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2014年12月号  page1  page2


「A国での海外宣教実習に参加して」

ある街角にて(写真と本文とは関係ありません)  私は宣教に対しての視野を広げてほしいと願って参加を決めました。A国での海外宣教実習を通して、異文化を経験したこと、宣教の情熱を頂いたこと、異文化同士でも一致できることを学びました。その事を分かち合いたいと思います。

異文化を経験したこと
 まず、異文化経験についてです。二日目は地図とちょっとした会話がわかるプリントを頂いて、豪雨の中、与えられたタスクをこなしていくというオリエンテーションを行いました。見知らぬ外国に言葉が分からないまま放りだされるという体験をしました。一人きりでなく二人だったので良かったです。日本と似ているところ、私の出身地と似ているところを見つけて、A国を理解しようとしていました。解らないものを解ろうとすることは、とてもエネルギーのいることだと知りました。言葉が通じない。日本と比べてマーケットは不潔で、戦後復興時の日本に似ているかも?昭和初期の日本?と思ってもそれは実際経験したことが無いものです。気候は日本の一番大変な時期と似ていて、交通はありえないほど荒々しくて、混雑していて、やかましくて、タクシーやお店の人はぼったくろうとする人が多くて、外食は安心してできない。住宅の設備は整っていない。そしてタイトスケジュールで洗濯する時間もほぼないという、日本で暮らしている時の大変な経験をいっぺんに経験するようなものでした。自分の常識ではやっていけない、文化が違うということを経験しました。それを通して学んだことは、常にフレキシブルに対応して従うということでした。訳もわからずに従うというのではなく、よく聞いて、解らないことはドンドン積極的に尋ねて、主を信頼して、相手を信頼して、委ねて従うということでした。そうすることで、主にある豊かな交わりを経験することができました。

宣教の情熱を頂いたこと
 次に宣教の情熱を頂いた恵みです。Y先生と医療チームに連れられて、孤児院に行きました。百二十~百三十のキリスト教団体が支えている孤児院があり、そこを年に一、二回行けるか行けないかでようやく回っているとのことでした。週に二日巡回しています。健康診断と治療を行い、ビタミン剤をプレゼントしています。私達学生は二か所の孤児院で子どものためのプログラムをさせていただきました。英語のみのプログラムで私はダンス賛美の担当でした。緊張しながらも、一緒に神様を賛美できて感謝でした。一緒に行った医療チームは青年たちでした。Y先生が医学生対象にサポートしている聖書研究会から導かれてクリスチャンになった人たちで、子どもたちに対して重荷を持ち、医療ボランティアをしています。一緒に過ごし、何とかコミュニケーションをしようとしているうちに仲良くなり、覚えた日本語の賛美を歌ってくれ、A国語の賛美も教えてくれました。
 B村を訪問するときはお年寄りのクリスチャンが案内してくれました。名前はラジャマさん。足がご不自由で、祈ってほしいと言っておられました。毎週土曜にノンクリスチャン家庭を開放して頂いて子ども伝道をしておられる方です。ラジャマさんたちは家の修理など、愛の奉仕の結果ノンクリスチャン家庭を開放して頂いています。ラジャマさんに案内されて歩いて行くと、だんだん子どもたちが集まってついてきます。毎週来てくれている子どもたちだそうです。始めにラジャマさんが祈ってくださって、子どもたちが覚えている賛美を三曲歌ってくれました。みんなノンクリスチャンと聞いていたので驚きました。その他二か所で子どもプログラムをさせていただきました。青年たちに教えていただいたA国語の賛美が用いられ、主が子どもたちと心をひとつにして下さいました。主を賛美する喜びで私たちの心を一つにして下さいました。子どもたちはメッセージを聞き、共に祈り、礼拝をささげました。
 子どもたちは非常に不衛生な環境にいて、十分な栄養が与えられていない状態です。孤児院の子どもたちは学校に行かせてもらっていますが、貧しい家の子どもたちは教育を受けられずに働かなければならない状況です。私は子どもたちに何ができるだろうと、この国の貧困に対して何ができるだろうと思わされました。そんな中、詩篇百十一篇五、十節が示されました。主の御手の中にあるA国で主を恐れることを教えることが子どもたちにとって、ノンクリスチャンにとって大切だと思わされました。主によってA国人自らが一人一人聖書から教えられ、共に聖書の価値観で生きていくことによって知恵が与えられ、祝福されることが大切だと示されました。A先生の働きを通して、青年クリスチャンたちを通して、ラジャマさんを通して、A国人の必要にそった方法で御言葉と愛の技が届けられていました。世界から協力と励ましを受け、A国にいるクリスチャン同士が協力し、励ましあう中に宣教の業が行われていました。クリスチャンが主に在って思いやりを持って理解しようとし、生活に寄り添い、聖書の価値観「主を恐れる」ことを共に過ごしながら示し、良い影響を与え、人知をはるかに超えたキリストの愛を共に経験して感謝していくこと、お互いに励ましあい、祈りあって生活している姿を見させていただきました。Y先生とA国人クリスチャンの宣教の在り方を見させていただき、私も励まされ、私もそのように宣教する者でありたいと情熱を頂きました。

主によって、御言葉によって一致できる
 主日礼拝は約三十年前にB族が宣教して出来た教会へ行きました。A国語で賛美し、祈り、メッセージが語られました。開かれた御言葉はエペソ五・二三~三二でした。三十節の「わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである」が心に響きました。A国の方々と共に礼拝をささげることを通して、イエス様に在ってこそ、イエス様によってだけ、異文化同士の者が一致できるのだと思わされました。イエス様のからだの一部であるお互いが、愛し合い助け合うことを示され、主の御心、御言葉に従うことができるようにと祈りました。
 A国に来て異文化を経験し、宣教の情熱を頂き、異文化同士の者でも主に在って一致できることを学ばせて頂き感謝です。 私は一年ごとに違う実習教会に遣わされていますが、同じ日本、同じ教団でも、それぞれ文化と歴史が違っています。異文化の中で宣教するということを教えていただいたことは、日本での宣教においても通用すると思わされました。自分の力ですることはできません。聖霊の助けにすがりつつ、祈りつつ始めていきます。


「ブリッジビルダー(架け橋)リトリート」
日 本 ディアスポラ伝道 横山好江

ブリッジビルダーリトリートにて  十月十七~十八日と、在欧日本人宣教会主催のブリッジビルダー(架け橋)一泊リトリート、引き続き十八日の午後にはERF(エルフ、欧州帰国者の集い)が東京で行なわれました。翌十九日の聖日には、私が伝道師、夫が牧師として奉仕する志木教会で礼拝を守った直後に成田空港に向かい、ディアスポラ伝道部修養会が行われるデンバーに着き、二十~二十六日と修養会で数々の恵みをいただきました。二十八~三十一日のディアスポラ伝道部リーダー会議を前に、デンバーのOMF宿泊施設でこれを書いています。
 
 祈りの友の皆様に支えられ、ブリッジビルダー(架け橋)リトリートおよびERF(エルフ)では、祈りの答えをたくさん経験させていただきました。前者では三時間のセッションが二つあり、それぞれで賛美と証し、小グループの聖研と分かち合いを持ちました。使徒九章で、主は迫害者サウロを劇的な方法で取り扱い、アナニアを用いてダマスコの群れに加えます。主はサウロとアナニアそれぞれに語りかけ、サウロはアナニアから洗礼を受けます。それぞれが主の言葉にまっすぐに従ったのですが、アナニアの葛藤はいかばかりであったか、九章十三節のアナニアの言葉から察せられます。迫害者サウロを受け入れ、彼の上に手を置いて祈る、そこには自分の命の危険、またダマスコの群れにも危険が及ぶ可能性が充分ありました。しかしアナニアは、主がサウロに持っておられるご計画を信じ、自分の思いや恐れや不安を完全に委ねて、主が言われた通りに行動し、その結果サウロは見えるようになり、食べられるようになり、洗礼を受けて弟子の仲間に入れて貰い、イエスを宣べ伝え始めました。
 
 「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り」 (使徒行伝九・二六~二八)バルナバがサウロとエルサレム教会の架け橋として用いられたのは、バルナバの無私かつ献身的な愛、またエルサレム教会で尊敬されていたリーダーとしての資質のゆえでした。その謙遜な姿から教えられます。リトリート参加者の多くが、み言葉に深く探られ、主が与えておられる架け橋の役割を担うよう献身の思いを新たにしました。お祈りを心から感謝します。

【祈りの課題】
1.10月20日~26日のディアスポラ伝道部修養会では、在外邦人伝道ワーカーがほぼ全員集まり祝された話し合いが持てました。ここで示された事柄をそれぞれが担い進めていけますように。
2.ディアスポラ伝道部の財務担当、ウィルソン師は素晴らしい働きをして下さっています。お祈りを心から感謝します。引き続き主の知恵と恵みに満たされて奉仕できるようお祈り下さい。


「「取りて読め」、文字があるから」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

95歳になってもミェン語で説教するカラウェイ師  「ご主人が論文執筆をしている間、たまみさんは何をしているのですか?」
 以前、未来形で質問されていたのが、今は現在進行形で尋ねられる質問です。答えはいつも「主人のパーソナル・アシスタントです。」つまり、何でも屋です。今まで、主人が人々の霊的なケアをし、私は皆の胃袋のケア(?)をするという分担でした。霊的ケア担当の主人が今は論文執筆で身動きができない分、私が胃袋のケアに加え、少しだけ、聖書を一緒に読むという形でしています。
 英語を学びに来る韓国人の奥さんたちと読んだり、日本人女子大生と『ローマ書』を読んだり。読むだけですが、聖書そのものが読者に語りかけるのを目の当たりにします。
 またこの大学生は、先月号で「十月にバプテスマの予定」と書きましたが、十一月九日に決まりました。お祈りくださりありがとうございました。(たまみ)

聖書翻訳中のカラウェイ師とロイス師夫妻、1950年代  聖書のことばはそれ自体が生きていて力があり、人を変えます。ただし、それは字が読める人が実際に聖書を開いて読んだ場合に限ります。

 十二月十日、カラウェイ宣教師記念会がタイ北部パヤオ県チェンカム郡ロムイェン教会で行われます。ご健在の方の記念会を行うには理由があります。C.W.カラウェイ師とロイス師ご夫妻は、一九五〇年代にロムイェン村ミェン教会を開拓しました。またタイ文字を応用してミェン語を書き表す方法を地元高校の校長先生と協力して考案、ロイス師は精力的に識字教育教材を作り、ご夫婦でミェン文字に関する学術論文を出版。

 彼らは米国キリストの教会所属の宣教師で、同時期に中国からタイ北部へ入ったOMF宣教師と協力し、ミェン語聖書翻訳にも関わってくださいました。タイ国を南北に走る国道一号線の東側を米キリストの教会が、西側をOMFが担当し友好的にミェン族の村々へ伝道を展開。たかが道一本ですが、山脈も物理的に東西を分け、当時は交流が困難でした。で、東側ではカラウェイ師のタイ字借用のミェン文字、西側ではOMF考案のローマ字式が使われる結果に。もう一つの理由は、西側の山奥のミェン族がタイ語を話せるようになることを予想する人が当時いなかった。対して、東側のミェン族はラオスからタイへ移住して百年以上たっており、タイ語に慣れていたからです。

 やがて、東西のミェン族の若い世代は対等にタイ語教育を受けられるようになり、さらに国が現在草稿中の言語政策もタイ文字借用の少数民族言語表記法が促進される予定で、ローマ字式ミェン文字を使う人は減少。同時に、東西で今使われているタイ文字借用ミェン文字の考案者がカラウェイ宣教師ご夫妻であることを知る世代もいなくなりました。

 この背景に、最近、東のミェン族教会から出ている苦情があります。「合同聖会や牧師会でタイのミェン族宣教の始まりや、聖書翻訳の歴史を語るとき、OMFのことが賞賛されるばかりで、私たちはおもしろくない。」ロムイェン教会のチャムニヤン牧師から「地区内に不協和音が聞こえてきています。どうしましょうか?」と相談を受け、私は思い出しました。

 カラウェイ師が八十歳の頃、わざわざアメリカからパヤオ県ルワムチット村の私のところまで来て、言ってくださったことです。「今回が最後の訪泰です。ロムイェン教会をよろしく。ミェン教会協議会に加盟するようにOMFから勧めてください。教会が孤立しているのはよくない。」数年後、新卒のチャムニヤン牧師が同教会に就任し、東の数教会は、開拓者の意図を汲む彼のリーダーシップの下に約十年かけて協議会に加盟。加盟後五年程で、「カラウェイ先生は忘れ去られている」という不満が聞こえたのです。

 そういうわけで十二月十日の記念会は大切です。チャムニヤン牧師の祈りと意図は、東西教会のそれぞれの母体となった二つの宣教団体は当初からよい協力関係にあったことを、東の人々に理解してもらう、また西側の諸教会が、今自分たちの使っているミェン文字はOMFではないカラウェイ宣教師ご夫妻の考案であると、感謝をもって再認識することです。

 この感謝記念会がミェン語識字教育促進のため、個人でも教会でもあらゆる機会に聖書全巻を読む運動が始まる動機付けの会となるように。

 ロイス師を事故で亡くされた後も、九十五歳のカラウェイ師は、今なおミェン族と私の論文執筆のためにも祈ってくださっています。また論文が識字教育とも深い関わりがあることをご理解くださり、励ましてくださっている日本の教会の皆様に感謝いたします。(達朗)

【祈りの課題】
1.12月10日カラウェイ宣教師記念会にできるだけ多く西側のミェン教会が参加するように。個人デボーションで、家庭礼拝で、教会の礼拝で、祈祷会で、小グループで、ミェン語聖書を熱心に読む人々が増えますように。
2.論文は予定の18章から23章に増えそうですが、12月中に全章の草稿を書き終えることができますようにお祈りください。


「紅海の水は再び分れ」
シンガポール 佐味湖幸

 常夏の国シンガポールからクリスマスのご挨拶を申し上げます。今年も皆様のご支援とお祈りをありがとうございました。

 さて、この原稿を書いている現在十月末。神様からの祈りの答えを次々と見せていただいています。

 一つ目は年々難しくなっているシンガポールでの就労ビザ(二年間)をいただくことが出来たことです。住まいは以前住んでいた神学校の同じ部屋に戻ることになり、教会も依然通っていた教会に落ち着くことにしました。一つ一つのことが「どうなるだろう」「どうしよう」と考え、祈ってきたことですが、落ち着くところに落ち着いた感じです。

 二つ目は現在行われている新人宣教師のオリエンテーションコースです。私がこれまで関わってきた候補者が、ニューホライゾンズから一家族と独身女性一人、南アフリカから一人の独身女性で大人計四名、子供二名が参加しています。ニューホライゾンズの方々はそれぞれ宗教活動に規制のある国々からです。思い起こせば、私は高校生の頃(今から四半世紀も前!)、これらの国々のために「鉄のカーテン、竹のカーテンがあがるように」とよく祈っていました。そして今、これらの国々からの人をOMFに迎え、お世話する働きをしているとは、神様以外の誰が思いついたでしょうか!南アフリカからの女性は、長い間教会の理解や経済的なサポートが得られず、人の目には不可能かと思える時もありましたが、今こうやって宣教に規制のある地へ赴こうとしています。

 彼らがOMFに志願してからこれまでの歩みは、まさに紅海の水が分れるような奇跡の連続でした。こうして顔と顔とを合わせて、一緒にこれまでのことを振り返り、これからのことを主に委ねて祈る時、主に対する感謝と畏敬の念に心は震え、目には涙です。

 彼らの複雑な背景のゆえに詳細をお分かちできないこと、写真も掲載できないことが残念ですが、彼らがここまで導かれ、これから宣教地に赴こうとしていることは皆様のお祈りの実でもあります。共に喜んで主を褒め称え、彼らの今後の歩みのために続けてお祈りください。

【祈りの課題】
1.11月のオリエンテーションコースにニューホライゾンズから参加した1家族とひとりの独身者が、各々の働きの場で主を仰ぎ、主に従って歩むことができますように。
2.ニアさんはチリから9か月の短期宣教でフィリピンに来ています。家族から遠く離れて迎えるクリスマスですが、新しくできたフィリピン人の友人たちと良い時を過ごすことができますように。

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