので、大きな変化ではありますが、召しが変わるのでも何かを止めるのでもなく、同じ方向に進んでいるように感じています。相手も私も国を超えた働きに召された献身者であり、しているのも同じ教会開拓ムーブメント。子供達や物語制作に関わってきたことも、相手のメディア伝道のビジョンに続いています。共に歩むことによってさらに力を得、豊かに主に仕えていくことができると信じ感謝しています。ニャックルアンでの働きを他のメンバーより少々早く終えることになってしまうのは残念ですが、もともと期間限定(一年間)のチームでもあり、教会の方々も私の今後の働きのために祈って下さっています。私も祈り続け、これからも祈りがカンボジアの地で実を結ぶことを見させて頂きたいと思っています。これまでの皆様のお祈りとお支えに心から感謝し、主を賛美します。主の闘いを共にして下さって本当にありがとうございました。多くの方にしっかりと支えられて最前線で仕えられることの大きな恵みを知りました。これからの闘いのためにもお祈り頂ければ幸いです。皆様の尊いお働きに主が豊かに報いて下さいますように、祈りつつ。
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