2013年3月号
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「薄闇の中の歌声」−ミャンマーを訪れたあるクリスチャンの報告から−
ダニエル(仮名)はその噂を聞いていただけでした。しかしある日彼がミャンマー最大の都市ヤンゴン滞在中に、泊まっていたホテルに戻って来た時、ある男性が彼を訪ね、実際に見てみるか、と招いてくれました。
「一緒に音楽をやらないか?」見張り役担当のその男性は、そのような言い方で尋ねてきました。
「今から?」と聞き返したダニエルに、彼は「そうだ」と答えました。
そうしてその二十代とおぼしき青年の後を追うように、ダニエルはホテルの外に出ました。すでに夕闇が濃くなり、街の通りも暗くなり始め、人々が店じまいを始めていました。やがて背の高い街燈に照らされて、何人かの男性たちがひびの入ったプラスチックの椅子の周りに集まっている姿が見えてきました。どこかからギターが持ち込まれ、又、どこかからカードのように小さく、いかにも使い古された小冊子のようなものが配られました。開くと中にはギターのコードとビルマ語の歌詞が書かれています。ギターが激しくかき鳴らされ、その音に負けじとばかりさらに大きな声で、彼らは歌い始めました。
次の晩も同じような賛美の時が繰り返され、その夜はパリッとした縞模様のシャツを着た青年が賛美をリードしました。ダニエルは賛美のメロディに聞き覚えがあることに驚きました。後でわかったことは、そのきちんとした身なりの青年は、ダニエルの泊まっているホテルの屋上でも、カチン族教会の賛美集会と青年会を開いていたそうです。今ではキリストにある兄弟たちとわかっている青年たちの歌声に合わせて、ダニエルは旋律を口ずさみながら微笑み、こんなに自由に賛美ができるようになったのかと驚きを禁じ得ませんでした。
ミャンマーが強く仏教を擁護し、全人口の内八十九パーセントが仏教徒であることを知っていたダニエルにとって、クリスチャンたちの大胆さは本当に驚きでした。バマー(多くの場合ビルマ族と呼ばれます)はミャンマーの人口の三分の二を占め、ほとんどが仏教徒です。仏教の影響はヤンゴンの街角でも色濃く見られます。鳥のエサを売る人々は街行く人々に鳥にエサを与えて功徳を積むよう勧めます。湖のほとりに立てば、功徳を積みたいと思う人々はパンを買って魚に与えます。他にもカゴに入った鳥を買って、鳥を外に放してやるという功徳の積み方もあります。
ミャンマーではイエス・キリストを主と告白する人々は、大多数をしめるビルマ人の一パーセント以下です。ミャンマーの大きな七部族―シャン族、カレン族、ヤカイン族(アラカン族)、チン族、カチン族、モン族―の中で、相当のクリスチャン人口を有するのはチン族、カチン族、カレン族のみです。
法の下にはクリスチャンも仏教徒も、表向き同じ信教の自由を保障されていますが、実際には教会への攻撃、聖書の焼却、強制的な仏教への改宗が散発的に起こり、クリスチャンがその自由を声高に掲げることは難しいのが現実です。こうしたキリスト教への反発行為は、圧倒的多数の仏教徒によって培われてきた、ビルマ人であることは仏教徒であること、という意識から来るものです。ミャンマーは現在大統領制の共和国ですが、今も軍は強大な影響力を保ち続けています。
ミャンマーにおいて福音の広がりを妨げるものとして、当局からの反発もありますが、クリスチャン自身の中に潜む民族的偏見も要因の一つとなっています。カチン族のようにビルマ人との何十年もの民族抗争によって、苦い思いが残る少数民族出身のクリスチャンにとってビルマ族への伝道は難しいことです。偏見の壁を打ち壊し、他者を神の御国へ招いたキリストの模範をもってしても、少数民族のクリスチャンの中には、伝道において自ら築いてしまった壁を取り除こうとしない者たちもいます。
しかしダニエルがヤンゴンで会ったカチン族の集会リーダーのような人々の存在が、希望のきざしも与えています。ビルマ族へ福音を伝えるために、このリーダーが導くカチン族教会は、多くの人たちが理解できるビルマ語で礼拝を持っています。又、ミャンマー教会委員会は国内のクリスチャンを一つにし、キリスト教以外の信者への伝道を進めていきたいと公言しています。
キリスト教は少なくともヤンゴンでは目に見える形で存在しています。イギリス植民地時代に建てられた教会堂が町の各所で見られ、その多くでは今も定期的な礼拝が行われています。
ミャンマーの為政者たちが、国内に真の宗教的自由が確立されることを願うように、その自由が保護されるように、そしていつかイエス・キリストを主として告白する為政者が与えられるようお祈り下さい。又、少数民族のクリスチャンたちがキリストの愛に突き動かされ、民族を超えてあらゆる人々に福音を伝えていく者とされていくようお祈り下さい。
「最後に」
日本 木下理恵子
遂に最後のOMFニュースとなりました。今まで二十九年間に渡る皆様のお祈り、御献金、お交わり、色々な助けや励ましを本当にどうもありがとうございました。
最後のニュースレター、何を書こうか祈り考える中、アルジェリアでの日本人十名の犠牲のニュース、そして私の身近でも、中国語集会を助けて下さった六十一才の日本人姉妹が、突然死すると言う悲しい出来事が起こりました。
この姉妹、知り合いに台湾人がおられ、中国語集会に誘ってきて下さり、それ以来のご奉仕でした。毎月心のこもった誕生ケーキを作って下さったり、子守をして下さったりし、みんな彼女の愛を、そして主の愛を沢山体験した事です。何か相談すると、率直なそして的確な意見を言って下さり、どれだけ助けられたか知れません。
彼女の召天を通し、肉体のもろさはかなさを思うと共に、そんなはかない存在の私たちが、周りの人にこんなに影響を与えられる事に驚きました。彼女はきっと、私がこんなにガックリ来るなど思いもしなかった事でしょう。幾人もの中国人や台湾人が葬儀に参列、中には休みを取って来たり、あんなに泣いていたり等、想像出来なかったかもしれません。でも彼女のこの地上で行ってきた事が、確かにこれだけの影響を私たちに与えていたのです。
主が私たちを、こうした影響を与える事の出来る者として造って下さったのですから、主の愛を周りの方が体験でき、福音を知り、主を信じる決意が出来るような行い、生き方を、最後までしていきたいと強く思わされています。
宣教師として奉仕できたこの二十九年間、一番の宝物は、色々な形でサポートして下さった皆様の存在です。毎月このニュースレターを書く度、祈っていて下さる方々がおられ、その祈りで主の業が現わされる事を主から教えられ続け、体験し続けました。皆様のご献金で、長い間直接宣教地に行き、そこで生活し伝道できました。お手紙やメール、カード、巡回でのお交わりで、皆様の愛を感じました。皆様が正に私の、そして主の同労者でした。
祈る事、献金、具体的な愛のご奉仕、直接宣教地に行き伝道する事、お互いどの様な形であれ、今は知らないある日、突然終わりの来るこの地上での日々、周りの方々、そして世界の人たちに主の影響を与え続けていきましょう。
改めて今まで本当にどうもありがとうございました。主の祝福が皆様お一人一人の上に豊かにありますよう心よりお祈りします。
【祈りの課題】
1.29年間皆様のお祈り、御献金、多くの助けを本当にどうもありがとうございました。これからも在日中国系アジア人伝道を続け、更に日本人伝道もしていきます。主を信じ、愛し従う人が起こされるよう、主が用いて下さるように。
2.日本で更に海外宣教のため祈り、捧げ、具体的に宣教師として出て行く人たちが多く起こされるように。日本のクリスチャン、教会が世界の人々に主の影響を与えられるように。
「カロラマからタイへ来た道産子」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ
帰って行く家があるというのは何と嬉しいことか。まして大歓迎されるとは、こんな幸せ者はいない、と思う。
皆様のお祈りを感謝いたします。去る一月、六ヶ月間滞在したオーストラリアからチェンライ県メーチャン町の我家に戻った。ミェン族ミラクル寮の寮父、隣の婦人伝道師、そしてミェン族の孫達(のような、伝道師達の子供達)が出迎えてくれた。
家の壁にはミェン語で「お帰りなさい!」の横断幕。家の中には、幼稚園と小学生の孫達が習っている中国語で『歓迎回家!』と。皆で掃除をし、何時でも休めるようにしていてくれた。極めつけは、孫達が「ヤオチアム爺ちゃんが帰ってきた!ヤオチアム爺ちゃんが帰ってきた!」とはしゃぎまわったこと。こんなに喜ばれるとは思ってもいなかったので嬉しいやら、驚くやら。
この子供達に信仰の継承がきちんとされ、将来ミェン族キリスト教会を担う者となりますようにと祈った。(たまみ)
メルボルンの東の郊外にダンデノン山脈があり、中腹にカロラマという小さな町があります。今は国立公園になっています。研究所の友人(聖書翻訳者)の誕生パーティをそこでするとのこと。カロラマと聞き、どうしてもその地に立たなければ、と思いました。
カロラマと北海道・東北のOMFと私との関わりはこうです。一九五一年中国奥地伝道団は宣教地から撤退、敗残兵のようになった宣教師たちは香港に避難。七人の監督たちが解散の話し合いのためメルボルンのカロラマに集まりました。七人は祈り主を待ち望むうちに、解散すべきではないと示されました。海外離散の中国人へと伝道の方向転換を決めました。カロラマでの祈りの結果、存亡の機に直面した中国奥地伝道団は、東南アジアの中国人へ伝道するOMFとして再生することになったのです。また聖書翻訳の経験のあった宣教師たちは、フィリピンやタイの少数民族の地へ転任。ミェン族の伝道と聖書翻訳が始まったのもカロラマでの決定ゆえです。
会議の途中、献金の同封された二通の手紙がカロラマに届きました。献金者は日本での宣教を始めてほしいと祈りを込めて捧げてくれたのです。七人は一致してこれを主の御心と受け止め、日本にも韓国にも宣教師を送ることを決めました。
カロラマ会議の結果、北海道にエヴァ・グラース師が来て、品田青年が救われ後に牧師になり、私は品田師からバプテスマを受けました。カロラマがメルボルンにあったとは知らず半年すごし、ついにその地に立って神様の摂理を思い巡らしました。北海道で生まれた私たち夫婦はカロラマを降りて北タイへ戻って来ました。(達朗)
【祈りの課題】
1.3月26日〜28日、『主に人生、時間、財を捧げる』という主題で全ミェン族教会聖会が開かれます。主講師アメリカのミェン族牧師2人、ほか3人の講師(カナダ人、ミェン族、日本人)の奉仕が聖霊に満たされて用いられるようにお祈りください。
2.4月12日〜15日のミェン族青年キャンプの準備のためお祈りください。アムナート師(タイ人)と有澤師による『ローマ書』講解、委員会の実務準備に聖霊の導きがあるように。神に栄光を帰するミェン族青年が多く立ち上がるように祈ってください。
「振り返って神の御手を見る」
シンガポール 佐味湖幸
今年初め、この世に生を受けて半世紀を経過しました。キリストを信じるようになって四十年、宣教師になって二十年が過ぎ、節目の年です。このタイミングで、この一月「テモテ・プロジェクト(通称PT)」と呼ばれるOMFの自己成長の訓練会がありました。PTは二年の内に四回に渡って、自己形成の過程を振り返る時、働き人としての成長、チーム作りなどを小さなグループで共に学ぶ会です。
今回は、シンガポール国際本部で働く者五人と台湾や規制のある国で働く者など計八人が集まり、年齢は三十代前半から六十代まで、働きの内容もコンピューターの専門家、宣教師子弟のコーディネーター、英語教師、孤児院の責任者など、実に様々でした。
生まれてから(ある者は生まれる前から)これまでの自分の人生を振り返って、何が今の自分を作るのに大きな影響を与えてきたか、どのような賜物や能力が与えられているか、それらをどのように活用し、伸ばしてきたか、自分を大きく変えた意味深い出来事や出会い、与えられた御言葉などを思い出し、年代順に書き留めて行きます。長いリストになりました。後から後から、色んなことが思い出されます。
そしてそれらを整理し、タイムラインと呼ばれる表にまとめると、神様の素晴らしい御手が見えてきます。主はどんなに多くの人や出来事を用いて、さらに主に似た者となるように、主の働きに用いられる者となるように導いて来てくださったかがわかります。他の人のタイムラインの証にも耳を傾けると、幾つかの共通点が浮かび上がります。「ピンチはチャンス」と言われますが、まさに試練を通して、さらなる成長、また大きな転換へと導かれることが多いという事が見えました。しかし、自分の失敗や聖書の人物の失敗例を見ても、この試練の時をどのような態度で過ごすのかが、とても大切だと思わされます。もし私たちが他の人に対して、また神様に対して苦々しさをもち、プライドまたは自己憐憫の内に留まるならば、神様が期待される成長へと導かれないと思われます。へりくだって、主の訓練を受け続けるものでありたいと思います。
【祈りの課題】
1.プロジェクト・テモテ(自己成長訓練会)での学びを感謝。そこで与えられた課題を忘れずに取り組み続けることができ、さらにキリストに似た者、主のご用の役に立つ者となれるように。
2.3月25日から28日まで南アフリカ共和国から派遣されている宣教師がシンガポールで一堂に会します。今後の南アフリカの歩みのために。佐味師は南アフリカの人事に関する働きもしています。
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