2013年5月号
page1
page2
「神の愛に出会った受刑者未亡人」
ある日の午後、まだ二十四歳のモン族の母親が、二人の小さな子供を連れて私たちの家を訪ねてきました。私たちは彼女と初対面で、どこの誰なのか全くわかりませんでした。ともかく家に招き入れると、彼女は自分がサヤンという名の青年の妻だと自己紹介を始めました。サヤンは今私たちが住んでいた家に、何年も前に二、三か月間住んでいた青年でした。
サヤンはまだ幼かった頃、家の火事で母親と妹と、自分の両脚を失ってしまいました。その当時彼の一家に関わっていた宣教師たちが、サヤンの学費のために基金を立ち上げ、彼を助けました。その後もサヤンの人生は苦難の連続でしたが、それでも学校を卒業し、北タイの故郷の村を出て、彼はついにバンコクでコンピューター関連のよい職を得ることができたのです。
やがて彼は、同じように故郷の村からバンコクに出てきて仕事を探していたポーンという女性に出会いました。二人は恋におち、ポーン側の家族の反対を押し切って結婚しました。当時サヤンは給料のよい安定した職についていたにもかかわらず、彼女の家族は彼に両脚がないことで、娘にはふさわしくないと考えていたのです。サヤンはかつて父親からさえも、障がい者のお前は役立たずだとののしられたことがありました。
次男出産の一週間前のこと、ポーンの人生は突然の衝撃的な電話で一変してしまいました。サヤンが北タイで他二人と共に逮捕されたというのです。特別製の彼の車椅子の中から麻薬が発見されたのでした。夫は仕事中だとポーンが思っていた時に、サヤンの家族が北タイから彼に電話し、家に戻ってくるように言ったのです。アジアのモン族の家族の絆は大変に強く、サヤンは家族の言う通りに帰省しました。そして彼の車椅子を使って麻薬の運搬をくわだてた親戚によって、犯罪に巻き込まれてしまったのです。これは一度限りの単発的な事件であり、解明されていない疑問点が多く残っていました。それにもかかわらず、サヤンに下されたのは五十年の実刑という重い判決でした。残されたポーンは一人で次男を出産しましたが、その直後から幼い子供たちを抱えたまま、生活のあてが無くなってしまったのです。
「受刑者未亡人」となったポーンは、まず北タイの彼女の実家に身を寄せました。しかし実家にとって、彼女とその子供たちはやっかいものに過ぎませんでした。彼らはポーンが自分たちのお荷物になるのではなく、サヤンと離婚して再婚するようにと迫りました。しかしモン族の女性にとって、夫との離婚は子供とも離れることを意味し、彼女は夫側の一族のもとに子供達を置いていかなければなりません。
そして、それぞれの実家がポーンを受け入れようとしなかったもう一つの理由は、ポーンが自分はクリスチャンだと言っていたことにありました。実際は、彼女自身にもあまりその意味がわかっていなかったのですが、夫のサヤンが「自分はクリスチャンだ」と言っていたため、ポーンももっとそのことを知りたいと思っていたのです。そして主は様々な夢や幻をも用いて彼女に語りかけ、神についてもっと知りたいという強い願いをポーンに与えておられたのです。
私たちの家を訪れた時の彼女は、完全に行き詰った状態でした。双方の実家から拒絶された今、どうやって二人の子供たちを育てていったらよいのでしょう?かつて夫は宣教師の一家と住んでいたことがあると言っていました。そのため彼女は私たちを探して、ここにたどり着いたのです。仕事を探し生活費を稼ぐ間、子供たちを預かってくれるような、クリスチャン系の孤児院かホステルについて情報があったら教えてほしい、と彼女は言いました。彼女にはもう他に相談をしに行けるような所がなかったのです。
不思議なことに、ちょうどその頃の私はモン族の女性を教え導くことについて神様に祈っていました。そこに訪れたポーンは、そうした一連の祈りの答えに思えました。そこで私たちは彼女に子供たちと一緒にここに移り住み、家事手伝いとして働いてはどうかと提案したのです。
当時十四歳の私たちの娘は、自分の寝室にポーンと子供たち(当時二歳と三歳)も寝起きすることに同意してくれました。私たちはポーンの息子たちと三歳になる私たちの息子に、フランネルグラフを使って聖書のお話を教え始めました。三人の男の子たちはフランネルグラフでのお遊びの方に夢中になっていましたが、母親のポーンは渇いたスポンジが水を吸うようにあらゆる教えを吸収していきました。
神を求める彼女の霊的飢え渇きは大変なものでした。私たちの家に来て経験した神の愛が、家族・親族から拒絶され、捨てられるという経験をしたポーンの心に強く焼きついたのです。
そうして数か月たった時、ポーンは他の宣教師が運営している小さな聖書学校で学ぶことを勧められました。そこでも彼女は教えられる神のみことばをスポンジのように吸い込んでいきました。生徒たちは二か月学んで一か月休むというサイクルを一年間繰り返すため、ポーンと彼女の息子たちは私たちの家と聖書学校に代わる代わる住むようになりました。やがてポーンの父親が肺がんの末期状態で入院した時は、一か月の休みを利用してポーンが父親の看病に行き、私たちが彼女の息子たちの世話を引き受けました。他にたくさんの子供たちがいたにもかかわらず、病床の父親の看病をしたのはクリスチャンであるために拒絶された娘のポーンしかいなかったのです。そして感謝なことに、それまでキリストに固く心を閉ざしていた父親は主を信じ、その後天に召されていきました。
タイで主に仕えて二十三年になりますが、私たちが一時帰国するまで一年半共に暮らしたポーンほど、主にあって霊的に大きく成長した人は見たことがありませんでした。私たちが一時帰国した後の二、三か月間、彼女は他の宣教師の家で働くことができました。その後彼女は郷里の村に戻りましたが、主は彼女に小さな家を与えて下さいました。私たちがその後も聞いたところでは、ポーンは今も信仰に固く立ち、周囲の人々に熱心に福音を伝え続けているとのことです。
しかしモン族の文化において、夫がそばにいない妻の立場は支えも無い不安定なものです。又、実家はポーンが再婚すれば入ってくるであろう結納金目当てに、彼女に早くサヤンと離婚して他の男性と再婚するようにと、今も迫り続けています。懲役五十年はほとんど終身刑のようにすら感じられますが、ポーンも私たちもサヤンが早く釈放され、家庭が建て直されるようにと祈っています。
タイに住む十万人近くのモン族は精霊信仰を持ち、悪霊を恐れながら生きています。彼らがキリストの愛を知ることができるように、そして今も彼らの間に住み、福音を伝え続けている働き人たちのためにどうかお祈り下さい。
「南アフリカの願い」
シンガポール 佐味湖幸
三月二十五日から二十八日まで、南アフリカ共和国から送り出されている宣教師たち十二名(欠席者五名)と私を含め、本部から南アフリカの働きを助けている者三名、総勢十五名がここOMF国際本部に集まり、宣教師派遣国としての南アフリカの過去、現在、未来について話し合いました。
南アフリカからOMFの宣教師が派遣されるようになったのは、今から七十年前になるそうです。当時、ヨーロッパからアジアへは船を使っていたわけですが、喜望峰を通過する時に、荷物の積み下ろしなどで南アフリカに船が泊まり、宣教師たちも下船して、南アフリカの教会でアジアでの宣教について分かち合ったことから、そこからも宣教師になる人が起こされてきたようです。以来、素晴らしい宣教師たちを東アジア各国に派遣してきましたが、七年前OMF南アフリカ委員会はその働きを閉じることになりました。その理由は経済的な問題と共に、当時のこの国の社会問題が大きく影響していたようです。人種差別問題の解決に向けて社会が戦っている中、その当時のOMF南アフリカ委員会は中流階級の白人だけで構成されており、内部からそのことへの深い反省が起こったようです。派遣されていた宣教師達にとってはショックなことでした。しかし、その後もOMFは法人として存続し、新しい宣教師も少ないながらも加えられ、事務的な働きは最小限行われてきました。
それから七年の月日が経ち、これからもっと積極的にアジアでのOMFの働きを紹介し、祈って頂き、新しい宣教師を募るモービライゼーションの働きをするべきだという思いが、派遣されている宣教師や南アフリカに関わってきた私達の内に起こされてきました。以前のようにお金のかかる事務所を構えたり、スタッフを雇うのではなく、教会や他の宣教団体ともっと積極的に協力して、派遣側としての宣教師を支える働きを進めること、南アフリカ在住でモービライゼーションの働きと、総括的な責任をとる人を近い将来求めて行くことが決められました。この責任者が決まれば、本部から南アフリカの責任者代行をしてきたフラー師と、人事担当をしてきた私はその役目から解放され、本来のニューホライゾンズの働きに集中できるわけです。新生OMF南アフリカのこれからのために、どうぞお祈りください。
【祈りの課題】
1.3月25日から28日までもたれた南アフリカ共和国派遣宣教師の集いの上に主の導きと祝福があったことを感謝。近いうちに新しいリーダーが起こされ、派遣国としての働きがさらに進められるように。
2.5月7日から6月2日までチリ、ブラジル、南アフリカ共和国を訪問し、宣教協力をしている団体、教会、また宣教師候補者の方々と会ってきます。健康が守られ、さらに理解と協力関係が深められるように。
「その後…」
カンボジア 今村裕三、ひとみ
タラー地区での最後の聖日の三週間後、サリー兄を訪問することが出来ました。あれから聖日礼拝を持てていないとのこと。みんな仕事に忙しく集まらないということでした。彼は唯一文字を読める人で、最後の聖日のときに、創世記から黙示録まで福音を分かりやすく説いた本を渡しておきました。今は他の人たちが来るのを待ちつつ、未信の妻と一緒に御言葉を開き、その本に書いてある解説を読んでいるということでした。サリー兄がここまで信仰の回復が出来たことの故に、主に感謝しました。引き続き彼を励ましてくださり、御言葉に養われるように祈ります。
ストゥン・トラエンの町の教会での最後の聖日では、礼拝の最後に教会の長老さんたちが私たちを祈って日本に送り出してくださいました。一年あまりの短い期間でしたが、宣教協力を結べたことに感謝するとともに、タラー地区の兄姉のために祈りつつ、伝道に出て行くことの出来る教会へと成長できるように祈りました。
今月にはカンボジアから日本に戻る予定になっています。主の配剤により、一年間家を貸してくださる方が与えられました。京都を拠点に六月から全国の教会を巡回します。それまでの住まいの準備や日本の生活への再適応などのために祈ってくだされば感謝です。皆さまのところでお目にかかれるのを楽しみにしています。(裕三)
クラチェ教会の一夫婦、マウ兄とソル姉の夫婦仲のために、一部の方々にお祈りして頂いています。ソル姉は去年亡くなったヒムさんの娘です。先日、クラチェを訪問したときの話です。
ソル姉は、念願の子どもが母親のヒムさんが天に召された一週間後に与えられました。妊娠中も調子が悪く、最終的には帝王切開で無事出産。何かと問題の多い田舎の病院での手術でしたが、守られました。妊娠する半年前にもらった養子とともに、喜んで育児をしていました。しかし、夫がお金を家に入れてくれないことが重なり、教会の会計をしていたこともあって、教会のお金に手をつけてしまいました。勿論そのことは発覚し、謝罪しましたが、教会に喜んで来ることは減りました。
夫のマウ兄は仕事上(大工の棟梁)お酒がやめられず、さらには施工主がお金を払ってくれず、自分の手元に居た大工も減って、苦境に立たされています。お酒に酔って時々暴れて物を壊したりもするそうです。最近、教会から足が遠のいていました。私たちが訪問した後、マウ兄は「教会に再び毎週行く。でもそれで神様が仕事を祝福して下さらないなら、教会へ行くのを止める」とセイハー牧師に言ったそうです。
ソル姉、マウ兄夫婦が、真の意味で神様に立ち返る事ができるように、セイハー牧師が恐れず正しく彼らを導けるようにお祈りください。
尚、引っ越し五日前に断水し、ニ日半水が出ずどうしよう!と皆さんに祈っていただいたら、その真夜中水がやってきました。本当に嬉しく、洗濯や洗い物を半日一生懸命したら再び断水。掃除が不完全でしたが、どうにか引越しはできました。大変でしたが大家さんのお家でもらい水浴びをさせて頂いたり、周囲の人と水が無いという共通の悩みの不思議な一体感を感じたり、多少楽しかったです。お祈り心から感謝します。(ひとみ)
【祈りの課題】
1.日本への再適応のために。適応できなくても、主にある平安の内に教会巡回の備えをすることができるように。
2.ソル姉とマウ兄の霊的成長のために。経済的にも祝福され、クリスチャンホームを作っていくことができるように。
「思いを与え、導かれる主」
日 本 西村信恵
昨年の四月に国内主事としての働きをはじめてから一年が経ちました。手探りで、また思いがけない出会いの多い一年で、主の恵みの中働きが守られていること、感謝です。皆様の支えも本当にありがとうございます。
三月は、初旬にKGKの全国大会に参加してきました。四五〇名以上の大学生達の全国大会です。「私は神、あなたの神」というタイトルで聖書講解、主題講演とがあり、様々な分科会等ありました。驚いたことにクリスチャンホームの子が多く、そのうち牧師の息子、娘だという方々もたくさんいました。これだけの人数の学生達が、熱心に御言葉に耳を傾け、応答している姿がありました。日本の教会に若者が少ないと言われる中、これだけの若者が神様に真剣に応答し、歩もうとしていることに希望を感じました。私は「献身」というタイトルで分科会を担当させていただきました。この分科会には十六名が集い、最後に自分の人生を神様に捧げて用いていただく決心を全員がいたしました。それぞれの参加者が、神様に個人的に語っていただき応答した密な五日間だったと思います。この期間にした神様との約束をしっかり握って、大学生活、また社会生活に戻っていく彼らがイエス様の弟子として主に従って歩むことができますようにお祈りください。
名古屋から福岡へ帰る際、西宮におられるご夫妻を訪ねました。将来ご自宅で宣教祈祷会をと願っておられ、いろいろお話を伺い、共に祈ることができました。神様の導きを祈っているところです。
また三月半ばには、久しぶりに宮崎清水町教会の宣教祈祷会に出席することができました。月に一度のこの祈祷会が、守られ続けられていることを感謝いたしました。現在は第二木曜日の夜行われていますが、そこに集えない方々もいるので、昼間も開催したいと思っておられることをお聞きました。その場が教団を超えて、人が集い宣教のために祈る場となるようにと思っておられることに励まされました。神様がちょうど良い時に、昼の部の祈祷会も始められるようにしてくださり、また、多くの方に宣教のための祈りの重荷を与えてくださいますようにお祈りください。
【祈りの課題】
1.KGKの全国大会に参加した大学生たちが、神様に応答したことを忘れず、神様に従って歩むことができるようにお祈りください。
2.宮崎清水町教会の宣教祈祷会の祝福のために。昼間の部の祈祷会がちょうど良い時に始められるように。祈る方々が与えられるように。
2013年5月号
page1
page2
TOP PAGE
|
OMF@宣教師.come
|
宣教ニュース
|
東アジア宣教ノート
宣教祈祷カレンダー
|
OMFについて
|
リンク
|
e-mail
OMFインターナショナル日本委員会■〒272-0035 千葉県市川市新田1-16-14
TEL:047-324-3286 FAX:047-324-3213 郵便振替:00100-0-615052
© 1999-2013 OMF International JAPAN. All rights reserved. designed by HFJ.