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「求む!男性の働き人」

 下記の記事は一九八〇年代に書かれたものです。それ以来、男性宣教師の数はやや増えてはいますが、二〇一一年現在でも、千三百八十四人のOMF宣教師の内、既婚女性は五百三十九人、独身女性は二百八十八人です。それに対して男性は、既婚男性が五百三十人、独身男性は二十三人です。フルタイムの働き人として、男性を求める願いと祈りは今も緊急かつ切実な課題です。
 「これを書いている時に私がやや熱くなっていることをお赦し下さい。しかし、今書かないといつかこの事をもっと好意的に見るようになってしまうか、又は全く書かないで終わってしまうかもしれないのです。でも言わなければなりません。
 今日の午後、私は六十一歳の男性と、机をはさんで向かい合っていました。彼は神学校の講師ですが、六十八歳の妻に悪性腫瘍の疑いがあるという深刻な現実に直面したのです。『この三十八年間で、学期を終えずに学校を去らねばならなくなったのは初めてです。』と彼は言いました。彼はこの状況について神に文句を言っているわけでも、妻よりも仕事を優先させようとしているわけでもありませんでした。もし仕事を優先させたかったら、彼は学校に留まるでしょう。しかし彼は自分は妻のそばにいるべきであることがわかっていました。それでも、まだなすべき多くの仕事が残っていることを思い、彼の心は重く沈んでいたのでした。そんな彼を見ながら、私は心の中で怒りを感じていました。それは彼の後を継いでくれるような若い男性たちが全くあらわれないことに対しての怒りでした。
 私は数日前に読んだ北タイからのレポートを思い出しました。それは、北タイのある少数部族の村に住む独身女性宣教師を訪ねた男性が書いたものでしたが、彼のジープは一時間半もの道のりを行くスタート地点に着くまでに、すでに泥沼から五回も引き上げてもらわねばならなかったそうです。
 その村に住む独身女性宣教師の隣人は、常日頃悪霊と交信をしており、隣人が彼女のことについても悪霊と話しているのが、板の壁を通して彼女の耳に聞こえてくるそうです。しかし彼女にはそのことを分かち合う相手がいませんでした。彼女は同伴者と歩むよりも、一人でズンズン大股で歩いていける活発なタイプの女性だったのでしょうか?いいえ、ただそこで働く男性がいなかったので、彼女がその役割を担っているのでした。
彼女は一人暮らしです!
 私は昨年十一月に別の女性宣教師を訪問した経験を思い出し、再び北タイに思いをはせました。私たちはチェンマイからバスで六十キロ行き、そこから今度は山道を歩いて登りました。七時間ひたすら登りに登ったあげく、ついに村にたどり着き、彼女が住む小屋の屋根が見えた時は、本当にホッとしました。彼女は地べたにあるかまどでお湯をわかし、お茶の用意をして私たちを待っていてくれました。あんなにおいしいお茶は飲んだことがありませんでしたし、到着後の風呂場での水浴びがあの時ほど気持ちよかったこともありませんでした。私は今、『風呂場』と言いましたが、それは小屋の脇にある、手おけでお湯を頭からかぶるための六十センチ×九十センチくらいの狭い場所で、家の排水溝の役割もしている所でした。この独身女性宣教師もここで一人暮らしをしており、一か月に数回、片道七時間歩いて山を下り、また七時間かけて山を登って彼女が共に生きる村人たちの所に帰っていくのです。
 その時私はある外科医と彼女を訪問していましたが、翌日、隣村から往診に来てほしいという報せが届きました。『ほど近い距離』と聞いていたその村は、急な山道をずっと下り、それから登るという厳しい道のりの先でした。おまけに最後の二時間はどしゃ降りの雨に見舞われるという、往復合計五時間の旅になりました。再び彼女の家に帰りついた時は、うれしかったものです!彼女は一人暮らしが好きなのでしょうか?もちろんそうではありません。しかし北タイのこの地域で労するために来た新たな宣教師は、過去六年間でたった一人の男性宣教師だけでした。たとえもし新たな宣教師が明日着任したとしても、その人がその村で本格的に働けるようになるには、あと四年はかかるでしょう。
 昨日、もう一人の独身女性宣教師についての知らせが届きました。現在まだ都市部で語学の学び二年目の彼女は、突然六百人の女性の前で話をすることになったのだそうです。会衆のほとんどはイスラム教徒でした。イスラム教徒の間で女性はあまり尊敬されません。同じような男性ワーカーの必要がある他の地域でも、その地で十五年間労したのは女性たちだけです。
心にかけているでしょうか?
 ここまで書いて、読者の皆さんの声が聞こえてくるような気がします。『ああ、また同じ話か。また宣教師が感情を大げさに表わしている。この手の話には興味ないし、気持ちが動かないな。』そうでしょう。そして他のどんなこともそういう方々の気持ちを動かすことはできないことでしょう。主の命令も又、そのような人の心を動かすには不足なのです。
 本来は男性がすべき仕事で代わりに女性がやっている仕事を、どのようにしたら若い男性がやろうと思うようになるのでしょうか?今後三十年間の内に、ヨーロッパの人口は一億人程も増加するでしょう。しかしアジアの人口はその十六倍になるのです。今日のアジアの教会に集う人々は全人口の五パーセントをはるかに下回っています。世紀末にはどうなるのでしょうか?私たちはそのことを真剣に考えているでしょうか?
 以前、私はイギリスのある福音的な教会に説教の奉仕に招かれました。その教会から二度目の招きを受けた時、こう言われたのです。『あなたの宣教の仕事についてはお話にならないで下さいね。もう皆十分お聞きしましたから!』自分の国でなすべきことが沢山あることはわかっています。悪魔崇拝や薬物中毒、悪や罪が蔓延していることも知っています。しかし私の国は福音を千年も聞いてきているのに対して、アジアでは福音が伝わってまだ百五十年ほどしか経っていません。何としても私たちの母国でも福音を伝え続けましょう。しかし、まだキリストが知られていない場所に、キリストを宣べ伝えるために出て行く志のある若い男性はいないのでしょうか?
夏期ボランティア
 しかし『今の若い人達はもっと活発ですよ。短期宣教活動プログラムに参加して主のために熱心に働く彼らを見てごらんなさい。』と言う人もいます。もちろんそのようなプログラムのゆえに主に感謝します。それは時に宣教師が住む場所よりも厳しい環境に身を置かねばならない大変な働きです。私はそうした短期の働きを批評するつもりは全くありませんし、むしろ主に感謝しています。
 しかし一年や二年間よりもっと長く、異文化に身をどっぷりひたし、他国の言葉を学び、僕となって、他の国の人々と心を通わせるために座って四時間ほど話に耳を傾ける若い男性はいないのでしょうか?夏期の短期ボランティアももちろん歓迎されますが、アジア人の魂の救いのためにはもっと長期の働き人が必要なのです。『分かっていませんね。今時の若い人達は短期以上の働きを選ぶ気持ちはありませんよ。彼らは先の見通しが見える働きがしたいのです。』その考えでいくならば、神に『私が示す地』に行きなさいと言われたからといって、アブラハムはウルを出発したりしなかったことでしょう。そして実際彼は自分の墓以上のものは得られなかったのです。生涯をかけた奉仕はムリなことなのでしょうか?それがイエスの言われた十字架を担うことの意味なのでしょうか?
何が間違っているのか?
 生涯をかけた奉仕はいずれにしても多分ムリでしょう。あなたや私の生涯が終わる前に主は来られるかもしれないし、宣教師もいつかの時点で追い出されるかもしれないのですから。でもだからどうなのでしょうか?イエスは『この福音はあらゆる国の人々に宣べ伝えられねばならず、それから終わりが来る。』と言われました。宣教はその時にこそ終わるのであり、それ以前ではありません。
 女性達が何を受け入れ、耐え忍び、地道に続けているかを見る時、私は男たちを振り返って見て泣きたい思いです。いったい男たちはどうしたのでしょう?気骨が全くなくなってしまったのでしょうか?『宣教団体に所属すのはいやなんです。』と言う人もいます。ではその人は海外宣教のためによりよい方法を実行しているのでしょうか?来て私たちと共に労苦してみて下さい。その上で批評をお聞きしましょう。
 海外宣教の働きの中の様々な隙間を埋められるにもかかわらず、立ち上がろうとしない何百人もの若い男性たちを見る時、私はただこう祈るしかありません。『父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何を拒否しているのかわからないのです。』」


「昨年の祈りの結果」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

古い蚊帳を取り付けてマラリヤとデングを予防  新年を迎えるにあたり、毎年恒例にしているように、昨年の祈祷課題を振り返ってみました。二十四個の祈祷課題を再び載せることはできませんが、約三分の一ずつがカンボジア教会交友会とOMFカンボジアの働きのため。そして残りは、私たちの新しい開拓地のため・夫婦の成熟のために祈っていただきました。
 その結果‥‥カンボジア教会交友会の働きは、各教会の牧師・リーダーのためには、牧会に役立つ「平和の橋」というプログラムを昨年に引き続いて行い、「聴く」ということを中心に、「赦すこと」、「衝突する理由」、「衝突したときの解決法」、「赦しと回復」について学び、ロールプレイを通して、具体的にどのような言葉をかけるのが適切で、どのように助けを差し伸べれば良いのか等を学びました。現在彼等は、これまでと違って人間関係のトラブルなどの問題に、ある程度自信をもって日々の牧会活動に励んでいます。
 OMFカンボジアのためにも祈っていただきました。無事に総主事代行を全うすることができましたし、懸案であった外務省との合意書も解決しました。開拓地のためにも祈りを積んでいただきました。改めて祈りによって行くべき道が明らかにされています。皆さまのお祈りがなければ、歩むべき道を誤ってしまいます。引き続きお祈り下さい。
 夫婦の成熟は、昨年も、まさにいろいろな意味で「フーフー」言っている時もありますが、神様の憐れみによって守られています。私が書くのもなんですが、二人とも忍耐をしつつ神様のご介在を感謝しているといった感じではないでしょうか?神様が一つにしてくださった「もう半分の私」を、神様の御心に沿って愛していけますように、お祈り下されば幸いです。(裕三)
 昨年末に無事にストゥン・トラエンに引っ越すことが出来ました。トイレ・台所が家の中にある家が与えられ感謝です。最初の電話での交渉時に受けた印象はあまり良くなかったのですが、実際に会い、私たちのことを知ってくれると、大家さんは俄然様々なことを助けてくださるようになりました。網戸などの交渉も非常にスムーズに行き、御近所の親戚も含め、とても仲良くなれました。お祈り感謝します。
 しかし、網戸屋がどこかへ遊びに行ってしまい、網戸がつくのはもう少しかかりそうです。そのため古い蚊帳をつぶして窓に張り、蚊を防いでいます。
 ストゥン・トラエンの州都は、州都といえども縦横三キロほどの小さい町です。高い建物はほとんどなく、窓からは高床式の家々の屋根瓦が美しく見わたせます。市場には豚・牛・馬の頭、犬・鹿の肉など、足が一瞬止まるような物も売られています。街には水道・電気は来ています。しかし水道は川から引いているため、ろ過してから沸かさないと飲めません。電気は昼間はよく停電していますが、夜は感謝なことにあまり停電しません。少し町を離れたら川と田畑が延々と広がっています。日常生活品はプノンペンから運ばれているので二〜五割ほど高く、野菜・肉などは原産地に近いので安いかと思いましたが、プノンペンに比べ三割ほど高いです。
 町に事務所のあるキリスト教系NGOの職員とともに、HIV患者の家・病院への訪問、患者会の参加などが許され、知り合う人々も増えました。
 何かを始めなければ‥‥と思い焦る気持ちもあります。どうかこの地をじっくり知り、この地の人々と良い関係を結べるように、神様の時を見逃すことが無いように、また自分の思いで先走る事の無いようにお祈り下さい。(ひとみ)

【祈りの課題】
1.ストゥン・トラエンでの働きのために。福音に心を開かれた方々と出会うことができるように。町にある現地の教会との協力関係を築くことができるように。
2.夫婦生活の祝福のために。奉仕と家庭の時間の配分を賢く調整していくことができますように。また、お互いのコミュニケーション能力が整えられますように。


「収穫の主に祈りなさい」
日本 菅家庄一郎、容子

 OMF日本委員会総主事の仕事をさせて頂くようになり、とにかく祈る機会が増えました。毎月のOMF祈り会で首都圏の三か所に参加し、さらにOMFオフィスの祈り会は土日を除き毎日あります。もちろん全部完璧に出席しているわけではありませんが、とにかくカンボジアにいた時よりもグループで祈る時間が多くなりました。世界各地からくる英語のニュースレターは読みこなすだけでも一苦労です。(この仕事は私より容子と黒澤さんの方が大変ですが。)
 最初は仕事だから、という気持ちが強かったのですが、最近は少し楽しみになってきました。動いているとそれだけで満足感があるのに対して、祈ることそのものは刺激はありませんが、内的な充実を感じるようになってきました。また、最初は祈ることで宣教地のワーカーの働きが祝されるのだからという気持ちで参加していましたが、最近は自分のために祈り会はあるのだと思うようになってきました。
 人のためにとりなすということは、愛が増し加えられる訓練であり、キリスト者の内側が豊かにされる経験であり、神の偉大なる力を知る場でもあります。
 そして、宣教祈り会は、何よりも日本にいながら世界宣教の働きに関わることができるのです。
 全国各地のOMF祈り会はどなたでも参加できます。多くの方々が喜んで祈りの奉仕をして下さっています。主の恵みを受けたい方はどなたでも、ご参加ください。また、御自宅を開放して祈り会を始めたいという方はおられないでしょうか。もし、そのような願いをおもちの方がありましたらOMF事務局までご連絡ください。(庄一郎)
 板橋宣教祈祷会に参加されている方から、ホームレスの方が集う家庭集会のことを度々お聞きしていた。「あったかいんです。」一月末にお伺いすることができた。小倉さんは長らくご家庭を開放して家庭集会を持たれてきたが、この五年ほどホームレスの方が多く集っておられる。まず共に聖書の学び。テキストから、小倉さんご自身の証を交え、かみ砕いて福音を説明される。とても分かりやすい。その間、すぐ隣では、数人の殿方が(皆さん、シェフの心得がおありとか)お料理をしてくださっている。食いしん坊の私がお料理に気がとられなかったのは、お話がよっぽど分かりやすく興味深かったからか、あるいは料理人たちの優れた腕が、不要な音を一切立てなかったからか。学びの後は、皆さんでお食事。切り干し大根とお漬物、そしてお皿から表面張力でなんとかこぼれずにいる超大盛りの和風麻婆豆腐。野菜たっぷりで実においしい。小倉さんは、食事を共にすると心も開かれる、とおっしゃっていたが、まさしくその通り。こんなに美味しくて、愛情・栄養満点のお食事を前に、誰の心が閉じられようか。自己紹介で、シェフの方は、「もうやめようと思うのに、小倉さんの顔見たさについつい来ちゃう」とのこと。ご夫妻とも体力的に厳しくなり、もう続けられないかな、と思った一年前、不思議と与えられたボランティアの料理人の方々。また聖書の学びのリードも、板橋祈祷会のレギュラーメンバーで小倉さんと青年時代からの仲間の清水兄と、小倉さんの二人の弟さんが週ごとに分担してくださっている。このようなサポーターが与えられ、続けられている集会を通して、救われる方が起こされている。立ち直っていかれる方が起こされている。なんと素晴らしいことだろう。食後の歓談のひと時、小倉さんの言われた一言が心に残った。「池袋は外国人はじめいろんな人が沢山いて、もったいない。」中国語や韓国語が出来たらそういう人たちにも伝道したいが、通訳がいる。自分たちで出来ることを、と考え開かれている集会は、本当にあったかく、ありのままの自分でおれる。「収穫は多いが、働き手が少ない」との主の御声が心に響く。「主よ、働き手を送ってください。」との祈りに導かれた。(容子)

【祈りの課題】
1.3月17〜18日、庄一郎師はJECA佐倉福音キリスト教会の修養会で奉仕をします。「祈り」がテーマです。共に学ぶ時とされますように。
2.3月26日〜4月3日まで、庄一郎師はシンガポール国際本部にて候補者選考・短期宣教・宣教啓発動員に関する訓練会に出席します。よい学びの時となりますように。


「男?女?」
タイ 坂本朋子

 皆さんはタイと聞いて何を思い浮かべるでしょうか?その中には良いことや誇れるものもあれば、このようなことで有名になってしまうのが残念なものもあります。以前の話ですが、ある方に「タイって同性愛者が多いんでしょ?」と言われたことがあります。残念ですがそれは事実です。日本ではそのような人々をテレビの中でしか見ないかもしれませんが、タイでは普通に生活していれば特別な場所に行かなくても必ず何人かに出会います。私が英語を教えているバーンライ小学校の美術の先生もその一人ですし、短期ボランティアでバンコクにいた時には、大学生の同性愛者に沢山会いました。また近年タイでは、トムボーイと呼ばれる男性の格好をした女性と、そのような女性を恋人に持つ女性、つまり女性の同性愛者が急激に増えているような気がします。タイの映画も以前は男性の同性愛者を取り扱った作品が多かったのが、最近女性の同性愛者を題材にしたものも出てきているほど、今のタイの社会は神様が創造された性の秩序が本当に混乱している状況にあります。私が以前教えていた日本語のクラスにも女性同士のカップルがいましたし、タイでも屈指の有名大学を訪問した際も、男か女か分からない学生があまりにも多いことにショックを受けました。
 なぜこれほどまでにタイには同性愛者が多いのか…、私もまだタイに来て年数が浅いですし、専門家ではないのではっきりした要因は分かりませんが、私の知る限りで言えることは、子供のときに性的虐待を受けたり、親の不倫行為などを見て育ったため、本来自分に与えられた性を受け入れられなくなるケースが多いのではないかということです。私のクリスチャンの友人T兄の過去はまさにそのようなケースの典型でした。父親の度重なる不倫を目の当たりにし、挙句の果てには親戚に性的虐待を受け、自分が男であることに嫌悪感を持つようになりました。そして次第に女装をするようになり、最後は同性愛者になってしまいました。しかしイエス様と出会い、子供のときから受けた深い傷が癒されていく中で、神は第三の性をお作りにはならなかったこと、つまり神が創られたのは男と女だけであるということを理解し始め、男性としてのアイデンティティを回復していったのです。しかしそのプロセスは決して平坦なものではなく、周囲の祈りと助け、御霊の力によってでなければ打ち勝つことのできない様々な戦いがあったといいます。T兄の場合は、叔母さんがクリスチャンになったことがきっかけで教会に行くようになり、イエス様に出会いましたが、タイにはかつてのT兄のように暗闇の淵で第三の性を生きている男女がいったいどれほどいるだろうかと思います。そしてこの問題は、私たちタイに生きるクリスチャンと教会に突きつけられた大きな課題と思います。タイの教会とクリスチャンたちが偏見と無関心を捨てて、イエスの愛を携えて第三の性を生きる人々に届いていくことができるようにお祈りください。

【祈りの課題】
1.マンディサ師とパシアー師一家が一時帰国(HA)のためそれぞれ南アフリカとカナダに戻ります。パシアー家のルーカス君(五才)は発音の問題があり言語療法を受けます。またマンディサ師はアソシエイトの立場からフルメンバーになる手続きをする必要があります。これらのことが守られますようにお祈りください。
2.タイの教会が社会の中で見過ごされている人々、心に傷を受けている人々や偏見を受けている人々に重荷を持ち、キリストにある希望を伝えていくことができますように。また私たちチームとしても、そのような人々の所へ更に届いていくことができますように。

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